第3話 「どーしたの?紅美ちゃん。」

「どーしたの?紅美ちゃん。」


 目の前に、沙都のアップ。


「えっ…あ、何?」


「何って…弦の張り方おかしくない?」


「え?」


 沙都に言われてギターを見ると。


「あ。」


 一弦目に六弦を張ってる…

 えー…


「な…何やってんだろうね。」


 慌てて弦をはずす。

 こんな失敗、あり得ない。



 あたしは、動揺している。

 この間から、ずっと。


 ノンくんに「つきあおう」って言われて、イヤなら否定もできる関係。

 なのに、あたし…ハッキリ拒まなかった。

 それどころか、バスルームでしてしまった行為を思い出してドキドキさえしている。


 見た目より力強い腕。

 今まで、触れることはないと思ってた唇…って、これは…海くんの時も思ったけど…



 違う男の名前を呼んでしまっただろうあたしを、どうしてノンくんは…?



「あのさ。」


 ふいに、沙都が声を出した。


「え?」


 顔を上げると、沙都はあたしの向い側に座って。


「つきあってみることにした…」


 あたしの手元に目を落として、そう言った。


「…そ。」


 少しだけ口元を緩めて沙都を見つめると。


「…何かあった?」


 落としてた視線を上げて、あたしを直視した。


「えっ…なっなんで?」


 つい慌ててしまって、沙都が怪訝そうな顔をする。


「な~んか怪しいな。いつもの紅美ちゃんじゃないよ。」


 沙都の言葉に、あたしは髪の毛をかきあげながら焦る。

 あたし、こんなに態度に出なかったはず。


「おっはよー。」


 困ってるとこに沙也伽がやって来て、とりあえず、沙都の視線がはずれる。


「おはよ。」


「今さ、いいもん見ちゃった。」


 沙也伽はバックをおろしながら笑顔。


「いいもん?」


「下でノンくんとラジオパーソナリティの子、噂の二人を見ちゃったのよ~。」


 プチッ


 …噂の二人?


「沙都が言ってたノンくんの彼女って、あの人でしょ?」


「うん。スタイル良くて、きれいな女の人だよね。」


 プチプチッ


「ノンくん、いつの間にあんな美人を…」


「ま、ノンくんカッコいいもんなあ。」


 なっ…なっなんてこと!

 あたし、だまされてた!?

 何が、あたしとつきあう、よ!


 どうせ、あたしは大きいだけでスタイルも顔もよくないわよ!


 ギリギリギリ


「あっ!紅美!」


「え…やっ!」


 弦を張りすぎてしまった。

 あたしが力任せに張り続けてた弦は、あたしの右手をかすめて切れた。


「だっ大丈夫!?紅美ちゃん!」


 少しだけ、血が流れる。

 あたしは冷めた目でそれを見ながら。


「うん、平気。ちょっと医務室行って来る。」


 ポケットからハンカチを出すと、それで手を覆って歩き始めた。


 …突然のように、冷静になれた。

 あたし、何のぼせあがってんの?

 関係ないじゃない。

 ノンくんが誰とつきあおうと。


 あたしたちは、ただのイトコで気の合うバンドメンバー。

 この間のことは…度の過ぎたスキンシップ。

 海くんのことで寂しかった。

 そんな時に、たまたまノンくんがいたから…


 それだけ。



「どうした?」


 あれこれ考えながら歩いてると、まさに前方からノンくん。

 血のにじんだハンカチを見て、かけ寄って来た。


「弦で切っちゃった。」


「何やってんだよ。」


「……」


 ノンくんの言葉を無視して医務室に向かうと。


「紅美?」


 ノンくんは、後ろからついて来てあたしの肩に手をおいた。


「何?」


「何か怒ってんのか?」


「別に。」


「どう見ても怒ってる顔だけど?」


「何でもないわよ。」


「じゃ、部屋帰って沙也伽にでも聞いてみるか。」


 少しだけ意地悪な口調。

 あたしは足を止めて振り返る。


「あたしのこと、からかってた?」


「あ?」


 突然の問いかけに、ノンくんはキョトンとしてあたしを見た。


「彼女、いるんじゃない。」


「彼女?」


「沙也伽が言ってた。ラジオパーソナリティの子と噂だって。」


「……」


 ノンくんは、あたしの言葉を黙って聞いたあと。


「妬いてんのか?」


 ニヤニヤしながら、そう言った。


「ばっ…!」


 血が上る。


「それで弦で切ったのか?」


「ちっ違うわよ!」


 あたしは向きを変えて歩き始める。

 なんて奴!

 ノンくんて二重人格!



 深呼吸をして医務室に入ると、原垣先生が。


「あら、紅美ちゃん。」


 メガネをかけなおしながらあたしを見た。


「手、切っちゃって…」


 元気のない声になってしまった。


 疲れた。

 それでなくても…あたしは不安定だ。

 それを気付かないように気付かないように…上手くやって来たつもりなのに…



「熱でもあるの?」


「え?」


 あたしの手を消毒しながら、先生が言った。


「顔が赤いけど。」


「いや、これは…」


 興奮してしまったから。

 でも、先生が貼ってくれた絆創膏を見てたら、なんとなく落ち着いてきた。

 こんな事ぐらいで…医務室とか。

 あたし、どうしちゃったんだろ。



「はい。出来た。無理しないようにね。」


「ありがとうございます。」


 立ち上がって医務室を出ると、そこにイライラの根元がいた。



「どうだ?」


「……」


「あいつとは、大学で同期だったんだ。別につきあってるわけじゃない。」


 ノンくんは、そう言うと、さっさと部屋に向かって歩き始めた。


 つきあってるわけじゃない…

 わざわざ、それを言うために待ってたの?



 …別に、つきあってたって…あたしには関係ないよ…

 そう思いながら、ホッとしてるのは…なぜ?



「紅美。」


 ふいに、ノンくんが振り返って。


「?」


 あたしがキョトンとした顔でノンくんを見ると。


「俺の彼女は、おまえだろ?」


 低い声でそう言って、誰もいないのをいいことに。

 廊下のまん中、あたしの唇はノンくんを受け入れていた…。




 * * *




「よお。」


「…何?」


 ゴールデンウィーク。

 なんと、三連休をもらった。

 誰もいない家でゴロゴロしてると、やって来た。


 …ノンくん。



「何?はないだろ?何してるかなーと思って。」


 ノンくんは慣れた足取りで家の中に入ると。


「麗姉、学んとこ行ってるんだっけ?」


 母さんの不在を確認した。

 母さんは、弟の学がいるイギリスに遊びに行っている。



「でも父さんはいるよ?」


「夏の大イベントの事で、大忙しなんだってな。」


 ソファーに、どさり。


 むむ…

 知ってて来たのか。



 この夏…

 ビートランド所属のアーティスト、全員参加型の大イベントが開催される。

 あまりにも大規模なその企画に、父さんを始め…ちさ兄も知花姉も…みんな、すごくやる気満々。



「…何か飲む?」


 テレビのスイッチを入れて、キッチンに立つ。


「紅茶。何だっけ、おまえの好きなやつ。」


「コーヒーのがいいんじゃないの?」


「いや、おまえの好きなやつ。」


「……」


 なんとなく不思議。

 最近、ノンくんはあたしの好きな物をさりげなくチェックしてる。


「アールグレイでいいの?」


「ああ。」


「これ、沙都はダメなんだよね。」


 アールグレイのお茶っ葉を缶から出しながらつぶやく。


「何で。」


「匂いがダメなんだってさ。学もあまり好きじゃなかったな。ノンくん、大丈夫?」


 少し意地悪で言ったんだけど、ノンくんは何でもないようにテレビのチャンネルを変えて。


「うちは紅茶派が多いからな。いろんなの飲まされてる。」


 ワイドショーを眺めながら、そう言った。



 …なぜか、ノンくんには素直になれない。

 負けた気がするって言うか…

 本当は、こうして遊びに来てくれたのも嬉しい。



 オフの前には、あれこれしようって思ってたのに。

 いざその時が来ると、何も手に着かなくて。

 一人で寂しくなってたりして…



 沙都は、彼女とデート。

 沙也伽も、家族水入らずで旅行に行っている。

 あたしは…一人。

 だ~れもいない家で、することもなくて、ボンヤリしてブルーになってた。



「…はい。」


 紅茶をノンくんの前に置くと。


「サンキュ。」


 ノンくんは、二人きりの時以外にはあまり見せない穏やかな顔。



 結局…

 あたしたちは、誰にも内緒でつきあってる形になってる。



「おまえ、ゲームとかする?」


「は?」


 思いがけない言葉。


「一人でいてもつまんないだろうなーと思って、プレステ持って来たんだ。」


「…プレステ?」


「ちょっと待ってな。」


 ノンくんは立ち上がると玄関を出て行って、しばらくすると紙袋を抱えて帰って来た。


「華月のお奨めは、これなんだ。」


 紙袋からは、数々のゲーム。

 学がたまにやってたけど、あたしは見てただけ。


「華月ちゃん、ゲームなんてするんだ?」


「咲華と二人ですごいことんなってるぜ?」


「あたし、あんまり興味ないな…」


 ゲームを手にして言うと。


「俺も同じ事言った。ま、やってみろよ。寝られなくなるから。」


 ノンくんは、プレステとやらをテレビに接続して。


「さ。紅美のゲームの腕前を見せてもらうとするか。」


 あたしに、コントローラーを渡した。






「うわっ、くっやしー!何で?今の、どうやったの?」


 ノンくんの言う通り。

 あたしは、ゲームにハマりまくり。

 時計の針は午後11時。


「□ボタンを押しながら○を押すんだよ。」


「なるほど…で、ここでジャンプ…」


「さすが覚え早いな。」


「あと一面でクリアよね?」


「もうゲームないぜ?」


「え?もうないの?」


 あたしがコントローラー持ったまま問いかけると、ノンくんは小さく笑って。


「コンビニでも売ってるから、買いに行くか?」


 あたしの髪の毛をクシャクシャにしながら言った。


「うっうん…って、ノンくん、こんな時間…」


 あたしは時計を見上げる。

 本当は、まだまだ遊んでてほしいけど…


「せっかくのオフだぜ?」


 ノンくんは車のキーを手にして、何でもない顔。

 ちょっと嬉しいな…なんて思いながらも。


「家に電話とか、いいの?」


 とりあえず、聞いてみる。


「帰らないかもしんない、とは言って出たから。さ、行くぞ。」


「……」


 あたしも、財布を手にしながら。

 最初から長居の予定かっ?

 なんて、少しだけ顔がほころんでしまった…。



「ちゃんと乗ってるか?」


 助手席に座ると、ノンくんにそんな確認をされて。


「どういう意味?」


 眉間にしわを寄せて笑いながら問いかけると。


「たまにさ、足を乗せ忘れたとかって、ドア閉める時に足挟む奴いるじゃん。」


「いないよ、そんなの。」


「いるんだって。」


 変なの。と笑いながら、シートベルトを締める。



「そこのコンビニでいいか?」


「じゃ、車出さなくて良かったのに。」


「歩くのめんどい。」


「じじい。」


 そんな会話をしながら、コンビニに到着。



「そんなに買うの?」


 ノンくんが手にしてるカードを見て言うと。


「たまには音楽以外でムダ使いしたっていいだろ?」


「…それもそーか…」


「だいたい、おまえクリアすんの早いんだよ。」


「ふんっ。あ、待って。プリンも買う。」


「あ、俺のも持って来て。」


「ノンくん甘い物食べれたっけ?」


「ああ。」


 レジの前でそんな会話をしながら、あたしはプリンの置いてある陳列に向かう。

 確か、白いのが美味しかったよな。

 なんて考えながら、それを二つ手にしてレジに…


「……」


 レジに並んでるノンくんの横に、噂のパーソナリティー。

 なんとなく近寄りにくいな。

 プリンを手にしたまま、ためらってると。


「紅美、なにやってんだ。早く来いよ。」


 ノンくんが、何でもないように声をかけた。


「あ、ああ、うん。」


 あたしがかけよると、その人はあたしをジロジロと見て。


「ボーカルの紅美さんね?」


 ニッコリ。


「…こんばんは。」


「あたし、横山薫。華音とは大学の同期なの。」


 呼び捨て。


「はあ…」


「確か、イトコだったわよね?」


 横山さんは、ノンくんに確認するかのように問いかけた。


「ああ。」


「仲いいのね。こんな時間にコンビニで買物なんて。」


「まあな。」


 ノンくんのさらっとした答に、横山さんは少しだけ絶句して。


「そういえば…中谷くん結婚したのよ?」


 あたしの知らない名前を出した。


「え、いつ。」


「先月。お嫁さん、まだ19だって。」


「やるな~。あいつ歳より若く見えるし、得だよな。」


 レジの前、お客さんは切れてるのに。

 ノンくんは横山さんと話し込んでる。


「…買うよ?」


 ノンくんの手元からゲームカードを取って言うと。


「ああ。」


 ノンくんはそれだけ。


 ふん。

 何よ何よ。

 こんなとこで、あたしの知らない話で盛り上がったりして。


「24,680円です。」


 お金を払って振り返ると、まだ話は続いてる。


「…先に帰るよ?」


 嫌みも含めて小さく問いかけると。


「あら…ごめんなさい、盛り上がっちゃって。」


 横山さんはとびきりの笑顔。


「ああ、すぐ帰るから。」


 プチッ


 あたしを一人で帰らせる気~!?

 嫌みのわからない奴だな!

 少しだけムッとしてると。


「…一緒に暮らしてるわけじゃないわよね?」


 横山さんが小声で問いかけてるのが聞こえた。


「まさか。オフだから遊んでんだ。」


「兄妹みたいね~。」


 二人に背中を向けてドアを開ける。

 チラッと振り返ると、横山さんのスタイルの良さがやたら目についた。


 そして。

 家にたどりついたあたしは、玄関の戸締りをして。

 電話も携帯も留守電にして、電気も全部切って。

 ベッドにもぐりこんだ。



 * * *



「わりい、遅くなった。」


「…は?」


 あたしは目を細めてノンくんを見た。


「すぐ帰る。」


 そう言ったはずのノンくんは。

 午前10時。

 改めてやって来たのかと思わせる時間に「帰って来た。」のだ。



「薫と盛り上がってさ、近くに住んでる同期の奴んとこ行ってたら、こんな時間んなっちまった。」


「……」


 し…

 信じられない~!!


「おまえ、新しいゲーム全部やった?」


「……」


 あたしは玄関のドアを無言で閉める。


『紅美?』


 ドアの外からは、ノンくんの声。


『おーい。何だよー。』


 あたしは紙袋にプレステ一式と新しいゲームを詰め込むと。


「はい。」


 少しだけ開けた玄関の隙間からそれを出して、再びドアを閉めた。


『何だよ。これ。』


「もうやらないから、持って帰って。」


 ドア越しに冷たくそう言うと。


『新しいゲーム、やってないじゃん。』


「やらないから。」


『何怒ってんだよ。』


「別に。」


『やきもちか?』


「そんなわけないじゃない。」


『じゃ、何だよ。』


「もう、ほっといて。」


『あ?』


「疲れた。ノンくんに振り回されてるみたいで、もう疲れたの。」


『……』


「あたし、そんなに寛大な女じゃないよ?勘違いしてるなら、ノンくんも目覚まして他の人とつきあいなよね。」


 言ってしまった。

 ずっと…胸の奥につっかえてた言葉。

 ドアの外から、ノンくんの返事はない。

 なんとなく気まずくなって、あれこれ考えてると。


 ブロロロロロ。


 車の音。


「…え。」


 あたし、ドアを開けて外を見る。


 すると、ノンくんの車が走ってくのが見えた。


「な…何なのよ…」


 あたしの言葉に、反撃もないわけ!?


「も…ほんっとうに疲れた!絶対知らない!」


 乱暴にドアを閉めると、少しだけ涙が浮かんできた。


 どうして?

 あたし、何にイライラしてんの?

 どうしてこんなに…揺れてるの…?



 …やだな。

 海くんの時は、朝子ちゃんの事で不安になったり…

 ノンくんとは…こうやって、また…大学の同期ってだけなのに…

 あたし、あきらかに妬いてるよね。


 …つまんない女だよ…あたし。



 恋をすると…って。

 ノンくんとのこれが恋なのか…まだあたしにはハッキリ分からないけど。

 嫉妬って…辛い。

 自分がどんどん醜い人間になってる気がする。



 …今でも、朝子ちゃんを良く思ってない自分がいて…

 婚約したって聞いて、何とか無心になろうとしたけど…

 残念ながら、海くんはイトコ。

 親戚である以上、婚約だの結婚だの…そんな話は舞い込んでくる。

 おめでとう…なんて…

 言えるわけないよ…


 なんであたし…あの時…朝子ちゃんに、要らないならもらう。なんて言ったんだろ。

 朝子ちゃんが、海くんを要らないなんて…言うわけがない。

 …分かってる。

 海くんは、絶対朝子ちゃんを選ぶって分かってたから。


 だから、怖かった。

 捨てられるのが。


 顔に傷が残る。

 朝子をほっとけない。


 そう言われただけ…だけど…

 海くんのそれは、結婚って形で責任を取る。


 そう意味だもんね…



「…うっ…っ…」


 ソファーに膝を抱えて座って…泣いてしまった。

 全然…癒えない傷。



 沙都にそばにいて欲しい反面…

 純粋な沙都を傷付けるのが怖い。


 そんなあたしを、ノンくんが変えてくれる?なんて…少し期待したけど…

 反対に振り回されて苦しい。



 誰か…



 誰か、あたしを…



 あたしを、壊して。

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