第18話 BEAT-LAND Live aliveが終わって。

 BEAT-LAND Live aliveが終わって。

 若干…抜け殻になってる自分が…いる…って思ったのもつかの間。


『おまえら、抜け殻になってるんじゃないだろうな。』


 高原さんから、館内放送。


『全アーティストに課題を出す。クリアできない奴らは苦行が待ってると思え。』


 それを聞いた沙都は。


「…苦行って何だろう…」


 ってつぶやいて。


「おまえはマゾか。課題の方を気にしろ。」


 ノンくんに頭をグリグリされてる。



 イベントの後、館内を歩いてると、色んな人に声を掛けられた。

 新曲のCD発売、楽しみにしてるよ!!とか。

 アルバムが待ち遠しいね!!とか。

 ファンになったよ!!とか…


 反響があったんだと思うと、やっぱ嬉しいし…

 その声の多さが評価だとも思うから、自信にも繋がった。



「課題かあ…何なんだろうね。」


「あの人、見てないようで結構しっかり見てるからな。」


「ま、何でも来いって感じかな?あたしら、今なら何でも出来ちゃうよ。」


 沙也伽の頼もしい発言。


 …なるほど。

 アドレナリンが出まくったあたし達は、まだまだやる気に満ち溢れてる。

 高原さんの作戦?

 祭りの後みたいな寂しい気持ちに吹っかけるように、課題なんて出されたら…絶対みんな張り切るもん。



「じゃ、お先にー。」


「また明日ー。」


 今日は音楽雑誌から、新曲発表のインタビューを受けた。

 初めての事で、ちょっと緊張。

 最初は四人だったけど、後半は個別で。

 そんなわけで、みんな解散の時間がバラバラ。

 沙也伽が一番に帰って、続いて、ノンくん、沙都、最後があたし。

 あたしが事務所を出た時は、空がいい具合にオレンジ色だった。



 …最近音楽に夢中になってたおかげで…寂しさとか感じなかった。

 慎太郎ともメールのやりとりで近況を知らせ合ってて。

 最近は調子が良くて、久しぶりに漁に出た。と、魚を手にした写メがついていた。

 余命を宣告された人とは思えない。

 慎太郎から送られる写メには、笑顔が増えた。

 それが、今のあたしには…

 お守りみたいな感じになっている。



「……」


 ふと、事務所の近くにあるバス停のベンチに人が座ってる事に気付いて。

 あたしは…足を止める。



「…良かった…。会えなかったら、家まで行こうと思ってたの…」


 ベンチから立ち上がって、あたしの目の前に立ったのは…朝子ちゃん。

 最近は…あまり思い出す事もなかったけど…

 実際目の前に立たれると…

 …まだ、会いたくない人の一人。

 そう思ってしまった。



「いや…来られても…困るけど…」


 つい本音が口をついた。


「…そうね…」


「……」


「話があるの。少し…時間いい?」


 朝子ちゃんは、顔の半分を伸ばした髪の毛で隠すようにしていて。

 そのせいで、酷く猫背に思えた。



「…何。」


 あたしと朝子ちゃんは公園を歩いて…並木のベンチに座った。

 …やぶ蚊が居たら嫌だなー…なんて、関係ない事を考えたりして…



「…あたし、婚約解消したの。」


 座って間もなくして…朝子ちゃんが言った。


「…………はっ?」


 その言葉に、あたしは眉間にしわを寄せて…変な声を出した。

 今…朝子ちゃんはなんて…?



「紅美ちゃん…愛より強い同情はないって言ったよね…」


「……」


「あたしも、そう言い聞かせてた…。海くんは、あたしを選んだ。今は同情でも…それは愛に変わるんだ…って。」


 朝子ちゃんの視線は、ずっと自分の爪先。

 時々目を伏せて…小さく溜息をつく。



「だけど…結局同情でしかなかった…こんなあたし…女として見れなかったみたい…」


「…そんな事言っても…まだ何年も経ったわけじゃないのに、努力し尽くしたみたいに言わないでよ。」


 あたしは呆れたように、頭をかきながら言った。


「…紅美ちゃんには分からないよ…」


「は?」


「…彼と…愛し合ってた紅美ちゃんには…分からない…」


「……」


「あたしは…二階堂の跡取りを産むことで…自信をつけようって思ってたのに…」


 朝子ちゃんは息を荒くして…涙ながらに言った。


「…彼は…一度もあたしを抱けなかったの…」


「……」


「一緒に…病院にも行った…だけど、精神的な物だって言われて…それじゃ、あたしには…」


「……」


 変な気持ちだった。

 朝子ちゃんをかわいそうだと思うのに…どこかで、海くんと朝子ちゃんが寝てない事にホッとしてる自分もいる気がする。


 …あたし…醜いな…


 朝子ちゃんの気持を考えると、どうしたって…それは拷問だ。

 自分は選ばれた。って自信を持ちたいのに…好きな男は自分を抱けないなんて…。



「…だからって、婚約解消なんてしなくても…さ…」


「もう、これ以上惨めな思いをする事に…耐えられないって思ったの…」


「……」


「昔から…海くんは優しかったけど、ずっと一線引かれてる気がしてた。ようやく…って時にアメリカに行くって言われて…ついて来いとも言わないし、あたしって必要ないんだなって…」


 朝子ちゃんの目から、涙がこぼれる。


「待たないって言ったら、あっさり…分かったって言われるし…そしたら…向こうで紅美ちゃんと…」


「……」


 朝子ちゃんの辛い想いとは裏腹に…あたしは、アメリカでの海くんとの時間を思い出してしまった。

 マキちゃんの所に遊びに行ったり…

 海に遊びに行ったり…

 抱き合って眠って…

 クリスマスには、指輪をもらった。


 だけど。

 だけど…全て、消え去った。

 海くんとの赤ちゃん…産みたかったな…

 妊娠にさえ気付かなかったなんて、あたしバカだよね。



「なんだ…海くん、やっぱり紅美ちゃんの事好きなんだ…って、毎日毎日考えちゃって…」


「……そうは言うけどさ。」


 あたしも、低い声で話し始める。


「あたしだって、毎日辛かった。吹っ切ったつもりだったのに…朝子ちゃん達が婚約したって聞いてからは、すごく不安定になって…もう、誰でもいいからあたしを壊してくれって思ってたし…ほんと…」


「……」


「ほんと…何で…カッコつけて、あんな事言ったんだろうって…後悔した…。海くんの事、渡したくないって…いくら海くんを困らせるって分かっても、もっと言葉にしちゃえば良かった…って…何度思ったか分からない。」


 あたしは…海くんの責任感に負けた。と思った。

 それはそれで、あたしの好きになった男は…バカなぐらい男なんだって思った。

 だけど、同時に…

 冷静に考えると…海くんはあのままあたしと続いても…

 結婚は、なかったな…って思う。


 海くんは、二階堂のトップになる人。

 所詮…あたしとは世界が違う。

 ギター弾きながら歌ってるあたしを、海くんは隣に並ばせる女性として選ばない。


 …選べない。



「…もっと…時間かけて向き合ったら?」


 結局は…そう言うしかない。

 話を聞いて、あたしは…痛いほど感じた。

 あたし、今も海くんの事…好きだ。

 全然忘れてなんかない。って。


 だけど…

 今、あたしは仕事が楽しくて仕方がない。

 この気持ちがあれば…海くんの事は…いつか、なかった事に出来るかもしれない。

 あたしは、やっぱり…あの事を思い出になんかできない。

 きれいさっぱり忘れたい。



「…紅美ちゃん、イキイキしてた。」


「え?」


「Live alive…観に行ったの。」


「え?朝子ちゃんが?」


 つい、顔を覗き込んだ。


「誰から招待されたの?」


 朝子ちゃんにチケットを渡す人が事務所にいるなんて…ちょっと想像できなかった。


「…あたしも、よく知らない人なんだけど…」


「……」


「その人のおかげで、ちょっと気付いた事があって…」


 朝子ちゃんは顔を上げると、傷のある方の顔をあたしに向けて。


「あたし、この傷で海くんを手に入れて…」


「……」


「この傷のせいで、自分を失くしてた。」


 あたしの、目を見た。


「本当は、何が何でも海くんにすがって生きて行こうって思ってたの。だけど…ライヴ見て…自分を取り戻したいって思った。」


「…最後まで見たの?」


「うん…だから…そう思った。」


 あのイベントの最後には…本当に、自分について考えさせられる出来事があった。


「だから…婚約解消したの。」


「……」


「あたし、こんなままで海くんの隣にいたって…上手く笑えない。」


 そう言った朝子ちゃんは、少しだけ笑顔で。

 その笑顔は…傷がかすむほど…綺麗だった。



「…久しぶりに見た。」


「え?」


「朝子ちゃんの笑顔。」


「…そうね。久しぶりに笑ったかも。」


「海くん…今は…?」


「何週間かこっちにいるみたいだけど…またアメリカに行くんじゃないかな。」


「…朝子ちゃん、これからどうするの?」


「二階堂からは出ようと思うの。」


「……」


「お世話になって来たのに…恩を仇で返すみたいで苦しいけど、みんな理解してくれたから…」


 オレンジ色だった空は、紺色になり始めて。

 キラキラと小さな光が見えた。


「朝子ちゃん。」


「ん?」


「チケットくれた人って、男の人?」


「……」


「……赤くなった。」


「な…なってないよ。」


「いや、でも赤くなってるって。」


「なってないっ!!」


「その人の所に行くの?」


 あたしの問いかけに。


「行かないよ…まだ名前しか知らないし…それに、まずは自分を取り戻してから。ちゃんと…自分の足で立って、小さくてもいいから自分の世界を作りたいの。」


 朝子ちゃんは、空を見上げた。


「…朝子ちゃん。」


「ん?」


「ごめん…ずっと、憎いって思ってた。」


 あたしが正直にそう言うと。


「…あたしだって、そうだよ…」


 朝子ちゃんは…あたしの手を握った。


「だけど、ライヴ見てファンになっちゃった。紅美ちゃん、すごくカッコ良かった。」


「…ありがと…」


「…まだ海くんの事好きなら…会いに行って。」


「……」


「あたしが言うのもおかしいけど…」


「……」


「二人に、後悔して欲しくない。」


 朝子ちゃんの言葉に、あたしは…強さを感じた。

 朝子ちゃん…もう、自分を取り戻すために動いてるんだ。

 その強さを…

 あたしは羨ましいと思った。



 海くんに…会う?

 …会える?



 * * *


「あー…気持ちいー…」


 つい、独り言。


 念願の温泉。


 メンバーそれぞれスケジュールがあるけど、あたしだけ三日ほどオフが出来た。

 って言うか、無理矢理空けた感じもあるけど。



 …朝子ちゃんに会って、揺れ動いてしまったあたしは…

 少し、地元を離れたかったのもあって…温泉旅行に出かけた。


 未練がましいかな…今日の温泉は、高校卒業前に、海くんと泊まった温泉。

 明日は、みんなで行った温泉に足を伸ばしてみようと思っている。


 思い出の地を歩けば、何かがどうなる…なんて思いはしないけど。

 温泉に浸かりたかったのと、地元を離れたかったのと…この、ざわついた気持ちを…何とか鎮めたかった。



 沙都とノンくんとは…

 あれからずっと、気のいいバンド仲間って感じで。

 それが、すごく心地いい。


 沙都とは昔みたいに触れ合わなくなっても…そばに居てくれるだけで安心できる癒しみたいな物があって。

 ノンくんとは…振り向いたらそこで見ててくれてる安心感に包容力みたいな物があって。


 …あたし、本当に贅沢だな…って感じてしまう。



 朝子ちゃんが自分を取り戻したいって言ったのを聞いて…

 あたしも、考えさせられた。

 自分の生い立ちのせいにして、ずっと誰かに守られてた事に胡坐をかいてた。

 …自分の不甲斐なさに、溜息が出ちゃうよ…ほんと。


 これからは、家族を大事に…仲間を大事に…

 そして…自分の気持ちに…ちゃんと向き合わなきゃ。

 海くんの事…忘れたいって思うけど…それならそれで、その忘れ方について自分なりに模索しよう。



 何となく…あの時に捨てられなかった指輪をつけてみた。

 今もサイズは変わらないまま。

 右手の薬指にはめたそれを、温泉に浸かって空にかざしてみる。


 天気のいい今日は、露天風呂がサイコー。

 平日って事で、今はあたし一人。

 さっきロビーで何人か客さんを見たから、貸切ももうすぐ終わりだろうけど。



 いいお湯を満喫して、あたしは浴衣姿でロビーに降りる。

 何かいいお土産ないかな。



「…紅美…?」


 後ろから名前を呼ばれた。

 まさかこんな所で名前を呼ばれるなんて思わなかったあたしは、それが自分の名前なのに、なぜかすぐには振り向けなかった。


「紅美。」


 もう一度名前を呼ばれて。

 あ…聞き覚えのある声だ。と思って振り返ると。


「…わっちゃん。どうしたの?」


 スーツ姿の、わっちゃん。


「学会で近くまで来たんだ。」


「えーっ。空ちゃんは?」


「だから…学会だって。」


「あ、そっか。」



 空ちゃんは先月、女の子を出産した。

 落ち着いたら会いに行こうかなって思ってたけど…本家に帰ってる間は、さすがに行きにくい。

 特に…今は海くんが帰ってるって聞いてるし。



「娘が可愛くて学会なんて来たくないんじゃない?」


 あたしが問いかけると。


「大正解。ほんと、泊まりの学会は来たくない。」


 わっちゃんは少しだけ目元が緩んだ。


「ああ、そう言えば、祝いをありがとうな。」


 あたしは、沙都経由で…お祝いを渡してしまった。


「ううん。マンションに帰ったら会いに行っていいかな?」


「…ああ。もうすぐ戻ってくると思うから、連絡するよ。」


「サンキュ。」



 わっちゃんは晩御飯は学会に来てる先生たちと食べるって事で、あたしは一人で温泉街に出かけた。

 その後で、どこかで落ち合って飲むかって事になって…


『紅美?今どこだ?』


「えーとね、宿から右に出て、100mぐらいの所の野崎旅館の隣の店。」


『分かった。今から行く。』


「地酒が美味いよ。」


『なんだ、もう飲んでんのか。』


「当然でしょー。」



 電話を切って間もなくして、わっちゃん登場。

 あたし達は小さなお店のカウンターの隅っこで、お猪口で乾杯した。



「…その指輪は?」


 飲み始めてすぐ、わっちゃんが言った。


「あー…目ざといな。」


 小さく笑う。


「…前に、海くんからもらったやつ。」


「…久世くんか沙都か…って思ったのに。」


「ははっ。あたし、全然進歩ないよね。」


「まあ…それだけの物だったんだろうから、仕方ないよな。」


「…空ちゃんに何か聞いた?」


「……」


 わっちゃんは伏し目がちに黙って、あたしのお猪口にお酒を注いだ。


「海が婚約解消した事か?」


「うん…」


「おまえは誰に?」


「…朝子ちゃん…」


「え?会ったのか?」


「うん…仕事の帰りに待ち伏せされてた。」


「……」


 あたしは、朝子ちゃんと話した事を、わっちゃんに話した。

 わっちゃんは真剣に話を聞いてくれた。

 …当事者みたいなもんだもんな…

 あの時、朝子ちゃんの事故現場にも一緒に居て…あたしが流産した事も…知ってるし…



「なんか…複雑だった。」


「…そうだな。おまえ、あれから海とは…?」


「一度も会ってないよ。忘れたいって、そればっかり思ってたクセに…朝子ちゃんから話を出されて…揺れちゃった。」


「……」


「それで、一緒に泊まった事がある温泉になんて来ちゃってさ…指輪なんかしちゃって…」


 お酒の力も借りて、あたしは素直にわっちゃんに話した。


「今も…やっぱり好きなんだな…って思っちゃった…」


「…そうか。」


 わっちゃんは小さく溜息をついて。


「おまえ、ずっと一人で抱え込んでたからな…」


 手酌をして、キュッと飲んだ。


「…海に、会ってみたらどうだ?」


「……」


 あたしは無言でわっちゃんを見る。


「何なら、明日こっちにくるように言ってやるから。」


「い…いいよ、そんな…仕事だってあるのに…」


「でも、このままじゃ…おまえ、前に進めないんじゃないか?」


「……」


 会っても…たぶん海くんは、何も変わらないと思う。

 朝子ちゃんと婚約を解消したからと言って…あたしを選ぶとは思えない。



「…帰ってから考える。今は、しっかり温泉を満喫して…リフレッシュする。」


 あたしがそう言ってお酒を飲むと。


「…そうだな。」


 わっちゃんはあたしの頭を撫でて。


「おまえの好きなように、思うままに動け。」


 そう言ってくれた。

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