第15話 夕日
窓から夕日が指している。事の終わった後の、気怠い体を起こす。沙耶はまだ眠っていた。西日が嫌に目に染みる。ノスタルジックな気分に浸るような、そういった気分ではなかった。軽い頭痛を訴える頭を起こし、狭いベッドから這い出る。「人間」らしい独特な臭気が鼻に着いた。
ふらふらとした足取りで台所へ向かうと、冷蔵庫を開ける。ペットボトルのコーヒーを見つけた僕は、それをそのまま口に運んだ。安物のコーヒーの苦味が、頭を幾分かスッキリとさせる。僕はそのまま、冷蔵庫を背に台所へ座り込んだ。
あっという間に過ぎた昨日と今日の出来事に、頭が追い付いていない気がした。何もかも現実味を欠いているようでいて、あまりにも現実的だった。思い出されるのは、匂い、声、感触。夢の中のようでいて、反面それは生々しかった。冷静な自分がいた。喜ぶでも、悲しむでもなく、ただそれを出来事として、その経験として客観的に捉えている自分がいた。人生の大抵の経験など、予想しているよりもはるかに現実的だ。想像上の悲劇も喜劇も、いざ現実に起こってしまえばどうということはない。人間はあらゆる現実に対応する感性の鋭さと、同時に鈍さを持ち合わせている。ともかく、僕はこれからのことを考えなければならなかった。左手に持ったペットボトルは、手持無沙汰な僕に構われて、あっという間に空になった。
「人の家の冷蔵庫、勝手に開けないでよ」
欠伸と共に、嗜める声が聞こえた。沙耶がベッドからゆっくりと起き上がった。半裸であることを隠そうとはしなかった。それは、僕にとって単純に美しい風景だった。
「喉乾いたんだ。それに、勝手に漁ったのはお前の寝起きが悪すぎるのが悪い」
「仕方ないでしょ。疲れたの」
「それは僕もだ」
沙耶はそれを聞くと、また一つ欠伸をして、笑った。
「でしょうね」
「夕飯、どうする?」
沙耶は、居間のテーブルの前で下着姿のまま胡坐をかいている。ロマンの欠片もない姿だが、彼女らしい。
「んー。貴方、お腹減ってる?私あんまりなんだけど」
「奇遇だな。俺も食欲がない」
「じゃあいいでしょ。お腹減ったらコンビニかなんかで」
二人で、ベッドのそばに脱ぎ捨てた服を着て、外を歩く。コンビニはそれほど近くなかった。歩きながら、沙耶は遠い目をしていた。その目が、隣にいる僕を意にも返さないようで、産まれて初めて嫉妬を覚えた。それが何に対してかは、僕にもわからない。幾分か不機嫌になった僕を横目に見て、沙耶はしょうがなさそうに笑った。夕日を背にした笑顔は、絵画やポートレートのように綺麗に違いなかった。
だが、それ以上に。
それ以上に、僕には悲しげに見えて、仕方がなかった。
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