第7話 「…おまえ、なんて顔してんだ?」

「…おまえ、なんて顔してんだ?」


 わっちゃんが、眉間にしわを寄せた。


「や…やっぱ…酷い顔してる…?」


「何があった?検査結果が悪かったか?」


 病院のロビー。

 あたしは、仕事がない時間は全て病院に来ている。

 おかげで家では父さんと母さんが二人きり。


 あたしは…一般人の彼氏が出来たから、その人といる。

 いつか紹介するから、待って。と伝えた。



「ううん…」


「どう見ても、泣いた顔だぜ?」


「…慎太郎がさ…」


「ああ。」


「…海くんとの事、話せ、って…」


「……」


「一から全部、話した。」


「…そっか。」


「話してるとさ…思い出すじゃない。だけど、慎太郎…それはあーだな、これはそーだなって…笑ったり…一緒に泣いたり…」


「……」


「なんか…昨日じゃないのに、昨日みたいだって言ったら…俺には、今の話にしか聞こえないって…泣くんだよね…自分の治療も辛いのにさ…」


「…治療、弱音吐かずに頑張ってるな。」


「うん…うん。なのに…あたしの、心配までしてさ…バカだよね…あいつ…」


「それが彼の生き甲斐にもなってるんじゃないか?」


「……」


 ティッシュを出して、鼻をかむ。


「はー…」


「一緒に、乗り越えられるといいな。」


「…うん…」


 あたしにつられて、わっちゃんも涙目。



 慎太郎が去った後…

 あたしは、海くんと恋をした。

 だけど、慎太郎はお母さんを支えて、生活を変えて…一人で頑張ってた。

 なのに今…今度は、あたしのために生きようとしてくれてるなんて。



 沙都とは…相変わらず、仲のいい姉弟関係。

 ノン君とは…必要以上に言葉は交わさない。

 仕事仲間としては、キチンと接してくれる。

 …その辺は、大人だな…って、尊敬できる。



 どこにでも行けばいい。


 …冷たい声だった。

 思い出すと…少しだけ胸が痛む。


 結局、あたしは誰かを苦しめて傷付けて…

 楽になりたいクセに、もっともっと自分で首を絞めてる。



「…紅美。」


「…ん?」


「酷な事を言うけど…」


「…何?」


「…彼が生きてる間に…前に進めるといいな。」


「……」


 わっちゃんの言葉に…あたしは唇を食いしばった。


 …慎太郎は…

 治療はしてるけど…死からは免れない。

 今、告げられてる数字より…ほんの少し長く生きる事ができるかもしれない。


 …だけど、慎太郎は…


「今、病院で治療受けてるクセに、生きてるって気がする。」


 そう言って、笑う。


 あたし…


 生きてる?


 あれからずっと…

 生きてるって…感じた事…ないよね…



 * * *



「おっす。」


 沙也伽に呼び出されて朝霧家に来ると、わっちゃんがいた。


「ここでも会うとは…何、里帰り?」


「ああ、たまにはな。」


 わっちゃんと空ちゃんは、病院に近い高級マンションで暮らしてる。

 一度はお邪魔したいなあ。


「空ちゃんは?」


「二階で姉さんたちと何かしてるよ。」


「沙也伽も?」


「ああ。」


「ほんっと、ここは嫁姑仲がいいよねぇ。」


 ソファーに座ってくつろいでると。


「あっ!!」


 廉斗れんとが顔をのぞかせた。


「きゅみちゃあんっ!!」


「よっ。」


 沙也伽と希世の息子で、この夏二歳になる廉斗。

 男の人にはなつかないらしい。

 廉斗は、わっちゃんを警戒しながらあたしの膝に来た。


「…そこまで警戒されると、軽くヘコむな…」


「ははっ。一日中一緒に居たら慣れるよ。」


 …可愛いな。

 子供って…本当…癒される。



「…おまえ、少し痩せた?」


 ふいにわっちゃんが、あたしの顔を見て言った。


「そう?変わんないと思うけど。」


 わっちゃんは少しだけ周りを見渡して。


「…今はそれどころじゃないかもしれないけど…ちゃんと検診行ってるか?」


 小さな声で言った。


「検診?何の。」


「婦人科。」


「あー…あれね…」


「行ってるのか?」


「ううん。」


「今後の事も考えて、ちゃんと行けよ。」


「別にいいもん。一生独身でいるから。」


「あてつけにか?」


「まさか。」


 廉斗を抱えて立ち上がる。


「あたしは、ずっと父さんと母さんのそばにいるんだって決めてるの。」


「……」


 廉斗を抱き締める手が、少しだけ切ない。

 あたしも…本当なら、あの時…って。

 何の事故もなく産まれてたら、今頃は…って。



「あたしね…」


 廉斗を抱き抱えたまま、話しだす。


「正直言うと、自分の生い立ちが今でも嫌い。」


「……」


「だから、父親に殺された人たちのこととか考えちゃうと…どうしても、あたしが償わないといけない気がしてさ。あたしが結婚しなきゃいいってことでもないんだけど、なんとなく…そこまで幸せになっちゃいけないような気がしてる。」


「……」


「ま、父さんと母さんに拾ってもらって…その恩返しに一生そばにいたいって思ってるってとこもあるけどさ。」


「恩返しなら、幸せな結婚をするべきじゃないのか?」


 わっちゃんが苦笑いしながら言った。


「…そうなのかな…」


 あたしが廉斗の頭に唇を落としてるのを、わっちゃんは少しだけ切なそうな目で見て。


「怖いのか?」


 小さな声で問いかけた。


「何?」


「もう、人を好きになるのが怖いのかと思って。」


「……」


 違う。

 もう恋はいい。

 そう思う反面…

 海くんじゃないと、嫌だ。


 そう…ハッキリ想ってるあたしも、どこかに居る。


 だけどそれに気付いたら…

 あたしは、どんな手を使ってでも、朝子ちゃんから海くんを奪おうとするかもしれない。


 …そんな事…



 慎太郎に、リハビリと題して一から告白させられて…

 口にすることで…楽になった事もあれば、苦しくなった事もある。

 だけど、気が付いた。

 あたし…目を背けすぎだ…



「あ、紅美来てたんだー?」


 ふいに二階から空ちゃんの声。


「うん、久しぶりー。」


 お腹が少し出てきてる空ちゃんは、幸せそうな笑顔。

 もうすぐ待望の赤ちゃんが産まれる。


「…何も知らずに行ったとは言え、椿では気を使わせてごめん。」


 あたしがそう言うと、二人は思い出したようにハッと目を見開いて。


「紅美が謝る事じゃない。」


「そっ…そうよ…あたし達こそ…ごめん。」


 申し訳なさそうに両手を合わせた。


「…美味しいケーキでも出てきたら許す。」


「あっ、もう。紅美、鼻が利くんだから。」


 空ちゃんは苦笑いしながら、キッチンに向かう。


「俺がする。空、座ってろよ。」


 わっちゃんが空ちゃんを労わる姿に…少し温かい気持ちになった。



 みんなが幸せなら、それでいい。

 あたしは…このままでも。


 でも、自分で問いかける。


 …ねぇ、紅美。

 本気でそう思ってる?



「待たせてゴメン。」


 沙也伽の用事が終わって。

 あたしは、廉斗を抱えたまま、沙也伽の部屋に行く。


「いいよ。可愛がってもらってるんだね。」


「うん。朝霧家、みんなめっちゃ優しい。」


 沙也伽はとても幸せそうで。

 それが…さらにあたしを和ませた。



「で?話って何?」


 今日は、沙也伽から呼び出された。

 話があるから、うちに来ない?って。


「うん…ちょっと気になる事があってさ…」


「気になる事?」


 沙也伽はなぜか少し小声で。


「…沙都の事なんだけど…」


 あたしに体を近付けて言った。


「…沙都?」


「うん。彼女が出来たっぽいじゃない?」


「…うん…」


「その相手の子がさー…なんて言うか…」


 沙也伽は『ちょっと待ってね』なんて言いながら部屋を出て。

 少しして、アルバムを手にして戻って来た。


「…卒業アルバム?」


「うん。あんたも載ってるやつ。」


「…て事は、沙都の?」


「うん。」


 あたしは家出のせいで留年して、沙都と同学年になった。

 同じクラスにはならなかったけど。

 あたしのクラス、三年二組には、今や学の婚約者となったチョコこと早乙女千世子がいた。


 …海くんの、腹違いの妹…


 海くん、チョコの事、空ちゃん達とは違った所で愛しく思ってて、それを罪悪感みたいにも思ってたんだよね…

 …くそ真面目。



「それが何?」


 沙也伽はパラパラとページをめくって。


「この子。」


 沙也伽が開いたのは、学と沙都の四組ではなく…女クラと呼ばれていた女子だけのクラス。

 三年九組だった。


「…桜井久美…」


 沙也伽の指差した『桜井久美』ちゃんは…

 いわゆる…今時っぽい感じの…

 …この子誰だっけ…なんか…見た事あるような…



「この子さ、確か、中等部の頃から沙都の追っかけグループにいた子なんだよ。」


 沙都には昔からファンクラブ的な物があって。

 だけど、そこではあたしと沙都は周知の仲だった。と聞いた事がある。


「それでさ…あんたがアメリカ行ってる間に、ちょっと…うちの店で噂を聞いちゃったんだよね…」


「…噂?」


 沙也伽の言う『うちの店』とは、ダリア。

 ダリアは、沙也伽の実家だ。

 そんなわけで、沙也伽は昔から音楽に慣れ親しんでる。

 最も、沙也伽の兄貴、れつくんは音楽は聴き専門で、モデルをしてるけど。



「何の噂?」


「…今更かもしんないけど…あの、万引き事件。」


「………」


 すごく…懐かしい話のような気がした。

 あたしは目を丸くして、沙也伽を見る。


「どうも…その桜井久美が関係してた、って。」


「……」


 あの日は…沙都とCDショップに寄り道して。

 万引きしただろ。って、店内の事務所に連れて行かれた。

 防犯カメラの死角で、何も検証されなかったけど…

 …確かに、あたしが万引きしてるのを見たって証人がいるとは言われた…気がする。


 ま、あたしがそのまま逃走して家出。って事になって…

 その後、その件に関してどうなったかなんて…

 気にもしてなかった。

 あたしが帰って来た時には、あの店…潰れてたし。



「…でも、別に証拠があるわけじゃないんだよね?」


 あたしが首をすくめながら言うと。


「うん。ないけど…ないから…なのかな?って…」


「何が?」


「沙都。もしかして、白黒ハッキリさせるために…その子に近付いてるんじゃないかな。」


「何をバカな………」


『でも僕は君を好きになれない』


 …そう言えば…

 この写真の子、あの子だ。

 沙都と、公園で会ってた…



「…なんかさ、今のあんた見てると…あたしも含めて、みんなほっとけないんだよ…」


「…え?」


 沙也伽の言葉に、顔を上げる。


「全然…吹っ切れてないよね?」


「……」


「一瞬、あ、立ち直ったかなって思った事もあったんだけど…」


「…ダメだね、あたし。ほんっと…イヤんなる…」


 溜息と共に、言葉を吐き出すと。


「辛い時は辛いって言って、ちゃんと甘えられる所に甘えなよ。」


 沙也伽は、あたしの肩を抱き寄せた。


「…みんな、あたしを甘やかし過ぎ…」


「いいのいいの。」


「…沙都…そんな事して欲しくないな…」


「あいつなりに考えてやってるだと思う。待っててやって?」



 あたしの事…考えてくれてる沙都…


 あたしは…

 ノンくんと寝ちゃってたんだよ?

 好きかどうかも分からないのに…



 どんどん自分が汚れてく気がする。


 …だけど…


 止められない。


 自分では、どうにもできない。



 * * *



 慎太郎の調子が少し良くなって。

 もしかしたら…一時退院できるかもしれないって話が出て来た。



「どうする?『影』のマスターの所にお世話になる?それとも、部屋借りようか?」


 あたしがタオルをたたみながら問いかけると。

 慎太郎は眠そうな顔で。


「朝霧先生と…話したんだけどさ…」


 朝霧先生。

 ははっ。

 慎太郎、わっちゃんの事、ちゃんと先生って呼んでるんだなあ。


「うん。何を?」


「一時退院つーか…この後は、地元に戻ろうかと思ってさ…」


「え…」


 思いがけない言葉に、あたしは声を詰まらせた。


 だって…

 慎太郎…


「…おまえに、こっちで看取ってもらうつもりだったが…」


「…あたしが…弱いから?」


「ふっ…違うさ。」


「じゃあ…なんで?」


「…こないださ…ルミと寿和としかずが来たんだ。」


 寿和とは、慎太郎の幼馴染で…ルミちゃんの旦那さんだ。


「…長い間…こっちで生活してたのに…やっぱり人間って、生まれ育った場所は、そう簡単には捨てられねんだなって思ったんだ。」


「……」


「生活の中に…普通に波の音や潮の香りがあって…小さな漁村で…一緒に育って来たあいつらがいて…」


「…じゃあ、あたし、ついてく。」


「ふっ…言うと思った。」


 慎太郎は静かに笑うと。


「たまに、遊びに来いよ。美味い魚食わしてやるから。」


 あたしの手を握って言った。


「…ついて来いって、言わないの?」


「あそこは、おまえの居るべき場所じゃないからな…」


「……」


「あっちに帰る前に…行きたい場所があるんだ。」


「…行きたい場所…?」



 それから三日後。

 慎太郎は、退院した。

 その足で…向かったのは…

 あたしの実の父親で…慎太郎のお父さんと凜太郎を殺した…


 関口亮太の…お墓。


「……」


 バサッ


 墓前に立った慎太郎は。

 いきなり、お供えの花を墓石に投げつけた。

 あたしは…ただ、見守るしかできない…



「…あんたのせいで…人生狂っちまった人間が…どれだけいると思ってんだ…?」


 慎太郎は、立ったまま…低い声で言った。


「被害者家族もそうだし…何より…本当は…あんただって愛して止まなかったはずの…紅美の人生まで…」


「…慎太郎…」


「……ま、おかげで…紅美と出会えたけどな…」


 慎太郎は落ちた花を拾って、それを墓前に手向けると…

 ゆっくりと、しゃがみこんだ。


「…許すとか、許さないとか…そんな次元の話じゃなかったけど…今となっては…許したいって思う…」


「……」


「誰かを許さないまま、自分の命を終えるなんて…気持ち良くねえしな…」


 あたしは…慎太郎の隣に腰を下ろすと。


「…この人、許されなくて当然だと思うけど。」


 小さくつぶやいた。


「…こいつ自体はな。でも、こいつのせいで、おまえが自分の生い立ちを…自分自身を憎むのは…いただけない。」


 慎太郎は、ゆっくりと手をあたしの頭に乗せて。


「俺は…本当に…おまえに出会えて良かった。」


 あたしの目を見て…そう言った。


「…慎太郎…」


「…運命だったのかもな。」


「…運命…?」


「誰かを恨むより、それを忘れるぐらい誰かを愛して、温かい人間関係の中に生きろって…親父と弟が教えてくれたのかもしれない。」


 頭を、少しだけ抱き寄せられた。


「誰も、あんな事件の犯人なんて、許しゃしねえよ。けど…俺は…失った物より…得た物の方が大きかった……今となっては、だがな。」


 目を、閉じる。


「紅美。」


「…ん?」


「あいつの事、忘れなくていいんじゃないか?」


「………え?」


 だって…慎太郎…


「忘れさせてやるって…大きなこと言ったクセに…って思ってるか?」


「…うん。」


「ははっ…」


 慎太郎は墓前を見上げて。


「忘れるには、その時ってのが来ないと無理なんだよ。」


 少し…清々しい顔をした。


「あいつの事を話しながら…泣いてるおまえは…」


「……」


「…涙でぐちゃぐちゃの顔して、ブスだったけど…」


「なっ…」


「きれいだった。」


「…………意味分かんない…」


「ふっ。」


 それから…

 慎太郎は、墓前で手を合わせた。

 あたしは…もう、何だか…それが嬉しいのか悲しいのか苦しいのか…

 とにかく、何だか分からないけど…

 涙が止まらなくて。


 そんなあたしを、慎太郎はギュッと抱きしめて。


「紅美…おまえには、何の不自由もない。気持ちを…心を自分で縛るな。」


 関口亮太の墓石を見ながら…そう言った…。

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