第57話 マルさんの元奥さんを知ったチョコちゃん

 そっか、マルさんの別れた奥さんは長倉小夜さんなんだ。

 なんて偶然だろう。

 こんなことが、あるんだ。

 ――たぶん、私の勘は当たっていると思う。


「どうしたんスか? 皆さん、席に座りましょうよ」

「ばっ、馬鹿っ!」

「なに? 何なの? 瑠衣ちゃん。この異様な空気感、俺、事態がよく分かんないんだけど」

「もぉっう、鈍感!」


 長谷地くんが立ち尽くす私達を不思議に思って言ったら、瑠衣が彼の背中を勢いよく叩いた。


「……とりあえず席にどうぞ」

「はい」

「……」


 貴教さんが促してくれて、沈黙のなか予約席に着いていく。

 私、すぐには受け止められずにいるのかな?

 案外、平気な気がしてた。

 でも違ったんだ……。

 衝撃ショックを受けすぎると、感情も心も止まる。今の私は従順なロボットみたいに、ただ、みんなの後をついていく。


「チョコちゃん、連れて来たかったお客様って長倉さんだったのか……。ごめん。早く気づいていれば」


 克己さんが最後に席に着こうとした私に謝るのを聞いて、克己さんのせいじゃないって言いたかったのに、上手く声が出せなかった。


「ありがとう、克己さん。私は大丈夫」


 ようやく絞り出した私の声は小さくて、ちゃんと克己さんに届いて聞こえたかな。


「マルさん。良かったら、私達と一緒に座りませんか?」

「ちょっと、ちょっと、千代子。大丈夫なの?」


 気づけば、立ったままのマルさんに私はそう声を掛けていた。

 心配そうな瑠衣の言葉が嬉しかった。

 でも、私は逃げちゃ駄目だ。

 この場を設けたのは、私で。

 そう、私がこの機会を作ったんだから。

 責任がある。

 病気の長倉さん母娘をきちんと家に送り届けるまでは。


「今日は常温の白湯を用意しました。冷たい水がよろしい方はお声かけ下さい」

「ご注文がお決まりの頃にまた参ります」


 貴教さんと克己さんが、おしぼりとお水を置いていく。常温のお水にしてくれたのは長倉さん母娘を気遣ってくれたからだ。


「マルさん、どうします? 相席になさいますか?」

「……はい。お願いします」


 貴教さんがマルさんに聞いて、大人数用のテーブルにマルさんの分のおしぼりとお水も追加で持って来てくれると、マルさんは私の横に座った。


「……すいません。ご一緒させていただきます。長倉さん、僕はこちらの藤本千代子さんとお付き合いしています」

「そうみたいですね。びっくりしたわぁ。藤本さんのお相手が政宗くんだったなんてねぇ。ねっ、小夜?」

「藤本さん、ごめんなさい。分かってしまってると思うけれど」


 小夜さんが頭を下げて謝るのが、違う気がした。

 違うんです。

 小夜さんが謝ることじゃないんです。

 誰が邪魔者かって私には分かってる。

 ――だって。

 さっき、いや今も。マルさんが見ているのは……。


「はい。マルさんと小夜さんはご結婚されていたんですよね? ご夫婦だったってこと分かっちゃいました」


 ハハハと微苦笑したら、マルさんとは反対側の私の隣りに座る瑠衣が、手を握ってくれた。


「千代子、無理しないでいいよ。マルさん、説明してもらえますか?」

「い、いいよ。瑠衣。分かってるから」

「そうですよね。きちんと話します。長倉小夜さんは僕の元妻で、奈津子さんは義理の母でした」

「藤本さん、私と政宗くんはもう別れた夫婦だから、気にしないでね」

「もう終わってるんですか? 長倉さんは、千代子とマルさんが付き合ってるって聞いても平気なんですか?」

「えっ? そうよ。私のことは気にしないで欲しいの。もう私達は離婚したんだから。他人だから」

「小夜さん。分かりました」

「……小夜」


 なんて言ったら良かったんだろう。

 私は営業スマイルみたいな笑顔になっていた。心に色んな気持ちを隠して押し殺した。

 だって、隣りに座るマルさんの顔には、明らかに動揺した表情が浮かんでる。

 それに、哀しそうだった。


「……藤本さん、これもご縁だと思うの。今日はありがとう。藤本さん達が連れてきてくれた喫茶『MOON』のランチを私は楽しみにしていました。せっかくだから御飯を食べましょうか」

「そ、そうですよね。なんにしましょうか?」


 奈津子さんと瑠衣が重たい空気を吹き飛ばすように、明るい表情で話す。


「藤本さん、小夜のことは気にせず政宗くんと幸せになってちょうだい」

「奈津子さん」

「私も、藤本さんなら政宗くんを幸せにしてくれると思うし、安心だわ」

「……小夜さん」

「ごめん、小夜。すいません、お義母さん」

「――しっかし、千代子さんもタイミングが悪いというか、男運ないっスねぇ。でも好きならマルさんの過去も受け止めましょうよ〜」

「長谷地くん、ちょっと言い方っ! 気が利かないんだから。千代子が傷つくでしょうが。本当ホントデリカシーに欠けてるんだからっ」

「いててて、つねんないでよ。瑠衣ちゃん」


 しんみりとしたなかで、やっと事情を察したらしい長谷地くんのはっきりとした意見と瑠衣の元気な声は、案外場を和ませてくれた。

 こちらが照れちゃうぐらいに仲の良い瑠衣と長谷地くんのおかげか、それからは思いのほか楽しい雰囲気の食事会になった。


 卵やハムやトマトなどを挟んだサンドイッチの盛り合わせ、ミートソースパスタやボンゴレスープパスタ、特製ピザをみんなで取り分けた。

 他愛もない話で盛り上がって。


 喫茶『MOON』の美味しい料理を囲んで、私も次第に、ショックとどういう顔でいたらいいのかって思いすぎてガチガチに固まった心が溶けていくようだった。


 私はこの時に、マルさんとの付き合い方にある答えを出していた。

 私の心はもう決まっていた。

 ――私はマルさんのことが好き。

 大切な人だ。

 出会った頃より、付き合ってる今ではもっとずっと大切に思う。

 だけど。

 その出した答えはマルさんを好きだからこそ決めた。

 マルさんのためにといったら、負担になってしまうかもしれない。

 だけど、この決心は揺らいではいけないと思う。


 そうすることを選んだのは私だから。

 帰ったら、マルさんに告げなくっちゃね。

 この気持ちとこの想いを、ただ素直に、マルさんにぶつけよう。







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