第5話 マルさんのボールペン

 喫茶「MOON」のレトロチックな店内には珈琲の芳醇ほうじゅんで香ばしい豆の香りがずっと漂っている。

 鼻の奥をくすぐる。

 いい匂いだ。

 それからチーズが焼ける匂いかな?

 美味しい料理の出来上がりが近いのだろう。


 マスターの貴教さんがせわしなく一人で働いている。

 店員には大学生のアルバイトくんともう一人いたはずだが、今日は休みなのかな?

 

 この珈琲の香りを感じ、居心地の良い雰囲気のなかで席に座っているだけでも、充分喫茶「MOON」に来て良かったと思う。


 静かにジャズが流れてその後にビートルズの曲が控えめにかかっている。

 店内のBGMは先代の店主の趣味だという。


 あっ。マルさんが立ち上がった。

 もう帰っちゃうのかな?

 でもないか。

 マルさんは私が来た時には先に来ていつもの席に座っていたから。

 私はマルさんが帰ってしまうのが少しだけ寂しかった。


 ちょっぴり切ない気持ちの私の目の前で、瑠衣とトキさんはキャッキャッとまるで女子大生のように盛り上がっている。


 マルサンは机の上に広げたノートや

筆記用具を手早く鞄に詰め込んで、ゆっくりとマスターの貴教さんの方へ歩いて行く。

 途中でトキさんと視線が合ったのか、二人は常連さん同士からか軽く微笑み会釈し合った。

 レジ横でマルさんは料金を払いながらマスターの貴教さんと一言二言会話を交わして「ごちそうさま」と言って

悠然とドアを開き帰って行った。

 カランカランとドアベルが鳴る。


 あ〜あ。帰っちゃったかあ。


 私ががっかりしていると、トキさんと瑠衣が意味深な笑みを浮かべてこちらを見ている。


「千代子さあ、あの人のことが好きなんだ?」

「えっ?! 違うよ、瑠衣。…ちょっと渋いなあって見てただけ」

「あんた昔っから年上好としうえずきだもんね〜」

 瑠衣にからかうなって言いたい。だけど実際にそうかも知れないからそれについては反論できない。


「瑠衣だってどうなのよ? 一目惚れなんかしちゃって」

「え〜バレてた?」

「はい。バレバレですよ」

 トキさんも話に参戦して恋の話しでまたもや盛り上がりだしていた。


 ふとマルさんが座っていた席を見ると、床に高そうなブラウンの光沢があるボールペンが一本落ちていた。

 

 あれ? マルサンのかな?


 私はとんでもない物を発見した気がしてウズウズしてきた。

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