第3話 行き止まり
行き止まりはどこにでもある。どの道も、最後には突き当たる。その先に道はない。分かれ道があるのなら、幸運だ。ないことも、ままある。
煙草を吹かしながら考える。自分の事を、何より、いよいよ行き詰まりつつある自分の道の事を。
朝日は街を平等に照らしている。今日は特に理由もなく、早起きをした。眠れなかったとも言えるが。起きた瞬間から、何もしたくなかった。だが、無性にどこかへ行きたかった。その衝動だけが、心の中で渦巻いていた。
知らない街に来ることは、良い刺激になる。知らない街並み、知らない音、関わり合いになることはもう二度とないであろう人々の群れ。それらの日常に入り込む、自分というイレギュラー。概念的な孤立と孤独は、僕を喜ばせる。現実逃避は、回避の象徴のようなものだ。僕はそれに、しばしば溺れる。
平日の朝は、どの街も通勤通学の人々で溢れかえっている。皆、それぞれ困難を抱えながら、それに立ち向かうべく足を進めている。人々は皆、それぞれの人生において戦い続けている。僕はどうだろう。回避して、逃避して、そのさきに待っているものはいったいなんだろう。僕は戦っているのだろうか。それとも、ただただ逃げ回っているのだろうか。
駅前の大通り、それを見渡せる歩道橋の上。煙草の煙に答えはない。足早に通り過ぎる人々の中で、自分だけが立ち止まっている。映画のエキストラにしては、目立ちすぎだろう。主人公には永遠になれない、半端者のくせに。
「ご注文は、モカでよろしいですか?」
「はい。お願いします。」
初老のマスターが注文を繰り返す。駅前の古風な喫茶店は、通勤時間をすぎて暇そうだ。僕は、ふとコーヒーが飲みたくなって、端っこの席に腰を下ろした。店内には、ビルエヴァンスが鳴っている。悪い気分ではなかった。
運ばれてきたコーヒーも、華があるわけではないものの丁寧な仕事ぶりを感じさせる香りだ。ふんわりと漂う控えめながら優しい香りは、神経を宥めるのにちょうど良い。
僕が持っているのは神経だけである。そう言えるほど、僕は唯物論者ではない。そうなれれば、あるいは生きるのが楽になるのかもしれない。しかし、唯物論者を自称した芥川の最後を思えば、そう簡単に楽になれるわけでもないのかもしれない。僕は確かに神経によって作られる心を持っているし、その心によってこうして苦しめられている。僕が鈍感か鋭敏かはさておき、生きていることそのものは刺激を受ける続けることと同意だ。刺激に対して、どのような感覚を受けるかは人それぞれだが、僕にとって、どうもこの世界の刺激は、強すぎる。刺激を断つ術は二つだ。すなわち、刺激の原因となる外部要因を排除するか、刺激を感受する器官を排除するか。前者は不可能だ。こと、生きるという大きな枠組みに置いては、あまりにも外部要因が多すぎる。となれば、残るは後者だ。それが意味するところは…。
「お客様。お考え事の最中、失礼いたします。珍しいお煙草をお吸いになられるのですね。」
思索に没頭する僕の世界に、人の声が唐突に介入した。それは、僕を死神の手から現実へと引きずり戻す。
「そう…ですね。人からの影響で吸い始めたら癖になってしまって。」
「なるほど。煙草は伝染病のようなものです。それに、人は好ましい人物から影響を受けやすいものですからね。それにしても、フランス煙草とはお若いながら良いご趣味で。」
好ましい人物。僕は好ましく思っていたのだろうか。いまだに、それを確かめることはできない。
「…この街はいい街ですね。このお店も。」
話題を変えたかった。話をすることは不快ではなかった。ただ、沙耶を思い出すのは、今の僕にとって強い刺激に他ならなかった。
「ありがとうございます。少々騒がしい街では御座いますが、悪くはありませんよ。」
喫茶店を出た僕は、あてもなく歩き始めた。街は通勤時間をすぎ、閑散としていた。それは僕にとって心地よかった。知らない街の、知らない道を歩く。どこに続いているのかもわからずに、当てずっぽうに。それは、どこか僕の人生にも似ていた。こうして彷徨いあるくのは、悪い気分ではない。偶然の出会いやたまたま目に入る風景は、僕を時折感動させていくれる。
道は川沿いを続いていく。歩道の右手にある川は、現代的にコンクリートに固められている。それは悲しいことなのかもしれなかった。鴨や魚たちにとっては、少なくとも死活問題だろう。左手には、特に特徴もない住宅街が続いている。この街の日常の風景に、僕というイレギュラーが埋没する。それは絵画に似ている。悲劇的な、抽象画に。川からは、絶えず生ゴミのような匂いがした。それが僕には現代の象徴のように思えて仕方がなかった。
その匂いを隠すように、僕は煙草に火をつける。濃厚な風味が、現代の象徴を覆い隠す。刺激を隠すには、新たな刺激を与えることが良い。刺激の重要な点は、それが感受者にとって好ましいものであるかないかだ。好ましいものでありさえすれば、ある程度の強度なら心は悲鳴をあげることがない。
五分も歩くと、道は川から外れ始めた。住宅街もまばらになり。道のいく先には小高い山が見える。僕は、構わず歩いていく。
周囲に人の気配はなくなり、目に見えるものも自然物が増えてきた。左には、廃車が見える。古いバスだろう、どこかそのバスからは、幼い頃みたジブリ映画の香りがした。道端にはアマガエルが一匹、空を眺めている。僕はそれをみて井の中の蛙という言葉を思い返したりした。井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。果たして僕は、空の青さを、知っているだろうか?
道は、ついに山に突き当たった。分かれ道すらなかった。それは、とどのつまり行き止まりだった。それ以外の何ものでもないことは、明らかだった。それに何らかの意味を見いだすのは、僕の勝手だった。
「行き止まりだ。」
わかりきった事実を反芻する。事実は時に残酷だ。認めることが辛い時は、声に出すといい。それが真実だと、脳が認識するだろう。
「行き止まりだ。何もかも。僕は回避し続けた。困難は避けられる。苦痛は避けられる。だが、行き止まりは避けようがない。ただそこで、終わりだ。」
僕は終わりを感じていた。それはこの歩いている道が終わるという終わりと、もう一つの終わりだった。すなわち、僕の人生の終わりに近づいていることを察していた。限界が近いことはわかっていた。回避し続けることに飽き飽きとしていたことも、わかっていた。それがもう、これ以上続けることの叶わないことも、またわかっていた。事実は、それを偶然を装いながら僕に示している。この見知らぬ、名前すらないだろう小道の終わりをもって。
僕は立ち止まったまま、煙草に火をつける。いつも通りの香りがする。同時に、懐かしい香りだ。行き止まりにおいて、できることは二つある。一つはただ歩みを止めること。もう一つは、歩いてきた足跡を振り返ること。僕は、後者を選んでみることにした。
スマートフォンをジーンズから取り出す。アドレス帳を開いて、懐かしい名前を探す。なぜ残していたかはわからない。未練かもしれないし、ただ削除するのが面倒だったからかもしれない。
画面には「沙耶」と表示されている。僕は、通話ボタンに手を触れた。
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