第12話 「おはよ、紅美ちゃん。」
〇二階堂紅美
「おはよ、紅美ちゃん。」
翌朝。
事務所に行くと、エスカレーターで
「あ、おはよ。」
「昨日、大丈夫だった?」
「うん。心配かけてごめん。ありがと。」
「そか…大丈夫なら良かった。」
沙都は本当にホッとした顔。
…可愛いな。
そんな沙都を見て、あたしの気持ちも和む。
相変わらず…歩くオアシスみたいな存在だなあ…
そう思いながら小さく笑うと。
「そう言えば、イベントの件なんだけどさー…」
突然、沙都が何かを思い出したように困った顔で言った。
「うん。」
「昨日、父さんにすっげープレッシャーかけられた…」
「え?なんて?」
「おまえら、トップにふさわしいステージ見せろよ。って。」
う。
沙都のお父さん、朝霧光史さんがそう言ってる所を想像して、軽く背筋が伸びた。
それは、それほどの威力ある言葉だ。
「……それはー…ほんと、プレッシャーだね…」
「なんかさ、集大成って。詳しくは教えてくれないけど、トリのSHE'S-HE'Sはすごい事になるらしいよ?」
「…そう言えば…」
うちの父さんも…詳しくは教えてくれないけど、かなりの力の入れようだ。
ここんとこ毎日のようにスタジオに入ってるのに、家のスタジオにもこもってたりする。
時々、早乙女さんも来て二人でソロを煮詰めたりしてるし…
「…ちさ兄も進行に関して、かなり事細かに言って来てたよね…」
そうだ。
ちさ兄だけじゃない。
沙都のおじいさんである、朝霧真音さんと、キーボーディストの島沢尚斗さん。
Deep Redのメンバーとして世界で演ってた人達が率先して、今度のイベントを盛り上げるべく動いてる。
「おーっす。」
あたしと沙都が少しテンパりそうになってる所に…ノンくんが来た。
「…おはよ。」
「何だ?朝から暗いな。」
「イベント…結構プレッシャーだな…って。」
あたしと沙都が顔を見合わせてつぶやいてると。
「あー…なんかすげーらしいな。高原さんもステージに立つみたいだし。」
「えっ!!」
高原さんが!?
「あたし、高原さんが歌うの、リアルタイムで観た事ないんだよー!!」
「僕もない!!ビデオでしか観てない!!」
そのニュースに、沙都と二人で歓喜する。
伝説のDeep Redを観れるって事!?
ていうか、そんな奇跡が起きるイベントだなんてー!!
「まあ、もうじじいだからなあ…どこまで…あたっ。」
「誰がじじいだ。」
「ははっ。聞かれたか。てか、じじいじゃん。」
「……」
ノンくんは笑ったけど…あたしと沙都は、硬直。
高原さんが、真後ろに居た。
「…歌うの?」
あたしが顔を覗き込んで問いかけると。
「さあなー。じじいだから、ステージには上がっても、立ってるだけかもな。」
高原さんは首をすくめて言った。
「そんな事言って、歌う気満々なクセに。」
「
「……え…っ…」
それは…あまり動じることのないノンくんもが、絶句してしまうような言葉だった。
高原さん、今…ノンくんに…
「い…今、なんて…?」
「もうDeep Redもじじい集団だからな。マノン一人にずっと弾かせるわけには。」
「……俺に弾かせてくれんの?」
「無理にとは言わない。」
「弾きたい。」
「…ふっ。なら、しっかり練習しろ。」
高原さんはそう言って、廊下を歩いて行った。
「……」
「……」
「……よっしゃ!!」
そのノンくんの声に、あたしと沙都は大きく肩を揺らした。
「悪いけど、俺今からスタジオ入るわ。うちのリハ、二時間後だよな?おまえらもしっかり練習しとけよ。じゃあな。」
ノンくんは今まで見た事もないような興奮した様子で、早口にそれだけ言うとギターを担いで走って行った。
「……あんなノンくん…初めて見た。」
「うん…あたしも…」
「…いいなー…高原さんの後で弾けるなんて…」
「確かに…羨ましい……て言うか…」
「……」
「……」
「練習!!」
あたしと沙都は顔を見合わせて。
プライベートルームへと走った。
こうしちゃいられない――――!!
* * *
〇朝霧沙都
僕の名前は朝霧沙都。
音楽一家に生まれた。
もう、みんな知ってると思うけど…一応紹介すると…
おじいちゃんは、世界のDeep Redって言われるバンドでギタリストをしてた朝霧真音。
後に、F'sってバンドでもギターを弾いた。
今はもう、プロデューサー業に徹してるけど、家では僕にギターを教えてくれたりもする。
僕はベーシストだけど、ギターは弾けた方が便利がいいからね。
おばあちゃんとは高校時代に出会って、大恋愛の末結婚。
父さんが生まれた。
父さんは、SHE'S-HE'Sってバンドのドラマー、朝霧光史。
男としては、ちょうどいい具合に無口だなーって思う。
体力勝負のハードロックバンドのドラマー。
父さんは、常に体を鍛えてる。
母さんは、アメリカ人の母親と日本人の父親を持つハーフで。
父親はFACEってバンドでボーカルをしていた丹野廉。
残念ながら、若くして事故死したそうだけど…
その名前は、ハードロック界では有名だ。
だけど残念ながら母さんにその才能は受け継がれなかったらしい…
そんな二人が恋に落ちて…
兄の希世ちゃん、僕、妹のコノが立て続けに生まれた。
希世ちゃんは、父さんに憧れてDEEBEEってバンドのドラマーに。
ビートランドに所属してるアーティストの息子ばかりが集まって組んだバンドで、二世バンドとしてプレッシャーかなって思ったけど。
DEEBEEは、のびのびとメキメキと実力をつけて、一気にスターダムにのし上がった。
ドラム一筋…かと思いきや。
ちゃっかり恋愛も楽しんでた希世ちゃんは。
僕が組んでるバンド『DANGER』のドラマー、宇野沙也伽ちゃんと…
できちゃった婚。
そう。
僕、すでに叔父さん。
妹のコノは、オシャレと恋にしか興味のない女の子だったけど…これまた、いい縁があって…
高校卒業と共に入籍。
この秋には、子供も生まれる。
…朝霧家、早婚だなあ…
一番遅い父さんでも26で結婚…まあ、母さんが19だったから、早婚組ではあるよね。
…僕にも、結婚なんてする時が来るのかな。
前は…
たぶん僕は、幼馴染の二階堂紅美ちゃんと結婚するだろうな。って気持ちがあった。
なんたって…
紅美ちゃんは、僕の初めての人で…僕の全てを知り尽くして解ってくれてる人。
こんな事言うのも…アレだけど…
僕は、色んな女の子と付き合った事があるのに…紅美ちゃん以外とは、経験がない。
二十歳になった今も。
もう…体が…心が…紅美ちゃんじゃないと、受け付けないんだ。
だけど、紅美ちゃんには想い人がいた。
それは…何となく、小さな頃から気付いてた。
二階堂本家の、海くん。
僕から見ても、男らしくてカッコいい…
いつも追試と補習だらけの僕と違って、頭はいいし気も利くし…申し分ない大人の男。
…だけど、イトコ同士だし。
海くんには、許嫁もいるし。
って、たかをくくってたのが間違いだった。
アメリカのアーティストからのオファーで、紅美ちゃんが渡米して。
その間に…紅美ちゃんと海くんの間に…愛が生まれた。
もう、あきらめるしかないよ…って思った。
僕は一度も紅美ちゃんから『愛してる』なんて言われた事ないのに…海くんとは…そう伝え合ってたんだ…
…それに…海くんの赤ちゃんまで…
たまたま、沙也伽ちゃんに告白してるのを聞いてしまった時の衝撃は…表現できない程のショックだ。
だけど紅美ちゃんは帰って来た。
海くんは、朝子ちゃんを選んで婚約した。
僕は…もう一度紅美ちゃんを守るために、努力する。
そう決めた所に…
とんだ伏兵が現れた。
「おーう、沙都。飯食いに行かねー?」
とんだ伏兵は、何食わぬ顔で僕をご飯に誘う。
僕より6つ年上の26歳。
…父さんが結婚した年齢だよ。
この伏兵もまた…紅美ちゃんとはイトコで。
だからって言うわけじゃないけど…ぜんっぜんマークしてなかった。
「ん?何だ?元気ないな。」
…誰のせいだと思ってんだよ…!!
伏兵…ノンくんが紅美ちゃんに急接近し始めた。って感じたのは…この春ぐらいからだ。
それまでも、二人でギタークリニックを受けに行ったりはしてたけどさ…何となく…ん?って思ったのは、早乙女さんのギタークリニックに行くって聞いた時。
…もう、ノンくんも紅美ちゃんも、クリニックなんて受けなくていいんじゃ!?
プロなんだしさ!!
って…ちょっと、拗ねた気持ちで二人を見てる僕がいる。
しかも…
二人でディズニーランドなんて行っちゃってさ!!
紅美ちゃんの楽しそうな笑顔の写真が…頭から離れなかった…
僕には、スマートに紅美ちゃんを笑顔にする力なんか…ない。
いつも、金魚のフンみたいにくっついて、紅美ちゃん紅美ちゃんって…まとわりつくだけ。
…紅美ちゃんが万引きをした。って疑われた事件の時…
紅美ちゃんのカバンにCDを入れたのは…
って、みんなが噂してる子がいた。
桜井久美。
同学年だった子だ。
確か、中学時代から、毎年誕生日やクリスマス、バレンタインデーにはプレゼントをくれてた。
彼女の名前は…すぐに覚えた。
だって…下の名前が『くみ』だったから。
漢字だけじゃなく…何から何まで紅美ちゃんとは違うけど…
とにかく、僕は…『くみ』って名前に弱いんだと思う。
桜井久美が鼻につく事があっても…何となく、くみちゃんだから許そうか…
なんて、甘い気持ちになってた。
だけどそれは彼女を好きだからとか、そんなんじゃない。
とにかく。
CDを入れたのが、桜井久美なのかどうか。
僕は、確かめるために…彼女に近付いた。
噂はすごく信憑性があったし…それこそ疑う余地もないぐらいだったけど…僕は、なかなか本人に核心をつけなかった。
僕の知ってる紅美ちゃんは…
ケラケラと笑って、カッコ良くて、頭が良くて、気持ちいいぐらい…サバサバしてる。
だけど…
桜井久美ちゃんは…
強気で、いつも語尾が上がって、甘い物ばかり食べてて、趣味がハンドメイドで、いつかはショップを持ちたいとか…
…はっ。
今、僕…
余計な情報まで思い浮かべた。
とにかく…
彼女を好きにはなれない。
だけど、真実を知りたい。
そう思って、たまに会うようになっただけなのに…
僕は、なかなか問い質す事が出来なくて。
そうこうしてるうちに…なぜか気付いた紅美ちゃんが…
「会わせてよ。」
って…
桜井久美ちゃんは、紅美ちゃんに万引きの罪を着せた事を認めた。
すごくスッキリしたと同時に…残念な気持ちもあった。
だけど紅美ちゃんは。
「これからは、正々堂々と、よ。」
なんて…彼女と握手して帰って行って。
残された僕らは…
すごく…
気まずかった。
あれから、桜井久美ちゃんからは連絡はなくて。
僕からは、当然…するつもりはなくて。
それに、今はそれどころじゃない。
事務所を上げての大イベントが近いと言うのに…連日のように、ノンくんのゴシップが取り上げられて…
ついには…ノンくんと紅美ちゃんの噂まで…
…正直、心が折れた。
だって…僕から見たら…
出来る男、海くんより…ゴシップだらけでも、ノンくんの方が上だ。
だって、ノンくんは…
もし、ノンくんが海くんの立場だとしたら…朝子ちゃんを選ばない。
…負けない。
僕だって。
二人に負けないぐらい、紅美ちゃんの事、好きなんだから。
「受けて立つよ。」
僕が顔を上げて言うと。
「…何だよ。大食いチャレンジのある店には行かないぜ?」
ノンくんは、呆れたような口調で言った。
* * *
〇朝霧沙也伽
あたしの名前は朝霧沙也伽。
旧姓、宇野。
DANGERのドラマー。
年齢は二十一歳。
でも、もうすでに結婚してて、子供もいる。
旦那はDEEBEEのドラマー朝霧希世。
昔っから知ってる希世と…まさか結婚する事になるなんて、思いもしなかった。
あたしのお父さんは、希世のおばあちゃんと同級生。
お母さんとの年齢差は、17歳。
お父さんが50歳の時に生まれたあたしは、溺愛された。
嫁には出さない!!の勢いだったと思う。
でも、そんな事言ったらあたしに嫌われちゃうって思って。
父さんは、いつも控え目にあたしの機嫌を取ってた。
そんなあたしが。
できちゃった婚…ですよ。
妊娠を告白した夜は、母さんは溜息をつきまくって。
父さんは…寝込んだ。
まだ高等部在学中だったしな…衝撃だったよね…
希世と、お義父さんが土下座してまで謝って。
結婚させてくれ。って。
結婚したい。って。
だけど、あたしは希世のその言葉より…SHE'S-HE'Sのドラマー、朝霧光史さんに土下座させてる事に…罪悪感たっぷりで…
希世の事は好きだけど。
あんな事、しなきゃ良かったなー…なんて…
すごく、後悔した。
学生時代からモテまくってた男を旦那にして、最初は嫉妬に狂うのは嫌だなー…なんて思ったりもしてたけど。
息子が生まれてしまうと。
もう…あたしの心は息子に奪われまくった。
息子の廉斗が可愛くて仕方ない!!
そんなあたしに危機感を覚えたのか…
最近、やたらと希世が優しい。
あたしがバンドに復帰した途端…すごくベタベタしてくるようになった。
あたしをおいて、さっさと学校を辞めたクセに。
あの時、あたしがどんなに学校でいじめられたか…
本当に希世の子供なのかって、嫌がらせされまくって…
…あ、ダメダメ。
思い出すと、スネアを破いちゃうぐらいの力が出そう。
…たぶん、あたしは希世ほど沸点が高くない。
希世の事、好きだけど。
希世があたしを好きなほどじゃないと思う。
だから…紅美を見てると、羨ましく思う時がある。
苦しそうだけど…
家出中の恋とか…渡米してた時の恋とか…
あんな恋…してみたかったな…なんて。
そんなわけで。
最近のあたしの楽しみは…
沙都とノンくん。
どっちが、紅美を落とすか。って事かな。
ディズニーランドでデートした。って言ってた頃から…紅美とノンくんが怪しい。
沙都も気付いてる。
あたしとしては、義理の弟である沙都を応援したい所だけど…ノンくん、いい奴なんだよなあ…
あたしがスタジオ入る時、絶対助けてくれるもん。
小さなことかもしれないけど、あたしにとっては大きい。
スネアやシンバル、結構な大荷物で登場するあたしに。
ノンくんは誰かと話しながら近付いてきて、さりげなく荷物を取って、スタジオに入る。
…これってさ…
あたし、独身だったら惚れちゃってるレベルだよ!!
…いや、どうかな。
ノンくん、結構…変わり者だしな…
でも、優しいのは間違いない。
あたしはいつも。
ドラムセットの位置に座って。
前に立つ三人を見比べる。
今日は紅美がノンくんの顔を見ないなあ…とか。
今日は沙都が紅美と目を合わせないなあ…とか。
今、ノンくんは食べ物の事でも考えてるのかなあ…とか。
みんなはどう思ってるか分からないけど。
あたしは…このバンドが大好き。
最初は、紅美と沙都との3ピースで始めたDANGER
ノンくんが加わって、より厚い音になった。
可愛い息子と片時も離れたくない気持ちは大きいけど。
事務所に来ると、それは…その瞬間は忘れる。
ごめん、廉斗。
母ちゃん、廉斗の自慢の母になれるよう、頑張るから!!
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