第60話 マルさんを想う

 私を元気づけるために貴教さんが夏祭りに連れて行ってくれた。貴教さんと終わりまで花火を見て、それから家に送ってもらった。

 私なんかを、心配してくれる気持ちが嬉しかった。

 見もしないのにテレビをつけて、気を紛らわして、お腹が空いているのに気づいた。

 時計の針はもう夜の九時半を指している。

 そうだ、せっかくいただいたのだ。

 貴教さんのキッシュと克己さんのおにぎりをトースターで温め直して食べよう。

 もうすぐ失恋確定なのに、お腹は空いている……。でも、そんなにやっぱり食欲は無い。

 貴教さんと克己さんが用意してくれてなかったら、今夜の晩御飯食べなかったかな。


 克己さんのおにぎりは刻んだ紫蘇しそが爽やかで、鮭の塩っ気と白ごまの香ばしさが優しく口の中に広がった。

 貴教さんのキッシュはキッシュ生地がさくさくな部分としっとりな部分が楽しい食感、トマトと茄子からじゅわっと旨味が出て美味しかった。


 貴教さんと克己さんの料理は、美味しくて……、優しくて。

 二人の人柄そのものの、ほっと和む味だった。

 ツツーッと涙が出てきて、止まらなくなった。


 マルさんとの付き合いは長くはないのに。胸が軋んでぎゅっと痛む。片思いの時間が長くて、やっと叶ったけれど。

 私、分かったことがあるんだ。

 ちゃんとマルさんに伝えよう。


 夜の10時を少し回った頃、私の携帯電話のメロディが鳴った。

 一回目はマルさんからのメールの音だ。


【チョコちゃん、話がしたい】


 どう、返せば良いのか悩んでいるうちに、次は電話の呼び出し音が鳴った。

 相手はマルさんだった。

 私は息を深く吸い、勇気を出して、携帯電話のボタンをタップした。


「もしもし、中丸です」

「もしもし……。あっはい、千代子です。お仕事、終わったんですか?」

「終わりました。これから会えませんか? ……遅いか。明日でも構いません。チョコちゃんに会いたいんだ」


 私は黙ってしまった。

 泣けてきてしまう。

 しっかりしろ、千代子。

 涙があふれて、喉の奥も鼻の奥もツンと痛んだ。

 嗚咽が出てしまいそうになるのをこらえると、ふぇっと変な声が出てしまう。

 電話の向こうのマルさんの声は堅く、必死に言葉を選んで伝えようとしてくれてるのを感じた。


「あ、会えません」

「チョコちゃん?」

「私、気づいたんです。分かったことがあるんです」

「……分かったこと?」

「私はマルさんのことが好きになりました。だけど、私が好きになったのは、喫茶『MOON』で小夜さんを想って黄昏れているマルさんなんです。ずっと一途に奥さんを想い待ち続けるマルさんの誠実な愛とひたむきさに惹かれたんです。魅力を感じたのは、私じゃない人を思っている貴方なんです」


 一瞬、マルさんが電話の向こうで息を飲んでいる様だった。


「もう、今の僕はチョコちゃんが好きだ」

「……マルさん。……ありがとう。でもね、ちゃんと自分の胸に聴いてください。自分の気持ちを。今日私は喫茶『MOON』でお二人がまだ愛し合っているのが分かっちゃった」

「チョコちゃん。顔を見て話せないかな? 僕はこんな大切な話を電話ですませたくないんだ」


 あぁ、別れ話は苦手だよ。

 得意な人なんていないだろうけれど、私は自分から別れたいなんて今まで言ったことがなくて。

 何もなかったようにマルさんと付き合っていけたら、どんなに良かっただろう。


「小夜さんね、病気なんです。もうすぐ入院しちゃうんです。マルさんが支えなくて、誰が小夜さんを支えてあげられるんですか? 小夜さん、今でもマルさんのことが好きなんですよ!」

「……チョコちゃん」

「後悔して欲しくない。小夜さんは治療が大変な病気なんです。でもマルさんがいれば希望が湧いてくると思うの。私、貴方と付き合い続けるのは出来ません」

「小夜のために? とにかく会って話そう、チョコちゃん」

「ごめんなさい。未練が残るから会わないで別れたいんです。小夜さんを犠牲にして、そんなに好きでもない私と付き合うなんて、間違ってます」

「……それは違うよ」

「……」

「チョコちゃんのことは好きだ」

「――喫茶『MOON』で、マルさんの視線の先に居たのは小夜さんです」


 ちょっとキツい言い方になってしまった。でも、痛みの無い失恋などあるだろうか。


「どこまでも優しいんだね、チョコちゃん。……ごめん」

「素直に小夜さんと向き合ってくださいね。私と電話を切ったら、すぐにでも小夜さんと話し合って下さい。さようなら。とっても楽しかったです。私なんかを好きになってくれてありがとうございました」

「『私なんか』じゃない。君は素敵な女性だよ、チョコちゃん。ごめん。こちらこそありがとう」


 通話の終了ボタンを押したら、機械音が耳に痛いほど響いた。

 しばらくぼーっとしていると、遠くの方で雷の音がした。

 雨がぽつぽつ、アパートの窓に当たり始めてた。


 床に座るとひんやりと冷たさが伝わってくる。

 私は溢れ出る涙を止めることが出来なかった。

 鳴き声はやがて激しくなった雨の音にかき消されていく。

 止まるまで泣こう。

 今は永遠に泣きたい気持ちでも、きっとまた笑える日がくる。

 何度も失恋してきた私はその度に強くなってきたはずだった。

 なのに、一つの恋が終わるたびに、身が引き裂かれそうな思いをする。

 それでもまた恋をしてしまう。

 やっと見つけた最後の恋かと、永遠に愛し合える相手と出会ったのだと思い胸を震わせて、気持ちが通じ合う喜びを得て。

 そして――。

 また、私は失った。

 奪い取ることなんて、出来ない人だった。


 会った時から気になっていたんだ。

 マルさんは誰を待っているのだろうか? って。


 自分の心細さを自分で抱きしめた。

 私は、また一人ぼっち。

 友達とは違う『好き』を求めるには、私は不器用なのかもしれない。





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