第4話 「ばんはー。」

「ばんはー。」


「いらっしゃい。」



 突然、華月ちゃんから。


『一人なんでしょ?泊まりにおいでよ。』


 って…電話をもらった。

 正直、ノンくんがいるしなー…なんて思ってると。


『今夜、あたしとお姉ちゃんしかいないの。だから女だけで楽しんじゃわない?』


 ちさ兄は相変わらず父さんたちと、夏のイベントに向けての打ち合わせで。

 知花姉ともども事務所に入り浸り。

 誓兄夫婦はヨーロッパで、聖くんは泉ちゃんとデートだそうだ。



「ばあちゃんは?」


 姿が見えなくて問いかけると。


「ちょっと出掛けるって。」


「不良ばあさんだ。」


「ふふっ。」


 あたしがエマーソンから直々にオファーを受けて渡米してる間…

 おじいちゃんと、大おばあちゃんが亡くなった。

 あたしのレコーディングが佳境に入っていたからか…それはあたしには告げられなかった。


 帰国してすぐに知って、仏壇とお墓にお参りしたけど…嘘みたいだって思った。


 おじいちゃんは、いつも忙しくて…年に数回しか会わなかったから、ちょっと…申し訳ないけど、縁が薄くて…

 でも、大おばあちゃんには可愛がってもらったから…ショックだった。


 …ばあちゃん、大丈夫かな…って心配してたけど。

 桐生院家のみんなは、高原さんとくっつけ。って、もうプッシュしてるらしい。


 …納得。



「…ノンくんは?」


 恐る恐る問いかけると。


「華音?さあー…どこに行くとは言ってなかったかな。ねえ、華月。」


「うん。ただ帰らないって。」


「へえ…」


 ノンくんと双子の咲華ちゃんは、穏やかな雰囲気の美人。

 OL辞めて、華月ちゃんと姉妹モデルなんてやっちゃえばいいのにって思う。



 ピンポーン


 突然チャイムが鳴った。


「…誰か呼んだ?」


 一斉に顔を見合わせる。


「どちらさまですか?」


 咲華ちゃんが低い声でインターホンに出ると。


『東です。』


 インターホンの向こうから、聞き覚えのある声。


「え?ど…どうしたの?」


 とたんに、咲華ちゃんの声が高くなった。


「…そう言えば…婚約したんだっけ…」


 華月ちゃんに問いかける。


 あたしの渡米中は、本当に…色んな事があったようだ。


『忘れ物。』


「え?何?」


『まずは開けて。』


「あっ、そうね。」


 声の主を…あたしは知ってる。


 …朝子ちゃんのお兄さん。

 しーくん。

 何年もドイツに行ってたから、しばらく会ってないけど…一番海くんの力になれる人だ。



「ちょっと、出て来るね。」


 咲華ちゃんは照れくさそうにそう言って、ショールを肩にかけると小走りに出て行った。


「…幸せそう。」


 咲華ちゃんの背中を見ながら言うと。


「もう、毎日春って感じ。」


 華月ちゃんは紅茶を飲みながら笑った。


「華月ちゃんは詩生ちゃんと、どうなってんの?」


「うーん…まだしばらくはこのままでいいかなって。」


「このまま?」


「うん。何か、ここまで長かったからね…結婚したい気持ちもあるけど、詩生、父さんに殴られたばっかだし…それに、お姉ちゃんが先に幸せになってくれた方が、あたしも安心かなって。」



 華月ちゃんも詩生ちゃんも、お互いを束縛しない。

 会える時に会って、会いたい時には連絡をとって、でもそれが無理してまでじゃなく自然で…


 事務所の廊下とかで偶然出会ったりした時の二人は、すごくつながりが深く見える。

 特別何か話すわけじゃなく、目が…自然に気持ちを伝えてるって感じ。

 詩生ちゃんが優しく華月ちゃんの肩に手をかけるだけで、ああ、愛し合ってるな、って気がする。


 あたしも…

 あたしも、そんな人と巡り会いたい。


 そして…


 早く海くんのことを忘れたい…。





 パチッ。


 目を開けると午前四時。

 夢の中、ボンヤリだけど…ノンくんと沙都が出てきた気がする。


 …海くんが出て来なくて良かった…

 なんて思ってしまうあたし…


 …はあ…



 周りを見渡すと、華月ちゃんも咲華ちゃんも熟睡。

 夕べは三人でプレステに盛り上がった。

 あたしが買った新しいゲーム。

 ノンくんは封も開けずに取っていた。



 …ノド渇いたな…


 そっとベッドを下りてキッチンに向かう。

 長い廊下を歩いてると…


「紅美?」


 背後から声を掛けられて、跳びあがるほど驚いた。


「うわっ…あ…ばあちゃんか~…ビックリした。」


 足音しなかったよ!!


「眠れないの?」


「ううん。目が覚めた。ばあちゃんは?」


「ふふっ。さっき帰って来ちゃった。」


「えー?どこ行ってたのー。不良だな。」


 キッチンに行くと、ばあちゃんがハーブティーを入れてくれた。


「ばあちゃん。」


「ん?」


「高原さんと結婚するの?」


「みんな聞くわね。」


「…みんな、ばあちゃんに幸せになって欲しいんだよ。」


「あたしはずっと幸せなんだけどなあ。」


 ばあちゃんは、優しく笑いながら言った。

 …ほんと、年齢聞いてもピンと来ないぐらい…若い。


「紅美は?いい話ないの?」


「…あたしは…」


「……」


 無意識だった。

 気付いたら、ばあちゃんがあたしの肩を抱き寄せてて。


「よしよし。」


 涙を拭われて初めて…泣いてる事に気付いた。


「あ…あれ?あたし…」


「紅美。」


「…ん?」


「大丈夫。間違ってるって思っても、自分が選ぶ事ならやり直しだって出来るから。」


「……」


 ばあちゃんの言葉に、ますます泣けてしまった。


「…あたし…嫉妬ばかりしてる…」


「あたしも昔はよくしたわ。」


「…醜いって…」


「うんうん。思った思った。」


「辛いよ…」


「それだけ相手の事が好きなんだから、仕方ないよね。」


「…一人じゃないから、困るんだよ…」


「あら。何人も好きな人がいるなんて、素敵。」


「…好きかどうか分からないのもいる…」


「ふふっ。いっぱい『好き』を作って、誰を愛してるのか…それが分かる日が来るといいね。」


「……」


「じゃ、年寄りは寝るわ。」


「年寄りはもっと早く寝るよ。」


「まっ。おやすみ。」


 そのまま、ハーブティーをゆっくり飲んで…

 小さく溜息をついた。



 …ばあちゃんて、動じない人だよな…

 あたしも、あんなふうに…どっしり構えていたいのに…

 弱い…


 窓の外は、まだ真っ暗。

 広縁から広大な庭を見下ろしながら、眠気が来るのを待ってみたけど…どうにもそれはやって来ない。

 部屋でごそごそするのもなあ…


 なんて思いながら、裏口に回ってると。


 ブロロロロ


「……」


 車の音。

 …きっと、ノンくん。


 思い出すといちいち腹が立つんだけど、何となくドアの前で待ち伏せてしまった。


「おわっ…な・なんだよ、びっくりしたな…」


 帰って来たノンくんは、あたしを見て大きく肩を揺らせて。


「何だ。来てたんだ。」


 靴を脱いで、それを靴箱に入れた。


「華月ちゃんに誘ってもらった。」


「で、寝ないで待ってたのか。」


 ノンくんはニヤニヤしながら、車のカギをポケットに入れる。


「まさか。目が覚めてウロウロしてたら、車の音がしたから。」


「ああ、そうだ。これ。」


 ふいに、ノンくんは財布を出すと。


「ん。」


 三万円をあたしに差しだした。


「何?」


「ゲーム代。」


「いいよ。」


「いいったって、おまえんちプレステないじゃん。」


「…多いよ。」


「いいさ。」


「よくない。」


「じゃ、釣りくれ。」


「今もってない。」


「じゃ、体で払ってもらおうか。」


「えっ…?」


 顔をあげた時には、すでに唇がふさがれてた。


 この男…

 あたしのあの時の言葉、何だと思ってんの!?


「ちょ…ちょっと…」


 唇が離れて、あたしが次の言葉を出そうとすると。


「部屋来いよ。」


 腕を取られてしまった。


「ちょっ…待って。あたしの話も聞いて。」


「何。」


「あたし、あの時言ったよね。」


「何を。」


「あたしのこと、寛大な女だって思ってるなら…って。」


「ああ…別に思ってないけど?」


「え?」


「俺、別におまえが寛大なんて思ってないぜ?」


「……」


「俺に振り回されるの疲れたっつってたけど、振り回してるつもりもないし。」


「なっ何よ、あたしのこと、さんざん振り回してるじゃない。」


「いつ。」


「っ…それは…」


 言葉につまると、ノンくんは嬉しそうな顔をして。


「だんだん、俺に惚れてきた?」


 あたしの肩を抱き寄せて。


「来いよ。」


 低い声でつぶやいた。



 何年ぶりかのノンくんの部屋は。

 自分がわかんなくなるくらいー…熱かった…。




 * * *



「紅美。」


 天気いいし、久しぶりに歩いて帰ろう。

 なんて思いながら、ギターかついで事務所を出ると。


「何。」


「おまえ、今日空いてる?」


 ギターを担いだノンくんが、あたしの隣に並んだ。


「これから?」


「ああ。」


「特に何もないけど。」


「飯食って帰んないか?」


「ノンくん、車は?」


「置いて帰るさ。」


 イマイチ…

 自分の気持ちがわからない。

 ノンくんの気持ちも。


 あたしたちはお互い、気持ちを言葉にするなんてことがなくて。

 言ってみれば、今まで沙都がいた立場にノンくんがいる。

 そんなとこなのかな…


 でも…助けられてはいる。

 すごく。


 それを嬉しいと表現してしまうと、あたしの気持ちは…



 それでも断る理由がなくて、ノンくんと並んで歩く。


「何食いたい?」


「そうだなー…」


 視線は足元。

 何となく…ノンくんの部屋での事を思い出して、顔が見れない。

 歌ってる時は平気なのに、一旦バンドから離れると…あたし、意識しまくってるよね、これ…



「紅美ー。」


 ふいに、あたし達の横を通り過ぎた車が停まって。

 助手席の窓から…


織姉しきねえ。」


 うちの父さんと双子の、織姉。

 …海くんの、お母さん。



「あら、隣は誰かと思えばノンくん?」


「どうも。」


 二階堂本家の人達は、あまり外部と接触しないんだけど。

 ノンくんは昔、二階堂の道場で柔道を習ってたから顔見知り。



「ちょうど良かった。食事に行かない?」


「えっ、いいの?」


「いいのいいの。人数多い方がいいから。」


「どこ連れてってくれんの?」


「椿。」


「うっわ、豪華だな。紅美、織姉の気が変わんないうちに乗り込もうぜ。」


 ノンくんはそう言って、車のドアを開けた。


「そだね。おじゃましまーす。」


「こんばんは。」


 運転席には、しーくん。


「お、義弟。」


 ノンくんが笑いながら言うと。


「ご無沙汰しております。」


 しーくんは、相変わらず礼儀正しく挨拶をした。



「ノンくん、妹さん、文句言ってない?デートもあまりできないし…」


 織姉がそう言うと。


「そういう空いた時間に自分磨き頑張ってるから、いいんじゃないかな。」


 ノンくんは、優しく笑いながら言った。


 …ノンくんと咲華ちゃんは、すごく仲のいい双子だ。

 まあ、父さんと織姉も仲のいい双子だけど…


「あいつのどこが良かった?結構トロくてビックリだろ。」


 …仲のいい双子だ…って褒めたばっかなのに。


「そういうリズムも、可愛いです。」


「うわー…しーくんがのろけてる…」


 あたしが大げさに驚くと。


「志麻は女の子に興味ないんじゃないかって心配してたんだけど…良かったわ。」


 織姉が、泣き真似をして。


「普通に興味ありましたよ…ずっと…」


 しーくんは苦笑いしながら、そう言った。


 ああ…いいなあ。

 幸せそうだ。

 人の幸せで、自分の悲しみが減るのならいいのに…


 って……暗いよ、あたし。



「じゃ、美味しい晩飯にレッツゴー。」


 あたしがおどけて言うと、しーくんは小さく笑って車を発進させた。





「よお、紅美。」


「あれ?父さんも?」


 椿に行くと、父さんがいた。


「何?これ…すごいメンバーね。」


 座布団に座って周りを見渡すと、何だか勢ぞろいって感じの面々。


「俺、座っちゃっていいのかな。」


 珍しくノンくんがそう言ってしまうような顔ぶれ。


 本家に行っても、めったに会えない環兄たまきにいを始めとして、たま~に見かけることがあったしーくんのお父さんとか。


「いいから、座って座って。」


 嬉しそうな顔の織姉が、ノンくんの肩を押した。

 あたしたちが顔を見合わせながら座ると。


「母さん、泉の携帯の番号………紅美?」


 廊下から、おめかしした空ちゃんがやって来た。


「や。」


 あたしが首を傾げて空ちゃんを見ると、何だか…空ちゃんはバツの悪い顔。


「そこでバッタリ会ったから、ノンくんと一緒に連れてきちゃった。」


 織姉のはしゃいだ声。


「あ…ああ、そう。」


「?」


 空ちゃんの様子が変。

 あたしが首を傾げたまま空ちゃんを見てると。


「遅くなってすみません。」


 わっちゃんが登場した。


「はいはい、わっちゃんも早く座って?」


 織姉にせかされて、ノンくんの前に座ったわっちゃんは。


「…紅美?」


 あたしの顔を見て、立ったままの空ちゃんを見上げた。


 …何だろ。

 何となくだけど…あたし、少なくともわっちゃんと空ちゃんには歓迎されてない気がする。

 美味しいご飯が食べれると思って、いい気分になってたけどー…

 二人の様子に胸がざわついた。


 そりゃそうだよね…

 海くんとあんな事があったんだ。

 空ちゃんが複雑なのは当然。


 …来なきゃ良かったかな…


 あたしが少しだけ伏し目がちになると。


「あ。」


 突然、隣に座ってるノンくんが大きな声と共に手をポンと叩いて。


「わっりぃ、織姉。俺と紅美、のんびりしてる場合じゃなかったんだ。」


 そう言って立ち上がった。


「え?」


 立ち上がったノンくんを見上げる。


「おまえにも言うの忘れてたよな。夏の大イベントに向けての提出書類があったんだ。」


「提出書類?何それ。」


「俺ら、トップなんだってさ。それで、もう選曲とかステージ構成出さなきゃいけないんだった。」


「えっ。」


 思わず低い声で答えてしまった。

 そんな大事な事、どうして今思い出すかなー!?


「それって、沙都と沙也伽には言ったの?」


「任せるって言われた。」


「そりゃ、確かにのんびりしてる場合じゃないようだね…」


 あたしは少しだけすねた口調でそう言って立ち上がる。


 ああ…

 椿の料理って、滅多に食べられないのに…

 とは言いながら、空ちゃんとわっちゃんの様子が引っ掛かって、素直に座ってる気にはならなかったから…良かったのかも。



「事務所に帰るのか?」


 父さんの問いかけ。


「うん。」


「じゃ、料理を少しもらってけよ。帰っても晩飯ないから。」


「やった…それなら何の悔いもない。あ、じゃあね、わっちゃん。」


 そばにいるわっちゃんに声をかける。


「…ああ…」


 ノンくんと廊下に出ると、遠慮がちな顔の空ちゃんが。


「…またね。」


 少しだけ時計を気にしながら言った。


「うん…またね。」


 …仕方ない。

 空ちゃんにも時間は必要。


 あたしは自分に言い聞かせるように、そう思いながら。

 空ちゃんに手を振った。


「残念ねえ…じゃ、ちょっと待ってて?料理もらってくるから。」


 織姉が仲居さんのとこに向かって、あたしとノンくんは車にギターを取りに向かう。


「何だか盛大だったね。残念だったなあ。」


「悪かったよ。ちゃんと、いつか埋め合せするって。」


 車のドアを開けて、ギターを取り出そうとすると…


「やっ…なっ何よ…」


 突然、ノンくんがあたしを車の中に押しやった。


「…キスしたくなった。」


「どっどうしてこんなとこで…」


「黙って。」


「……」


 車のドアが閉まる。

 後部座席に押し倒されたまま、あたしの唇はふさがれてしまった。


 …誰かが歩いて来てる。

 足音が聞こえる。


「…ンくん…誰か…」


「いいから。」


「いいからって…」


 またもや、キス。

 人が来てるって言うのに!



 ノンくんのキスは…

 なぜか、今までのそれより…情熱的と言うか…

 なんで!?こんな時にこんな所でそれって!!


「……」


 ようやく唇が離れて、あたしが無言でノンくんをにらんでると。


「たまには、こういうスリルもいいだろ?」


 ノンくんはいつもの顔で笑った。


「…信じらんない。こんなとこで…」


 ちょっと…ドキドキしてる。


「続きは事務所で。」


「バカ言わないで。」


 あたしたちがそんな会話をしてると、織姉が小走りにやって来るのが見えた。


「ああ、俺が行ってくるから。おまえギターおろしてろよ。」


 普通反対だろ?

 なんて思いながら、あたしはギターをおろす。


「じゃ、頑張ってねー。」


 織姉のそんな声が聞こえて、あたしは大きく手を振る。

 料理をもらったノンくんは満面の笑みで。


「さ。食料も手に入ったし、書類書いて、今の続きやろうぜ。」


 って、あたしの肩を抱き寄せた。

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