第23話 「…婚約解消…と言う事で、いいんだな?」

「…婚約解消…と言う事で、いいんだな?」


 頭の言葉に、みんなは黙ったまま。



 今日は…海くんが帰国して…改めて、婚約解消について話し合った。

 あたしの両親と、兄と…海くんのご両親…

 そして、空ちゃんと泉ちゃん…



「私が不甲斐ないばかりに、朝子さんに嫌な思いをさせてしまいました。お許しください。」


 海くんがそう言って、うちの両親に頭を下げた。


「坊ちゃん…やめて下さい…」


「こうなったからと言って…彼女を責めるような事はしないで下さい。本当に…全ての責任は私にありますから。」


 あえて…あたしは何も言わなかった。

 海くんがそう言ってくれるのなら…水を差したくなかった。

 だけど…



「あたしは…」


 小さく、話し始める。


「あたしは…ここで生まれ育って…」


「朝子…」


 母さんが、あたしの手を取った。

 何も話さないで。と言わんばかりの目だったけど。


「外の世界を知らずに生きて来て…本当に無知で…甘えん坊で…我儘で…」


 あたしは、続けた。


「なんてちっぽけなんだろうって…嫌気がさしました。」


「朝子、やめなさい。」


 母さんがあたしの肩に手を掛けたけど。


「いいから。続けなさい。」


 頭が…そう言ってくれた。


「…小さな頃から…この人と結婚するって…ちゃんとそれが恋に…なってたのかなって、今は思います。」


 あたしのつまらない話を、みんなは静かに聞いてくれてる。


「ここしか知らないから…結婚っていう物に憧れが出た時に…ただ、相手に恋をした気になったのかもしれない…」


 久しぶりに…海くんの顔を正面から見た気がした。


「二階堂の人間として脱落したあたしを、立派な方の結婚相手に選んでくださってた事は…本当に光栄でした。でも、あたしにはそれが務まるほどの器はありませんでした。」


 三つ指を立てて、畳に額がこすれるほど…頭を下げた。


「本当に、申し訳ございません。」


 誰も…何も言わなかった。


 あたしは続けて…


「こんなあたしでも、これから夢を見る事が出来るなら、ここを出て、外の世界を知りたいと思ってます…」


 キッパリとそう言った。


「朝子…そんな事…!!」


 母さんは涙声。


「…私からも、お願いします。」


 そう言って、隣で頭を下げたのは…兄だった。


「妹が、ここから出て…外の世界で生活する事を、お許しください。」


「…朝子、志麻、顔を上げなさい。」


 頭は優しくそう言ってくれて。

 あたし達がゆっくり顔を上げると。


「まるで二階堂は牢獄扱いだな。」


 小さく笑われた。


「す…すみません…」


「…昔ながらの体制を変えていきたいとは思いつつ、仕事の面では変化があっても…中に居る者の生活に関しては…配慮が行き届いてなかったな。」


 頭は少し伏し目がちになって。


「…薫平くんぺいが辞めたいと言った時に…もっと全体を見渡すべきだった。」


 ゆっくりと、そうつぶやかれた。


「頭に落ち度はありません。ただ…妹が自我に目覚めただけです。」


「…志麻は頼もしいな。」


「私は、これからも二階堂のために尽力いたします。」


 兄の言葉に、頭は優しく微笑まれた。


「縁談がなくなったからと言って、何も東家と二階堂がどうにかなってしまうわけじゃない。暗い顔はやめよう。」


 頭の言葉に、少しうつむき加減だったみんなは顔を上げた。


「二人のこれからを祝そう。道は違えど、夢は広がるはずだ。」


 頭は…大きな人だと思った。



 あたしは初めて…

 本当に、恵まれた環境にいた事を…思い知らされた…。



 小さな宴が始まった。

 ずっと言葉を出せずにいた父さんは、頭に抱きついて泣いていた。

 今夜は…泣き上戸らしい。



 昔、頭は姐さんの護衛をしていた身で。

 うちの父さんと…幼馴染の瞬平・薫平のお父さんである高津さんと、小さな頃から三人で働いて来た。



 仕事の時は、『頭』と呼んでいるけど…今夜は、もうオフとしようって。

 現場から帰った高津さんと…

『万里』『沙耶』『環』と呼び合って…泣いてる父さんを挟んで、二人が笑ってる。



「朝子、あっちでお茶しない?」


 空ちゃんに声をかけられて、あたしは洋館へ向かう。

 そこには、泉ちゃんもいた。



「ほら、見て。泉がパイ焼いたのよ?」


「……」


 目の前に出されたパイを見て、あたしは無言になった。

 だって…

 泉ちゃんは全然料理なんてできなかったのに…


「朝子が焼いてたの見て、必死で覚えたんだー。」


「最初は酷かったけど、やっと食べれるような物が出来るようになったのよ?」


「あっ、姉ちゃん酷いな。酷かったのは、最初の一回だけだよ。」


「えー?そうだったっけ?」


 …二人とも…変わらない…



 空ちゃんは、先月女の子を出産した。

 今日は…渉さんに子守してもらってるのかな…



「…ごめんね、朝子。」


 パイを切り分けながら、空ちゃんが言った。


「…え?」


「そんなに辛かったなんて…気付いてあげられなくて…」


「そんな事…」


 空ちゃんは…紅美ちゃんと海くんの事を知ってた。

 だから…少なからずとも、責任を感じてるのかもしれない…


「…二人には、ずっと良くしてもらってたのに…ごめんなさい。」


 ソファーに座ったまま、頭を下げる。


「そんなん、やめてよ。兄ちゃんとこうなったからって、あたし達は何も変わんないから。」


 泉ちゃんが、あっけらかんとした声で言った。


「そうよ?これから、朝子がどこでどう生活していくか…不安もあると思うから、何でも相談してね?」


「ありがとう…空ちゃん…泉ちゃん…」


 それから、泉ちゃんは仕事の事で出掛けて。

 あたしは空ちゃんと二人になった。


「…昨日ね…あるライヴを見に行ったら…紅美ちゃんが出てて、驚いた。」


 あたしが紅茶を飲みながらそう言うと。


「えっ…あれに行ったの?」


 空ちゃんは驚いた顔をした。


「チケット、どこで手に入れたの?」


「あ…偶然…」


「そうなんだ。あれって、プレミアムチケットだからね。身内と招待客しか入れないし。」


「……」


 そんないい物を、アズマさん…あたしにくれたんだ。


「紅美ちゃん、キラキラしてた。」


「…紅美にも、色々あったみたいだけど…今は立ち直って頑張ってるよ。」


「でも…きっとまだ、海くんの事…好きなんだなって思った。」


「……」


「途中で帰ろうと思ったけど、最後までいて…すごく…良かった。」


「そっか…」


「うん。愛って、いいなって思った。だから…ちゃんと…婚約解消して、自分の足で立たなきゃって思えた。」


 何のことか分からないであろう話を…空ちゃんは、黙って聞いてくれた。


 そしてあたしは…決めた。



 紅美ちゃんに、会おう。




 * * *



「…あたし、婚約解消したの。」


 ビートランドの事務所の近くで、紅美ちゃんを待ち伏せして。

 気乗りしてなさそうな紅美ちゃんと公園まで歩いて…告白をした。


「…………はっ?」


 あたしの言葉に、紅美ちゃんは変な声を出した。


「紅美ちゃん…愛より強い同情はないって言ったよね…」


「……」


「あたしも、そう言い聞かせてた…。海くんは、あたしを選んだ。今は同情でも…それは愛に変わるんだ…って。」


 …自己解決したつもりなのに…海くんと居た頃を思い出すと…

 やっぱり、口調がきつくなってしまう。



「だけど…結局同情でしかなかった…こんなあたし…女として見れなかったみたい…」


「…そんな事言っても…まだ何年も経ったわけじゃないのに、努力し尽くしたみたいに言わないでよ。」


 紅美ちゃんの言い方に、少しカチンときた。


 そりゃあ…

 そりゃあ、あたしは甘いかもしれないけど…!!


「…紅美ちゃんには分からないよ…」


「は?」


「…彼と…愛し合ってた紅美ちゃんには…分からない…」


「……」


「あたしは…二階堂の跡取りを産むことで…自信をつけようって思ってたのに…」


 そうよ。

 分からないわよ…。

 紅美ちゃんは、海くんに抱かれたはず。

 だけどあたしは…

 今も思い出すだけで、涙が出てしまう。



「…彼は…一度もあたしを抱けなかったの…」


「……」


「一緒に…病院にも行った…だけど、精神的な物だって言われて…それじゃ、あたしには…」


「…だからって、婚約解消なんてしなくても…さ…」


「もう、これ以上惨めな思いをする事に…耐えられないって思ったの…」


「……」


「昔から…海くんは優しかったけど、ずっと一線引かれてる気がしてた。ようやく…って時にアメリカに行くって言われて…ついて来いとも言わないし、あたしって必要ないんだなって…」


 涙が止まらなくなってしまった。

 ああ…まだ早かったのかな…

 そんな事を思いながらも、あたしは続ける。


「待たないって言ったら、あっさり…分かったって言われるし…そしたら…向こうで紅美ちゃんと…」


「……」


「なんだ…海くん、やっぱり紅美ちゃんの事好きなんだ…って、毎日毎日考えちゃって…」


「……そうは言うけどさ。」


 静かにあたしの話を聞いて紅美ちゃんが。

 低い声で言った。


「あたしだって、毎日辛かった。吹っ切ったつもりだったのに…朝子ちゃん達が婚約したって聞いてからは、すごく不安定になって…もう、誰でもいいからあたしを壊してくれって思ってたし…ほんと…」


「……」


「ほんと…何で…カッコつけて、あんな事言ったんだろうって…後悔した…。海くんの事、渡したくないって…いくら海くんを困らせるって分かっても、もっと言葉にしちゃえば良かった…って…何度思ったか分からない。」


 …紅美ちゃんも…苦しんでたんだ…

 そりゃあ…そうだよね…

 あたしが怪我しなかったら…あのまま、二人は付き合ってたわけだし…

 二人にとっては、あたしは…いくら海くんを助けたと言っても…

 邪魔者でしかない…。


「…もっと…時間かけて向き合ったら?」


 紅美ちゃんは溜息をつきながらそう言ったけど。


「…紅美ちゃん、イキイキしてた。」


 あたしは、話を変えた。


「え?」


「Live alive…観に行ったの。」


「え?朝子ちゃんが?」


 紅美ちゃんは、驚いた顔。


「誰から招待されたの?」


 やっぱり、みんなビックリするんだなあ…

 あたし、音楽とは全くかけ離れた生活してたもんね…



「…あたしも、よく知らない人なんだけど…」


「……」


「その人のおかげで、ちょっと気付いた事があって…」


 あの時…何度も、彼はあたしのこの傷に触れた。


 …アズマさん。

 あたしは、顔の傷を紅美ちゃんに見せる。


「あたし、この傷で海くんを手に入れて…」


「……」


「この傷のせいで、自分を失くしてた。」


 紅美ちゃんは、目を逸らさなかった。


「本当は、何が何でも海くんにすがって生きて行こうって思ってたの。だけど…ライヴ見て…自分を取り戻したいって思った。」


「…最後まで見たの?」


「うん…だから…そう思った。」


 あのイベントの最後は…

 部外者のあたしまでもが…涙を止める事が出来ないぐらいの出来事があった。



「だから…婚約解消したの。」


「……」


「あたし、こんなままで海くんの隣にいたって…上手く笑えない。」


 …なのに…

 アズマさんの隣では笑えたなんて…って。

 そう思うと、何だか…海くんには悪いけど笑えてしまった。

 すると、そんなあたしを見た紅美ちゃんは。


「…久しぶりに見た。」


 優しい目で…そう言った。


「え?」


「朝子ちゃんの笑顔。」


「…そうね。久しぶりに笑ったかも。」


「海くん…今は…?」


「何週間かこっちにいるみたいだけど…またアメリカに行くんじゃないかな。」


 あたし…

 今、アズマさんの事を少し考えただけで…

 紅美ちゃんに、海くんの話をするのが辛くなくなってる…?



「…朝子ちゃん、これからどうするの?」


 紅美ちゃんが心配そうに聞いた。


「二階堂からは出ようと思うの。」


「……」


「お世話になって来たのに…恩を仇で返すみたいで苦しいけど、みんな理解してくれたから…」


 本当に…みんな優しい。

 その優しさに胡坐をかかないように…

 あたし、本当にしっかり生きていかなくちゃ…



「朝子ちゃん。」


「ん?」


「チケットくれた人って、男の人?」


「……」


 紅美ちゃんが少しだけ意味深に言うから…

 つい…無言になってしまうと…


「……赤くなった。」


 紅美ちゃんは目を細めて笑った。


「な…なってないよ。」


「いや、でも赤くなってるって。」


「なってないっ!!」


「その人の所に行くの?」


 思いがけない言葉だった。


「行かないよ…まだ名前しか知らないし…それに、まずは自分を取り戻してから。ちゃんと…自分の足で立って、小さくてもいいから自分の世界を作りたいの。」


 まずは…働かなくちゃだよね。

 あたしに、何が出来るかなあ…



「…朝子ちゃん。」


「ん?」


「ごめん…ずっと、憎いって思ってた。」


 紅美ちゃんは、少しだけ頭を下げて言った。


「…あたしだって、そうだよ…」


 あたしは、そんな紅美ちゃんの手を握る。


「だけど、ライヴ見てファンになっちゃった。紅美ちゃん、すごくカッコ良かった。」


「…ありがと…」


 …不思議だな。

 あんなに憎かったのに…

 今は…応援したいなんて。



 ふと、紅美ちゃんのバンドのギターの人が、会場にいる人を殴って…それから抱き合ってたのを思い出した。

 誰かを憎んで生きるなんて…バカげてる。



「…まだ海くんの事好きなら…会いに行って。」


 あたしは、意を決してそう言う。


「……」


「あたしが言うのもおかしいけど…」


「……」


「二人に、後悔して欲しくない。」


 もし…上手くいったとしたら…

 すぐには祝福できないかもしれないけど。

 いつか…

 二人には、おめでとうって言いたい。



「…朝子ちゃん、ご飯食べて帰らない?」


 ふいに、紅美ちゃんが言った。


「え?」


「もう少し先に、美味しい定食屋があるんだよ。」


「…行こっかな。」


「しーくんも常連みたいだよ。」


「え?お兄ちゃんが?」


「うん。」



 他愛のない話をしながら。

 あたしは、紅美ちゃんと天丼を食べた。



 憎しみは…醜い自分しか生まないと気付いた。

 もっと早く…色んな事に気付けてたら。


 みんな…幸せになれてたかもしれないのに…ね…。

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