第64話 克己さんと観光するチョコちゃん〜秩父めぐりデート〜
克己さんとお喋りをしていると汽笛が聴こえた。目をこらすと、煙突から煙を吐き出し黒い列車がこちらにやって来るのが見えてくる。
「克己さんっ! SLだよ」
「おっ、ホントだ。近くに行ってみようか」
私は気が
汽笛に興味をそそられた観光客が集まって来て、ちょっとした人だかりになってくる。
堂々とした態度で横切るように黒く艶めいた蒸気機関車が、警笛を一つ鳴らして煙を出し続けながら目の前を通り過ぎる。
あとから知ったのだけれど、この辺りでは観光名物となっているらしかった。
蒸気機関車は風格があって、想像よりもゆったりとした調子で山の方へ力強く走って行った。
「克己さんっ、私、SLなんて
「ふふっ。チョコちゃん、はしゃいでるなぁ」
「えっ? だってこんなに近くで見られるんだもん。私、新幹線とか飛行機だって乗ったことないから、特別な乗り物ってちょっとテンションが上がるよ」
「そっかあ。じゃあ、今度SLを乗りに来る?」
「うんっ。……あっ、克己さんのバイクもね、ドキドキしてるよ。怖いのと楽しいのと半分半分って感じで」
克己さんはそこで苦笑いをした。
不思議に思って背の高い克己さんの顔を下から覗き込むと、克己さんは頭をかいた。
「俺もう、バイクの後ろに女の子は乗せないって思ってた。気ぃ遣う、遣う。大事なチョコちゃんになんかあったらとか思うと緊張してるよ。バイクは一人で乗るわ。今度出掛ける時は車か列車とかで行こうな?」
「うん。……ありがとうね、克己さん」
私のために慣れないバイクの二人乗りしてくれてるんだ。そう思っていて何秒か私は黙る。
――と、克己さんの手がスッと伸びて、私の頭をくしゃっくしゃって撫でた。
はにかんだ笑いを見せた克己さんの瞳が優しくて、私は無防備になる。話を聞いてもらいたいとか、少しだけ弱音を吐いても良いのだろうか? とか、克己さんに甘えてしまいそうになりそうで。
「チョコちゃん、そろそろお蕎麦屋さん行こうか?」
「うん」
私は付き合っていくうちに、マルさんともこんな風に自然になれただろうか。
私はマルさんの横顔を思い出して、胸がきゅっと締めつけられた。後悔なんてしてない。だけど、しばらくはマルさんを好きだった自分を消すことなんて出来ないと思う。
お蕎麦屋さんで克己さんと向かい同士で座って、克己さんはとろろ蕎麦を私はきのこ蕎麦を食べた。
蕎麦粉の美味しい風味ときのこの歯ごたえある食感が広がって、とっても美味しい。
食後にクレープみたいに巻いたミニのガレットが出て来て、食べると中からあふれる生クリームと苺のジャムが甘く、私は思わず笑顔になっちゃう。
「ふふふ、美味しい」
「どれどれ? へぇ、ガレットか。クレープ状にしてあって周りの生地はカリカリ、中はもっちりして美味いね。何よりチョコちゃんをそこまで笑顔にさせるとは……、これは嫉妬する味だな。クレープやガレットも『MOON』の新メニューに良いかも。どう思う? チョコちゃん」
嫉妬する味、って……。克己さんは研究熱心だよね。常にアンテナを張り巡らせて、自分たちのお店をより良くするために味やメニューの研究開発をしているんだもの。
「チョコちゃん?」
「うん、女の子が好きな味だと思う。『MOON』でクレープが食べられたら、ますます人気が出そうだね。それに普段頼まない男性も珈琲と気軽に試せそうな気がする」
「だよな〜。男が可愛らしい見かけの甘いものやスイーツ全般を恥ずかしがって頼みづらいって話はよく聞くからなぁ。ほんとは食べてみたいって思ってても、注文しづらいんだってな。俺も貴教も味が気になるから割と平気で頼んじゃうけどね。珈琲か紅茶のセットでガレットも良いかもな。軽食なら具材は目玉焼きと野菜にしても良いしね」
「美味しい食べ物を研究する克己さんも貴教さんも、喫茶『MOON』に活かしたいから注文を躊躇わない。恥ずかしいとかないんだね」
「そうだよ、食べたい物は食べなきゃ損だぞ〜、チョコちゃん」
「ふふっ。そうだね」
私は羨ましく思ってしまう。
情熱を傾けられるものがある人って、すごく眩しい。
とことん追求して、挑戦して。
貴教さんや、東雲菓子店の人達の真剣な表情を思い出す。
克己さんと貴教さんが働く姿や、源太さんの手の中でフッと和菓子が出来上がる様子が浮かんだ。
情熱を傾け目を輝かせ、仕事に向き合う素敵な人達が、私の周りにはいる。
好きなこと、大切なもの。
――私には何があるんだろう。
これをやりたいとか、夢だって誇れる目指せるもの。
探したい、って思った。
漠然としたものすらないんだ。なんて薄っぺらい人間かと私は自分のことがイヤになってしまう。
大事なもの、これだけは譲れないってことが見つからない。
でも、逃げられない。今の自分という現実から逃げたりしたら、誰が私を一番に思えるというのだろう。
ぶきっちょだろうが、中身が中途半端であっても、私は私。見放したり
そう言えば『私ね、自分を一番に応援して好きでいてあげるんだ』って、失恋した時ほど瑠依はよく言っていた。失恋して傷ついているのに、それ以上追い込むことない。自分の駄目なトコなんて、自分が痛いほど分かりきってるんだから。
『大事な人に出会いたければ、自分を大事に思うことが近道だった気がする。ようやく私、そう思えるの』
「……マルさんのことさ、決断したチョコちゃんを俺は偉いなって思うよ」
「克己さん。私、全然偉くないよ」
「自分の恋人なんだ。執着して当たり前だろ? なのに手放して送り出した。それってなかなか出来ないことだよ」
「違うんだよ、克己さん。私といるより、自然に見えただけ。マルさんには辛そうな顔して欲しくなかったの。それに、出会った時に私が好きになったのって、別れた奥さんを想ってるマルさんの寂しそうな姿に惹かれたんだよね」
「分析してるんだ? それもチョコちゃんは細かく……」
「ヘンかな?」
「いや。チョコちゃんなりに気持ちを整理しようとしてるんだもんな。恋は墜ちるものっていうしな。あれこれ考えてするもんじゃないから、シンプルに『あの人のこと好きだった』で良いんじゃないかって思うよ。まっ、俺は単純な性格だから」
「克己さんも失恋したことなんかあるの?」
「あるさ、そりゃあ。大概、『店と私とどっちが大事なのよ!』って振られるパターンだけど?」
おどけた克己さんの顔がおかしくて、吹き出しそうになる。でも笑ったらいけないっ。
「笑ってもいいよ。チョコちゃんなら許そう」
「笑わないよ。克己さんの変顔がおかしいけど」
「面白かった? 堪えず、笑い
「克己さんってユーモアがあるよね」
「学生の頃は、先生にひょうきんでお調子モンってよく言われてたよ。貴教が真面目で優等生キャラだからね、俺は常に兄に対抗意識があんの。双子だからって余計にかな。貴教とは違うって、似てないって思いたくって。キャラ被りしたくないからさ」
「無理してるの?」
「いいや、大丈夫。これが
今日は克己さんのことをたくさん知れる。
私は今まで以上にもっと仲良くなれた気がした。
マルさんとの恋も縁も終わってしまったけれど、私には友達がいてくれる。
それがとても心強いことに思えて、私は微笑むことが出来ていた。
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