第9話 「おっはよー。」

「おっはよー。」


 プライベートルームに入ると…


「おは…えっ…あんたまた…」


 沙也伽が絶句するほど…また、髪の毛を短く切った。


「やっぱ、こっちのが楽だね。」


「まあ…楽だろうけどさ…あんた、背ぇあるから男だよ…」


 ふむ。

 それは言われても仕方ない。

 実際、あたしは凜太郎と名乗って、男として生きていた期間があるだけに…否定できない。



「沙也伽。」


「ん?」


「…ずっと、心配かけてごめんね。」


「……紅美?」


「少しずつ、色んな事…吹っ切るんじゃなくて…受け止めて理解しようと思う。」


「……」


「それだけを見るんじゃなくて…その側面や裏側って言うかさ…あたし、ずっと自分が傷付いた事しか見えてなかったから。」


「…普通、それだけでいいんだよ。あんた、わざわざ自分から辛い道選ばなくても…」


「ううん。たぶん…あたしには、そっちのが合ってるんだと思う。」


「……」


「あんたみたいに最高の親友がいるのにさ…甘えない手はないよね。」


「紅美…」


「てなわけで。あたし、とりあえず桜井久美に会うから。」


 沙也伽にそう言うと。


「あー…それ、一番気になってた。あー、良かった。」


 沙也伽は本当にホッとした顔で。


「可愛い義弟を魔の手から救ってやって。」


 あたしの手を握った。


「魔の手ね…でも、彼女が本気で沙都を口説き落とす可能性だってあるよ?」


「あるかなあ~?」


「かも、よ。その辺、ちゃんと話し合う。」


 ギターを取りだして、椅子に座る。

 まだ髪の毛を切った事に慣れなくて、時々髪を後ろに追いやる仕草をしてしまった。



 そうこうしてると、沙都もノンくんも来て。


「えっ!!紅美ちゃん、いつ切ったの!?」


 そう言って騒ぐ沙都と。


「ふーん。似合うな。」


 見たか見ないかぐらいで、適当な感じで言ったノンくん。


 …まあ、あたしが悪いんだけど。さ。

 ほんっと…

 仕事以外の事では、冷たくなった。

 …ま、欲張るまい。

 今は、そんな時期。



 スタジオに入って、準備をして。


「イベントの構成さ、ちょっと変えない?」


 あたしがそう言うと。


「どんな感じに?」


 沙都と沙也伽が言った。


「三曲だから、インパクトのある曲をって選んだけど、三曲だからこそ、ドラマチックにって言うかさ…」


「あぁ、なるほどね。そうなると、二曲目は変えてもいいかも。」


 沙也伽がシンバルの位置を直しながら言った。


「じゃ、三曲目にLovely Daysを持ってくとかは?」


 沙都がノンくんに言うと。


「…任せるよ。」


「……」


「……」


「……」


 あたし達は、顔を見合わせた。

 いつも、こういう話は率先してくれるノンくんが…

 任せる?


 あたしとの関係がどうでも…ちゃんと仕事は仕事として接してくれてたけど…

 今日はどうしたんだろ…



 練習を始めたものの…やっぱりノンくんの調子が悪い。


「…悪い…今日、俺抜きでやってくれるか?」


 一時間半を過ぎた頃…ノンくんはそう言って、ギターを片付け始めた。


「…うん。分かった。」


「じゃあな。」


「……」


 ノンくんが入るまでは三人でやってたわけだし…

 出来ない事はないんだけど…

 やっぱり、ノンくんがいないと…力強さがない。



 それでも三時間練習をして、スタジオを出る。


 …ノンくん…何かあったのかな…

 元気なかった。

 …あれから、仕事以外の話はしてない。


「……」


 でも。

 気になるけど…

 今は、沙都が先だ。



「さ、沙都、行くよ。」


「えっ…え?どこへ?」


「あんたの彼女に会いに。」


「なっ…なんで!?」


「いいじゃない。会いたいのよ。」


「…本気?」


「うん。」


 あたしは嫌そうな顔をする外の腕を持って、事務所を出た。



 * * *


「あっ、沙都くー……ん…」


 待ち合わせ場所のダリア。

 噂の桜井久美は、沙都の後にあたしがいるのを見付けて。

 あからさまに、嫌な顔をした。



「…何?何で、二階堂さん…?」


「いや、それが…」


「話があるのよ。」


 沙都が言い渋ってる横で、あたしは言った。


「…何…」


「…とりあえず、沙都。しばらくどこか行ってて。」


「な…なんでよ…」


 桜井久美は嫌がったけど。


「…沙都に聞かれてもいいの?あんたがした事。」


 あたしが耳打ちすると…


「……」


 息を飲んで黙った。



「…じゃあ…あっちの席にいるから…」


 沙都が遠慮がちに、離れた席に座る。

 あたしはそれを見届けてから。


「三年前、あたしのカバンにCDを入れて、あたしに万引きの罪を着せようとしたわね?」


 真っ直ぐに目を見て言った。


「な…な、何言ってるの…?」


「あんた知らないの?色んなところで噂になってんのよ?」


「…し…証拠があるの…?」


 あたしはポケットから写真を出して。


「当時の店長と、店員から話を聞いて来たわ。」


 桜井久美の前に並べた。


「……」


 顔面蒼白とは、まさにこの事。


「証人がいるって聞いてたけど、この子かって…あんたの写真を見せたわ。ああ、そうそうって認めたわよ。」


「……」


「ちなみに…沙都も知ってると思うわよ?」


「えっ…」


「たぶん、何か探るためにあんたに会ってるんだと思うから。」


「そ…そんな事…あたしと沙都くんは、ちゃんと付き合ってるし…」


「キスした?」


「……」


「好きって言われた?」


「……」


「卑怯な手を使ってまで、沙都を手に入れたい…その熱意は認めてあげる。」


 あたしはテーブルで頬杖をつくと。


「でも、そんな事で沙都は手に入らないわよ。」


 低い声で言った。


「……」


「沙都の前で、真実を話して、あたしに謝罪しなさい。」


「……」


「それから、ちゃんと沙都に告白しなさいよ。」


「…え…?」


「沙都の事、本当に好きなら。そうした方がいい。」


 桜井久美は真っ青な顔だったけど…

 絶望的な顔ではなくなった。

 むしろ…覚悟を決めたような顔になって…


「…沙都くん、呼んでいい…ですか…」


 小さな声で言った。


「どうぞ。」


 ゆっくりと立ち上がった桜井久美は、ずっとこっちを遠慮がちに見ていたであろう沙都の方を向いて…手招きをした。

 沙都は息を飲んで立ち上がると、こっちに向いて歩いて来て…

 あたしの隣に座るか、桜井久美の隣に座るか悩んで…


 立ったままになった。


「…座れば?」


 あたしが少し意地悪な目で、沙都を見上げて言うと。


「…このまま聞く。」


 沙都は小さな声で言った。


「…沙都くん…」


「ん?」


「…あたし…」


「……」


「……二階堂さん、あの時は…………すみませんでした…っ…」


 桜井久美はあたしに深々と頭を下げて。

 沙都の方に向くと。


「あたし…っ…あの時、二階堂さんの事、憎くて…CDを……」


「……」


「…カバンに入れて…二階堂さんのカバンに…入れて…お店の人に…二階堂さんが…万引きしたのを見た…って…」


 桜井久美の告白を、沙都は目を伏せて聞いた。

 そして…あたしの隣に座った。


「…ごめんなさい…」


「……」


「本当に…ごめんなさい…」


 桜井久美の謝罪に…沙都は無言。


「あたしは、謝ってもらったから、もういいわ。」


「…え?」


 二人から、同時に同じ声がした。


「これからは、正々堂々と、よ。」


 あたしは桜井久美に手を差し出す。


「…二階堂さん…」


 握り返された手は、小さくて…女の子らしかった。


「さ、あたしの話は終わり。あとは二人でどうぞ。」


 あたしが立ちあがると。


「え?終わりって…紅美ちゃん…」


 沙都も立ち上がりかけたけど。


「あんたは、まだ残って話をして帰んなさい。」


 沙都の肩を押さえて座らせる。


「言っとくけど、ハッキリ問い質さずに会ってたあんたも同罪。」


 小声で沙都に言うと。


「…ごめん…」


 沙都は桜井久美に小さく謝った。


「じゃ、沙都、また明日。久美ちゃんも、またね。」


 軽く手を上げて言うと。


「…ありがとう。」


 背中に…可愛い声が聞こえて来た。



 * * *



「おはよー……ん?何かあったの?」


 プライベートルームに入ると、沙也伽と沙都が難しい顔をしてた。


「紅美ちゃん…」


「紅美…」


 二人は同時にあたしの方を向くと。


「これ…」


 一冊の雑誌を手渡した。

 それは、あまりお目にかかる事のない…ゴシップ記事がたくさん載ってる雑誌。



「何。二人ともこういうの読むの?」


「…ビートランドの事が載ってるの。」


「えー、珍しいね。うちの事務所がゴシップ記事に取り上げられるなんて。」


 本当にそうだ。

 音楽雑誌に載る事はあっても、こういう下世話な感じの物には、一切取り上げられない。

 それもこれも、高原さんの力もあるんだろうけど…

 うちの事務所は、とにかくクリーンなイメージが高い。



「ここ、見て。」


 沙也伽に言われて、それを手にして目を落とすと…


「……」


『ビートランドのサラブレッド、周囲が必死で消そうとする黒い過去』


「…ビートランドのサラブレッドって誰…」


 あたしは眉間にしわを寄せる。

 この事務所は、いわばサラブレッドだらけだ。


「沙都?」


「…紅美ちゃん、記事読まないで聞いてるでしょ。」


 沙都は苦笑いしながら言った。


「文字多くて。」


 首をすくめて記事に目を通すと…


 父親が有名ボーカリスト。

 有名大学を卒業。

 家族にモデルがいる。


 …うちの事務所で有名男性ボーカリストで、父親してるのは…

 ちさ兄。

 知花姉は素性を明かしてないから、この人って本当ならもっともっとサラブレッドなんだよー。って教えたくなっちゃうけど…



「…ノンくん?」


「…だよね…」


「周囲が必死で消そうとしてる過去って…」



 その記事には…こんな事が書いてあった。


 当時、桜花の大学一年だったノンくんには…一学年上の彼女がいて。

 だけど人気者だったノンくんに、彼女はいつもヤキモキしてて。

 ノンくんは酔った勢いで、同期である、彼女の妹と関係をもって。

 彼女は、妹と彼氏に裏切られた…って、自殺した。

 遺書には、二人への恨みつらみが便箋に10枚以上綴られていて。

 葬儀に参列した際、ノンくんは両親からひどく罵られたそうだけど…



 ノンくんは。



『俺はただの友人で、どちらとも付き合ってないし関係も持ってない』


 そう言い残してその場を去り。

 その後、彼女の両親はノンくんを訴える姿勢を見せたらしいけど。

 何にせよ…証拠不十分。

 ご両親の願いは叶わなかった。


 しかし…


「…彼女の妹は、『今も自分は彼に玩ばれている。彼は天性の女好きで最悪な人間。彼みたいな人間が世の中でチヤホヤされるのはたまらない』と語る…」


「……」


 確かに…ノンくんは、のらりくらりとあたしの中に入って来た。

 多少…強引でもあった。

 でも…あたしが言うのも…だけど…

 好きじゃない子の所には…行かないと思う。

 ノンくんがただの友人って言い張るなら、そうだよね。



「その自殺した彼女の妹ってさ…」


 沙也伽が小声で。


「例の…パーソナリティーよ。」


 って…


「……え?」


 横山薫…さん?


「な…なんで彼女がこんな事言ってるわけ?しょっちゅう一緒に飲みに行ったりしてるよね?」


「うん…どういう事なんだろうね…」



 結局…

 その日、ノンくんは事務所に来なかった。

 連絡も取れなくて…


 あたしは帰りに桐生院家に寄ることにした。





「こんちはー。」


 事務所の外には、数人のマスコミ関係らしき人間が待機してたけど…

 さすがに家までは張り込まれていないようだった。


「あら、紅美。いらっしゃい。」


 出迎えてくれたのは、ばあちゃん。


「ノンくんいる?」


「いるわよ。」


「いるんだ?連絡取れなかったのに…」


「会長さんから、今日は誰とも連絡取るなって言われたんですって。」


 …会長さん…ねえ。

 ばあちゃん、高原さんとそんな堅苦しい関係じゃないはずなんだけど。

 なんでここまで頑なに溝を作るんだろう?



「……」


「ん?何?」


 ばあちゃんに見つめられて、あたしは首を傾げる。


「紅美…何だかいい顔になったね。」


「え?」


「スッキリした顔してる。」


 ばあちゃんはそう言って、あたしの頬を撫でた。


「…ばあちゃんて、するどいよね。」


「そう?年寄りの勘は当たるだけよ?」


「都合のいい時だけ年寄りになるね。」


「ふふっ。」


 ばあちゃんがノンくんを呼んでくれて、しばらくリビングにばあちゃんと二人でいたんだけど。

 ノンくんが来ない。


 そんなわけで、あたしは紅茶を持って、ノンくんの部屋へ。


「ノンくーん。」


 部屋の中から、返事はない。


「開けてー。あたし、両手塞がってんの。」


 少し待ってると。


 ガチャ


 ドアが開いた。


「返事ぐらいしなよ。」


 そう言って部屋に入って。

 トレイをテーブルに置く。


「連絡取れないから心配した。」


 ベッドに横になったノンくんの顔を覗き込みながら言うと。


「……」


 ノンくんは、あたしとは目を合わさず…天井を見たまま。


「…あたしとは口も利きたくない、と。」


 首をすくめて、床に座る。

 カップを手にして、紅茶を飲んだ。



 しばらく、無言のまま時間をやり過ごした。

 あたしはベッドを背もたれにして、そばにあった映像の雑誌を手にして眺めた。


 …じいちゃんが死んで、じいちゃんの会社は聖くんが継いだ。

 ノンくん…もしかして、その勉強もしてるのかな。

 確かに、聖くん一人じゃ大変だもんな…

 …バンド、辞めないよね…?


 でも今は、何も聞かない方がいいと思った。

 紅茶は冷めても美味しくて。

 これってなんていうやつだろ。

 帰りにばあちゃんに聞いて帰ろう。なんて思った。



「…紅美。」


 一時間以上経って。

 ようやく、ノンくんが言葉を発した。


「ん?」


 雑誌に目を落としたまま返事をする。


「…何しに来た?」


「来ちゃいけなかった?」


「…何しに来たのか聞いてる。」


「心配だったから来ただけ。」


「…何が心配だったんだ。」


「連絡取れなかったから。」


「……」


 ノンくんはゆっくりと起き上がると。


「……」


 あたしの顎を持ち上げて振り向かせると、唇を近付けた。


「待って。」


 あたしは、ノンくんの唇に手を当てる。


「……」


「ノンくんは、あたしの事好きなの?」


「…何を今更…おまえ、言ってただろ?体の相性はいいみたいだから、したくなったら言えって。」


「言ったけど、訂正する。」


「訂正?」


「あたし、好きな人とじゃないと寝ない。」


「……」


 目を見て言うと。

 ノンくんは小さく鼻で笑って。


「おまえは何か解決したわけだ。」


 また、ベッドに沈み込んだ。



 体の向きを変えて、ベッドに頬杖をついてノンくんを見る。


「ノンくん。」


「…あ?」


「あたしが辛い時…そばにいてくれて、ありがと。」


「…なんだそれ。別に、おまえが辛いとか知らないし…俺は俺のしたいようにしてただけで…」


「それでも、ありがと。」


「……」


「仕事、早く復帰してね。やっぱノンくんいないとピリッとしなくてつまんない。」


 あたしがそう言って立ち上がろうとすると。


「紅美。」


 ふいに、腕を取られた。


「…ん?」


「……」


 ノンくんは、じっとあたしを見て。


「…色々、噂が出ると思う。」


 低い声で言った。


「…うん…それが?」


「俺も男だから…女と何もなかったわけじゃない。」


「…それは、噂の人達と?」


「あいつらとは本当に何もなかった。でも、たぶん今から…他の女に関しての噂が出ると思う。」


 あたしは首をすくめて。


「モテる男は辛いね。」


 少し笑った。


 ノンくんは少しだけ目元を和らげて。

 さっきとは違う…優しい声で言った。



「…サンキュ…紅美。」

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