第8話 「……」

「……」


「……」


 我が家のリビングには…

 変な空気が流れていた。



 慎太郎は、お墓参りの後。


「おまえんち行きたい。」


 そう言った。


「…は?」


 目を丸くするあたしに。


「紅美の親父さんとおふくろさんに会いたい。」


 その真顔に、嫌とは言えず…

 連絡してみると、珍しく…奇跡的に…二人とも家に居た。


 …なんで今日に限っているの…!!


 って気も、しなくはかったけど…



「え…っと、こちら…」


 あたしが慎太郎を紹介しようとすると。


「久世慎太郎です。」


 慎太郎は、深々と頭を下げた。



 一般人と付き合ってる。


 あたし、母さんにそう言ったから…

 たぶん、二人とも…

 これはもしや…って思ってる…はず…

 特に父さんは、もう…見た事がないような情けない顔になってるよ…



「…紅美さんを、俺にください…」


「!!」


 え!?


「…って言いに来たわけではないので、ご安心下さい。」


「は…」


 あたしは首をすくめて笑いそうになったけど。


「はああああああ~……」


 父さんは、床に転げ落ちる勢いで、深く息を吐いた。


「…ここ数週間、ずっと…紅美さんに俺の面倒を見させてしまいました。すいません。」


 慎太郎の、低い声。


「面倒…とは?」


「…俺は、もう長くない。病気なんです。この後、故郷に帰ります。」


「……」


 父さんと母さんは、無言であたしを見た。


「入院中…ずっとついててくれました。彼女の貴重な時間を…俺に使わせて…申し訳ない反面、感謝してます。」


「え…えーと…君と紅美は…付き合って…?」


 父さんの言葉に、慎太郎は。


「…紅美さんは家出中、俺の所にいました。」


「あ…」


 母さんが、あたしを見た。

 そして。


「俺の父親と弟は…関口亮太に殺されました。」


 その言葉に…父さんが立ち上がった。

 立ち上がったけど…言葉が出て来なくて。


「…あなた…」


 母さんが、手を取って…父さんはゆっくりと座った。


「…俺の母が…紅美さんに新聞記事を送りました。」


「……」


 慎太郎から次々と出される衝撃の言葉に、父さんも母さんも…

 ただただ、驚いて戸惑うだけだった。


「知らなくていい事を…知らせてしまった事…謝ります。」


「……」


「その結果…彼女が家を飛び出して…」


 慎太郎は、あたしを見て。


「…俺と、出会った。」


 少しだけ…笑った。


「もちろん、お互いの生い立ちなんて知るはずもないし…話もしなかった。だけど…ある日、彼女から関口の話を聞いて…」


 あの話をしたら…慎太郎はいなくなった。

 あれがキッカケで…慎太郎は、始まったばかりのあたしとの関係を…もう、終わらせるつもりになったんだ…



「…生きてると…色んな事があって…」


 慎太郎は、伏し目がちに続けた。


「どうして自分には、こんな悪い事ばかりが続くんだ…って思いも、ありました。」


 …あたしもだよ…慎太郎…


「だけど…結果、振り返ると…」


 慎太郎は、あたしの顔を見て…そっと、手を握った。


「その悪い事を超えるほどの、幸せも多くあったのに…悪い事にばかり気が向いて、気付いてなかったな…と。」


「…慎太郎…」


「人を恨んでばかりいたおふくろは、俺を愛して止まなかったし…出会い方は酷かったけど…おまえと出会えた事は人生最大の宝だったし…病気にはなったが…色んな事に気付けたし…」


「……」


「なんで人って、傷付くと…幸せを忘れるんだろうな…って、すげー思った…。おまえの話聞いてても…そう感じた。」


 あたしの目から…ポロポロと涙がこぼれて。

 慎太郎が、それを…優しくぬぐった。


「辛い事、ばっかだったな。でも、越えられなくてもがいてる今、おまえの周りには…おまえを愛してくれる人は一人もいないか?どんなに小さくても、幸せだと思える事を、おまえ…忘れてないか?」


 あたしは…慎太郎の言葉に…声をあげて泣いた。

 そんなあたしを見た父さんと母さんも…泣いた。


 そうだよ…

 あたし、全部生い立ちと人のせいにした。


 壊れたい、壊されたい、誰かにこの寂しさを埋めて欲しい。

 …望んでばかりの毎日…

 人の優しさや温もりを…無視してた…



 父さんがいて、母さんがいて、学がいて、沙都がいて…

 ギター弾いて歌って…

 ちょっと…こっそり…イトコの海くんに恋なんかして…

 毎日、その日常が楽しくて…

 ビール飲んで笑って…


 あたし…いったい、何に囚われてたの?


 生い立ちなんて。

 あたしの傷なんて。



「おまえは、生まれ変われるよ。」


「…し…ん…」


 あたしは…慎太郎の痩せた胸にすがりついた。

 あたしの知ってる、力強い腕じゃなかったけど。

 慎太郎は…あたしをギュッと抱きしめて。


「どこにいたって…俺はおまえを応援してる。」


 耳元で…そう言ってくれた…。





「紅美の歌が聴きたい。」


 慎太郎がそう言って。

 急遽…あたしは、家の地下にあるスタジオで、歌う事になった。


 …今までありそうでなかった事。

 …父さんとの、セッション。



「Lovely Daysのコード知ってる?」


 アコースティックギターを担いで父さんに問いかけると。


「おまえ…俺の職業を何だと思ってる?」


 父さんは眉間にしわを寄せた。


 …DANGERのデビュー曲…Lovely Daysは…

 辛い真実を知って…慎太郎に出会って…ヘヴンのみんなと知り合って…

 まるで夢みたいな日々だった、あの頃を歌った曲。



 観客は…慎太郎と、母さん。

 二人は並んで座ってる。



「えーと…じゃあ…一曲…」


 照れくさい。

 これが本音。

 だって、こんな風に母さんの前で歌うのも…父さんと一緒に演るのも初めてだし…


 …慎太郎の前で歌うのも、初めて。



 あたし…最近気が抜けまくりだったもんな…

 ちゃんと、歌えるかな…



 父さんと顔を見合わせて、カッティングしながらカウントを取る。


「One,Two…」


 …いつぶりだろう…

 こんな気持ちで…歌うのって…

 そう思うと、ここ最近のあたしの歌なんて…

 ほんっと…最悪だよ…



 サビで、思いがけず父さんにハモられて。

 あ…なんか、嬉しいや…って思った。

 父さん…ちゃんと、あたしの歌…聴いてくれてるんだ…って。



 歌いながら…感じた。

 あたしは、この歌を…

 どれだけ自分が人に支えられているか…

 その気付きを書いたのに…


 全部、忘れてる。



 今も、朝子ちゃんが憎い。

 朝子ちゃんを選んだ、海くんも…憎い。

 だけど…それだけ?


 違うよ…


 あたしには、それに勝る愛も魅力も力もなかったんだ。

 ただ、憎んで恨んで…悲しくて苦しくて…辛くて逃げた。



 みんなに心配かけた。



 沙都なんて…ほんと、つきっきりだったじゃない…


 ああ…

 そう言えば…

 やめさせなきゃ。

 あたしのために、好きでもない子と付き合うな。って。



 それに…

 ノンくん。


 ムカつく事も多いけど…

 気が付いたら、さりげなくそばにいてくれた。

 …今も、あたしにとって…イトコのクセに、謎の多い人。


 度の過ぎたスキンシップは…

 今更だけど…思い出すと恥ずかしいな…

 …結局、気まずいまま。

 ちゃんと…話して謝ろう…。



 沙也伽…

 いつも、あたしの背中を押したり、叩いたり…

 最高の親友だよ…

 なのに、あたし…

 沙也伽の辛い時は、ここにいなかった。


 …あたしなんて、親友って思われる価値もない。


 なのに、いつもいつも…あたしの事、気にかけてくれる。



 …父さん、母さん…

 あたし、生い立ちを知って…

 勝手に被害妄想を膨らませて…

 二人がどんなにあたしを愛してくれたか。

 それって、あたしが一番知ってるはずなのに。


 バカだ。


 あたし…一生かけて、親孝行する。



 …慎太郎。

 ありがとう。


 命を懸けて、あたしに…思い出させてくれて…ありがとう。


 あんたは…

 あたしの愛した男で…

 あたしの、心の恩人だ。



 ありがとう。

 本当に…



 ありがとう。





 Lovely Days


 交わした言葉 かけがえのない温もり

 膝を抱えた夜も 守ってくれた背中


 悲しい事は全て 悪い夢だと思えばいい

 目覚めればそこに必ず愛があるから


 歩いて行くよ 目指すあの場所へ

 辿り着けるまで諦めずに

 届くならば あの太陽が沈むまでに


 頑なな気持ち 重く閉ざした心

 開く勇気と鍵を教えてくれた背中


 悲しい事も全て抱きしめて眠ればいい

 目覚めるたびにきっと強くなってくから


 歩いて行くよ 目指すあの場所へ

 辿り着けるまで諦めずに

 望むならば あの白い月が満ちるまでに


 嵐の夜も 舞い散る雪の日も

 あたしの心はずっと闘ってる

 道標は自分で立ててゆくから


 立ち上がってみせるよ 何度転がっても

 険しい道を体が拒んでも

 あの眩しい青に負けない輝きを手に入れるまでは





「可愛い娘のベッドに…よく知らない男を入れるなんて…おまえの親、どうかしてるな。」


 天井を見ながら、慎太郎が笑った。



 歌い終わった後…目を閉じて、優しい顔になってた慎太郎に…


「今夜は、うちに泊まらない?」


 母さんが言った。


「え?」


 続いて…


「紅美、明日の仕事何だ?」


「え…えーと…明日はスタジオだけ…」


「ったく…いつまでたっても給料泥棒だな…明日は休め。」


「え?」


「故郷はどこだ?明日みんなで送って行く。」


 父さんが、慎太郎にそう言った。


 慎太郎は、瞬きをたくさんして。


「いや…でも…」


 渋ったけど…


「いいから。俺達がそうしたいんだ。」


 父さんに押し切られた。



 体の事を考えて、本家から…あたしでも乗った事のないような、大きくて振動の少ないいい車を借りる事になって。

 しかも、織姉の提案で…運転手までついた。



「すげーよな…二階堂。」


「本家がね。」


 あの繁華街界隈では…

 二階堂と言えば、誰もが知ってるヤクザ。って事になってる。

 慎太郎は、今も二階堂をそうだと思ってる。



「…まさかだな…」


「何が?」


「おまえと、こうしてる事。」


「ははっ…確かにね…」


「…会いに来るの…悩んだ。」


「…うん…ねえ…」


「あ?」


「…言いたくなかったら、言わなくていいけど…」


「何だ?」


「…あたしに会った後…死ぬつもりだった?」


「……」


 あたしの問いかけに、慎太郎は少し間を空けて。


「…どうなんだろうな…ただ…本当に、おまえに会いたい…だけどそんな事…許されない…って葛藤が続いて…」


 そして、少しまた…考えて…


「…会いたい…いや、会って謝りたいって思った時に…決心がついた。」


 そう言った。


「…その後の事は…正直…考えてなかったな……でも…おまえに会った後…自分のやりたい事は終わった気がしたら…空っぽになったのは事実だ…」


 あたしは、慎太郎の手を取る。


「でも、おまえが覚悟を決めてくれて…死ぬ覚悟より生きる覚悟をした。そして…おまえの話を聞いて…」


 慎太郎は、少しだけあたしの方に顔を向けて。


「…おまえの…その、何かに囚われた気持ちを…解き放ってやりたいって思った…」


 囁くように…言った。


「…慎太郎、ありがと。あたし…本当、憑き物が落ちたみたいな気分だよ。」


 あたしは体を動かして…慎太郎の頭を抱きしめた。


「…残念だな…あんなに抱きたいと思ってた体がここにあるのに…何も反応しねえなんて…」


 あたしの胸元で、慎太郎がつぶやいた。


「ははっ…それは残念だったね。」


 それでも…優しくあたしの胸に触れると。


「…紅美…」


「ん?」


「…今夜は…このまま…眠っていいか?」


 カッコ悪いとでも思ったのか…

 本当に、消え入りそうな声で言った。


「うん…いいよ。」


 あたしは、慎太郎の髪の毛にキスをして。


「…おやすみ、慎太郎…」


 慎太郎が…幸せな夢を見れるよう…祈った。



 * * *


 それはまるで…

 遠足気分だった。


「うわー!!すごい!!紅美ちゃん見て見て!!」


 スタジオに入れないと連絡を回すと。

 ノンくんと沙也伽からは、了解とだけ返事があって。


 沙都からは…


『何で?何かあったの?もしかして、慎太郎さんの事?』


 と…電話があった。


 それで、慎太郎の実家まで送っていく話をすると…


『僕も行く!!』


 沙都は…朝早くから、うちに来た。



「沙都、はしゃぎ過ぎ。」


 車の窓を全開にしてる沙都の襟元を引っ張ると。


「ふっ…いつまでも、沙都坊だな…」


 慎太郎が笑った。



 不必要に長い車体のリムジン…

 いったい、本家では誰がこれに乗ってるんだ?なんて言いながら。

 慎太郎は、その車内を楽しんでいる。


 …とは言っても、ほとんど横になってるけど。



 …何となく…不思議な感じだった。

 父さんと母さんが、慎太郎に寄り添って…

 沙都も、そうして…

 まるでそこに、慎太郎の家族がいるみたいだった。


 お父さんと、お母さんと、慎太郎と、凜太郎くん…


 慎太郎が眠そうにすると、母さんがタオルケットをそっとかけたり…

 咳をすると、父さんが体を擦って…

 体を起こそうとすると、沙都がそれを支えて…


 …慎太郎は、優しい顔をした。


 ずっと、冷たい顔をして生きてきたであろう慎太郎は…

 ここ数週間で…とても、人間らしくなった…と、自分でも言ってた。



「慎太郎!!」


 慎太郎の実家の前に到着すると、家の中から、大勢の人が現れた。


 …これが、慎太郎の仲間?


「紅美ちゃん!!」


 もう、すっかりあたしを『紅美』と呼んでくれるようになったルミちゃんが、あたしに駆け寄って。


「ありがとう…本当に、ありがとう!!」


 そう言って、ギュッと抱きついた。


「…お礼なんて…」


「ううん…慎太郎、帰って来てくれるなんて思わなかった…。電話もらった時、みんなで泣いて喜んだの。」


「……」


「君が、紅美さん…」


 ルミちゃんの後ろから、ガタイのいい男の人が現れた。


「慎太郎から、色々話は聞いた…ありがとう…あいつを…ここに帰してくれて…本当に、ありがとう…」


「…寿和としかずさん?」


「うん。」


「…ルミちゃんを幸せにしてくれて、ありがとう。」


「紅美ちゃん…」


「それと…慎太郎の事…これからも宜しくお願いします。」


 あたしは、周りにいたみんなにも…深々と頭を下げた。



 慎太郎…

 みんなに愛されてるんだな…



 みんなで家に入らせてもらって…

 お父さんと、凜太郎くん、そして…お母さんの仏前に、お線香を上げさせてもらった。

 それから、お墓参りもしたい…って、あたしは…沙都と二人でお墓の場所を聞いて歩いた。



「…すごいロケーションだね。」


 あたしが海を見下ろして言うと。


「…慎太郎さんも、ここに入るって言ってたよ。」


 沙都が、遠慮がちに言った。


「…そっか。ここなら寂しくないね。みんなが仕事してるのも見えるし。」


 少し小高い場所にあるお墓。

 そこからは、慎太郎がみんなと働いていた港が見える。



「…沙都。」


「ん?」


「次、いつ彼女に会うの?」


 墓前に手を合わせた後、あたし切り出した。


「…え…なんで…?」


「いつ会うの?」


 目を見て問いかけると。


「…明日だけど…」


 沙都は、テンションの低い声。


「ちゃんとデートしてんの?」


「…まあ…それなりに…」


「ちゃんと、好きなの?」


「……」


 あたしの問いかけに、沙都は目を逸らした。


「…気になるなら向き合えって言ったけど、好きじゃないならやめなよ?」


「…気になってるよ?」


「もう結構付き合ってない?まだそんなレベルなの?」


「……」


「ま、沙都がいいならいいけどさ。」


「…紅美ちゃん。」


「ん?」


「……ううん。なんでもない。」



 慎太郎の家に帰ると、ささやかな宴が始まって。

 慎太郎は、みんなに囲まれて…幸せそうだった。

 あまり見た事のない…大きな口をあけて笑う慎太郎。


 …引き留めなくて良かった。


 そう思えた。


 慎太郎は…ちゃんと、自分の居場所を分かってる。



「お世話になりました。」


 さすがに疲れた慎太郎は、横になったまま…父さんと母さんに言った。


「こちらこそ。うちに来てくれてありがとう。」


 二人は…慎太郎の頬や髪を触って…


「…何か…嫌がらせっすか?」


 慎太郎に苦笑いされた。


「…またね。」


 あたしがそう言うと。


「…ああ。またな…」


 慎太郎も、そう答えた。


 沙都は…無言で、慎太郎とハイタッチをかわして。

 あたし達は…家を出た。

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