第21話 病院に行くと…

 病院に行くと…

 海くんの症状は、精神的な物だと診断された。

 あたしは…それがショックだった。


 精神的な物。


 それって…

 あたしが怪我をした事?

 紅美ちゃんと別れた事?

 あたしを選んだ事?

 自分の気持を抑えてる事?


 …どれも当てはまる気がして…あたしは落ち込んだ。



 それから…海くんは何度かあたしを誘ったけど…

 四度目の時…あたしは泣いてしまって。


 そして…

 やっぱり。なんて言ってしまった。



 海くんは傷付いたはずなのに、あたしに謝ってばかりで。

 それがまた…あたしの神経を逆なでした。

 どうして謝るの?

 それ、何の謝罪?



 きっと…海くんには、あたしの不安が伝わってた。

 だから、その不安を拭おうと必死だった海くん。

 今すぐにでも子供が欲しいなら、何か方法を考えよう…って、産婦人科に相談に行ったりもした。

 でも…もうあたしの気持ちは少しどうでも良くなっていて…

 海くんが必死になれば必死になるほど…

 落ち込んだし…海くんを憎いと思うようになった。



 そんな中、少しの間帰国する事になって。


「婚約パーティーをしてくれるってさ。」


 海くんが優しい笑顔をしてくれるのに。


「…行かなきゃいけない?」


 あたしは…暗い顔で答えた。


「主役だぞ?」


「……」


「朝子。」


「…考えとく。」


 ドン。


 いきなり…海くんに肩を掴まれて、壁に押し当てられた。


「いい加減にしろ。」


「……」


「頼むから…もう少し俺を信用してくれ…」


 海くんは切なそうな声でそう言うと、あたしと額を合わせて…

 それから、ゆっくりと離れて寝室に入って行った。


「……」


 壁にもたれたままのあたしは…そのまま、ズルズルと床に座り込む。


 海くん…怒ってた…

 だけど…悲しんでもいた…



 あたし…どうしたらいいの?

 本当なら、嬉しくてたまらないはずなのに…

 いつから、こんなに嫌な女になったの?



「…朝子。」


 座ったままで泣いてると、海くんが来て…あたしの前にしゃがみこんだ。


「…痛かったか?ごめんな…」


 海くんはそう言って、あたしの肩に触れて…ゆっくりと抱きしめてくれた。


「…あたしこそ…ごめんなさい…」


 海くんの胸で、そうつぶやく。


「朝子が謝る事はない…」


「だって、あたし…我儘ばかり…」


「そうさせてるのは、俺だから。」


「……」


「不安にさせて、悪い…」


「海くん…」



 そして数日後、あたし達は帰国した。

 気の乗らなかった婚約パーティーは、帰国した翌日…行われた。





『椿』という料亭で行われた婚約パーティーは…

 すごく盛り上がった。

 二階堂の人ばかりだし…

 知った顔での大宴会は、当然だけど…長く続く。



「朝子、疲れてないか?先に帰って休んでいいぞ?」


 優しい海くん。


「うん…じゃあ、もう少ししたら帰るね。」


「ああ…泉に言っておくから、連れて帰ってもらえ。」


「一人で大丈夫よ?」


「ダメだ。」


 あたしと海くんがそんな会話をしてると。


「俺達も帰るから、一緒に帰ろう。」


 そう声をかけてくれたのは…空ちゃんの旦那さん、渉さんだった。

 隣で空ちゃんも手招きしてる。


「じゃあ…頼んだよ。」


 海くんが渉さんにそう言って、あたしは空ちゃん達と家に帰った。



「あー、久しぶりに飲んだ。」


 空ちゃんはご満悦。


「椿って料理も美味しいし、良かったなー。」


 あたしは久しぶりの洋館のキッチンでお茶を入れる。


「どうぞ。」


「あ、ありがとう。」


 渉さんは湯呑を手にして。


「その後、体調はどうだい?」


 あたしの顔を見た。


「…大丈夫です。」


「そっか。」


「兄貴とは仲良くやってる?」


 空ちゃんの問いかけに、あたしは少しだけ顔が引きつるのを感じた。


「……」


「……」


「…朝子?」


「え…あ…ああ…うん…」


 すごく…適当な返事になってしまって。

 空ちゃんも渉さんも…少し黙ってしまった。



 しばらくすると、空ちゃんがまだマンションに運んでない自分の夏物をあさってくる。って部屋に上がって。

 あたしは…渉さんと二人きりになった。



「…朝子ちゃん。」


「はい…」


「大丈夫?」


「…何がですか?」


「色々、辛いんじゃない?」


「…海くん、何かあたしの事で愚痴でも言ってるんですか?」


 あたしの言葉に、渉さんは少し不思議そうな顔をして。


「海に、愚痴らせてるって思ってるんだ?」


 キッパリ言った。


「……」


 あたし…もう、そんな目でしか…海くんの事見てないなんて…


「…朝子ちゃんの辛い気持ち…分かるよ。でも、前に進むためにも…皮膚移植を受けたらどうかな。」


 渉さんは、優しい声でそう言ってくれた。

 でも…


「…これが無くなると…海くんを繋ぎとめる物がなくなります…」


 あたしは素直に言った。


「…朝子ちゃん。」


 渉さんは、正面に座ったあたしに少し近付くように、前のめりになって。


「海が、傷の事で朝子ちゃんを選んだとしても…今は違うって思えない?」


 低い声で言った。


「…思いたいです…」


「君次第だよ。」


「……」


「海は、君と進もうとしてる。どうか…海と一緒に進めるよう、前向きになって欲しい。」


 あたしは…

 誰の声も心に入れなかった。

 何言ってるの?

 そう思いながら、目の前の渉さんを見て。


「…そうですね。」


 たぶん…そう答えたあたしの声にも目にも、心なんてこもってなかった事を…渉さんは、分かったはず。


 あたしは…最低だ。




 * * *


 〇朝霧 渉


「海。」


 手を上げると、俺に気付いた海は小走りにやって来た。


「夕べ遅くなったのか?」


「ほぼ朝方だったかな。陸兄が離してくれなくて困ったよ。」


「ははっ。相変わらず酒の好きな人だ。」


 夕べ、椿という料亭で、海と朝子ちゃんの婚約パーティーがあった。

 そこには二階堂の人間が勢揃いしていて…かなりの盛り上がりだった。


 昨日の今日で疲れてるかとは思ったが…俺は海を呼び出した。

 朝子ちゃんの様子が…どうしても気になる。



「それで?話って?」


 病院の庭を歩きながら、中にあるカフェに向かう。


「…朝子ちゃん、ずっとあんな様子か?」


「…あんな様子とは?」


「人に対して、心を閉ざしてるって感じかな。」


「……」


「皮膚移植の話も、傷がなくなったらおまえを繋ぎとめておけないって断られたよ。」


「…どうしたら、朝子の不安を取り除けるんだろう…」


 海は小さく溜息をついた。


 …どう見ても、痩せた…と言うより、やつれた。

 海自身、気付いてないのかもしれないが…昨日、途中で隣に来た環さんが心配してた。

 仕事量が多いのは知ってるが…って。



「…仕事に支障はないのか?」


 カフェでコーヒーを二つ買って、外のベンチに座る。


「オンとオフはちゃんとしてるつもりだけどね。」


「…朝子ちゃんを、愛してるか?」


「……」


 俺の問いかけに、海はカップの縁を親指でなぞりながら。


「…愛しい…と、思う。」


 少し詰まりながら…言った。


「…紅美は。」


「終わった事だ。」


 紅美の事を聞くと、即答。

 …まだ痛いよな…


「昨日、俺が椿に行った時、紅美がいて驚いた。」


「…え…?」


「織さんが偶然会って連れて来たって言ってた。」


「……」


「何も知らずについて来たみたいで…桐生院の…華音と一緒にいた。」


「…同じバンドの…?」


「ああ。」


「……」


「おまえらが来る少し前に、華音が仕事を思い出したって言いだして…紅美を連れて帰った。」


「そっか…」


 今、紅美が何も知らないままだった。と聞いて…ホッとしたように見えたが…

 海は、自分では気付いてないだろうな…



「わっちゃん。」


「ん?」


「…変な事聞くけどさ。」


「うん。」


「今まで、勃たない事ってあった?」


「……」


 俺が少し変な顔をしたのか、海は首をすくめて。


「ごめん。こんな事。」


 苦笑いした。


「…できないのか?」


「…病院も行ったんだけど、精神的な物って言われて…余計朝子が落ち込んだ。」


「…おまえ…前向きなんだな。」


「進むしかないから。」


 まだ…事故から数ヶ月。

 それでも海は…前しか向いてない。


「向こうのカウンセラー紹介してやろうか。」


「頼むよ。」


「…朝子ちゃんに、届くといいな。」


「…ありがと。」



 朝子ちゃんの…何の感情もない声が耳に残っている。

 どうか…彼女が…

 海の愛に気付いてくれますように。


 だけど…そんな俺のささやかな祈りは…


 届く事はなかった。



 * * *


 〇東 朝子


 アメリカに戻って…また、二人の生活が始まったけど。

 あたしにとっては、苦痛でしかなくなって来た。


 …このまま…結婚なんてしていいの?



「少し離れた現場に行くから、三日ほど帰れない。」


 仕事なのはわかってるのに…


「…本当に現場なの?」


 あたしは、冷たく問いかける。


「…本当に現場。不安なら、本部に問い合わせればいい。」


 海くんは…出来るだけ優しく…言うけど…

 だけど、たぶんもう…彼も限界に近かったと思う。



 三日間、一人。

 そう思うと…気が楽になった。

 あんなに大好きだった海くんとの生活が、あたしは息苦しくて仕方がない。

 渉さんの言う通り、あたし次第なのに…



 あたしは…遊び歩いた。

 今までした事がないような、派手な格好をして。

 お酒を飲んで、隣に座った男と仲良くなって。

 顔に傷があったって関係ない。

 そう言われて…ホテルに行った。


 初めてだと言うと、信じられないって笑われたけど。

 途中からそれが本当だと分かって…最初は嬉しそうだったけど、最後は面白くなさそうだった。


 …そうか。

 セックスって、女も何か頑張らなきゃいけないんだ…


 あたしは、その男に色々な質問をした。

 変な女だな。って笑われたけど、楽しそうに話に乗ってくれた。

 そして…色々教えてくれた。

 嘘でしょ!!って思うような事もあったけど…


 …海くん以外の男の人と…寝た。

 なのに…罪悪感すら湧かなかった。

 女になれた。なんて…むしろ感動の方が大きかったかもしれない。


 海くんみたいに優しい触り方じゃなかったけど、返ってそれが良かった。

 腫れ物に触られてない。

 気が楽だった。



 翌日も、その店で会う約束をして…その男の家に行った。

 以前のあたしからは…考えられない。



「一人なの?」


「一人じゃなきゃ連れ込まない。」


「ふうん…片付いてるから、彼女でもいるのかと思った。」


 ソファーに座って部屋の中を見渡す。

 とてもシンプルな部屋。

 彼は冷蔵庫からビールを取り出すと、一つをあたしに渡した。


「で、昨日の続きな。」


「うん。」


「気持ちがいい事は、ちゃんと伝えた方がいい。」


「…どういう風に?」


「そこ、とか、いい、とか。」


「…恥ずかしいよ…」


 ひとしきり、そんな少し恥ずかしい話をした後…


「じゃ、実践で。」


 彼はあたしの手からビールを取ると、あたしをソファーに押し倒した。


「こ…ここで?」


「ベッドじゃなきゃダメって事はない。」


 きっと…

 この人は、上手いんだと思う。

 経験のないあたしが…すごく気持ち良くなった。

 海くんとしてても、ここまで気持ち良くならないのは…きっと、精神的な物…


 ……あたし…

 あたしだって、同じなんだ…

 男の人は、それが目に見えて分かるから…

 だけど、あたしだってきっと…目に見えたとしたら…全然ダメだったと思う…


「…アサコ、すごく濡れてる…」


「え…」


 意味がよく分からなかったけど…


「あ…あたし、ごめんなさい。汚しちゃった…?」


 ソファーを気にすると。


「男はこれが嬉しいんだ。関係ない。」


「……」


 あたし…

 きっと、海くんの時は…濡れてなかった。


 あたし、最低だ。


 こんな時も…

 違う男の手で…こんなに濡らされてるなんて…。

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