第13話 何を思って

 こいつは何を考えているのだろう。

 僕は、ジントニックをちょびちょびと飲みながら、目の前でビールを勢いよく呷る沙耶をぼうっと見つめる。困惑めいた僕の思いなど素知らぬ顔で、彼女は柿ピーを齧りながらビールに酔っている。

「酒、強いんだな」

「あー。そうなの。ビールならいくらでも飲めるのよ」

 すでにテーブルには350mlの空き缶が二缶鎮座している。

「ワインとか日本酒は体質にあわないんだけどね」

「酒に弱い人間からしたら羨ましい限りだ」

 僕は酒に弱い。生まれつきの体質だろう。とりあえずビール、なんてジョッキで出されても飲みきれやしない。だから、薄めに作ったジントニックをこうしてちまちまと飲んでいる。

「それにしても」

 沙耶の部屋は、無機質だった。女性らしさがないというべきなのか、人間味がないと言うべきなのか。生活感の欠如を感じた。家具はモノトーンに統一されていて、置かれている物も多くない。シンプルといえばそうだが、味気ないといえば味気ない。

「洒落っ気のない部屋だな」

 ビールの缶がまた一つ空いた。カラン、と子気味いい音を立てながらそれはテーブルに置かれる。沙耶は、少し赤くなった顔で自分の部屋を見回した。

「物が溢れてると落ち着かないじゃない。色もだけれど」

「ついでに言うとむちゃくちゃ煙草臭いな」

「貴方、姑みたいな事言うのね」

「女と酒飲みながら、話す内容なんて思いつかないんだ」

 沙耶はそれを聞いて笑った。いつもよりカラッとした笑いだった。なぜか僕は、この時初めて戸隠沙耶と言う女性の素を見ることができたような気がした。

「私もそう。だからちょっとペースが早いの。人と一緒に飲むのなんて、ほとんど初めてだもの」

「意外だな。飲みっぷりからして酒好きだろう」

「お酒は好き。でも、無駄に猫被らないといけないから飲み会は嫌い」

「いかにもお前らしくて安心するね」

 時計はすでに日を跨いでいた。一時を指している。アルコールに誘発された気だるい眠気が、ゆるりと僕を包んでいた。沙耶はそれを尻目に、また新しいビールをあけている。僕のジントニックは、氷が溶けはじめたというのに、まだグラスに半分も残っている。

「ジン好きなの?」

 カポシュ。爽やかな破裂音と共に、ビールの缶が沙耶の口元に運ばれていく。小さな体にアルコールが飲み込まれて消えていく様は、見ていてどこか面白い。

「酒に弱くてな。ジンかウォッカを薄めたやつくらいなら程々に飲めるんだが」

「お洒落なのかダサいのかよくわからないわ」

「お洒落なやつは宅飲みでワインでも飲むんじゃないか?」

「アレは高いレストランで飲めばいいのよ。家でなんて、堅っ苦しい」

 ビールを飲み込む沙耶の喉元の動きに、その時始めて妖艶さを感じて、目をそらした。

「飲みなよ。まだお酒あるよ」

「弱いんだって」

「酔いつぶれてもいいじゃん。どうせ泊まってくんだから」

「本当に泊まっていいのか?」

「だからそう言ってるでしょ」

 痺れを切らしたらしい沙耶が、僕のグラスを取りあえげ、代わりにビールを寄越した。

「やっぱこっちよ。パアーッと飲んでサーっと酔いましょ」

「…たまにはそれもいいか」

 カポシュ。ビールの匂いが鼻腔を刺激する。僕は、半ばヤケのような気持ちで、缶を傾けた。ビールの味は、今ではあまり好きにはなれない。ただ、陽気に手軽に酔うには、ちょうど良いだろう。

 テーブルに空き缶の山ができあがったころ、僕らは今の時間が何時かすらよくわからなくなっていた。テーブル越しには、ビール缶を握ったまま突っ伏して寝息を立てている沙耶がいる。僕は、アルコールですっかり麻痺した頭で、ぼんやりとそれを見つめていた。眠気に徐々に飲み込まれていく意識は、それでもどこか輪郭をはっきりとさせている。不思議な気分だった。目の前の現実は、いやに現実感に乏しかった。いつもはカフェで見るだけの沙耶が、彼女自身のアパートで僕の目の前に眠っている。

「お前は、何を考えてるんだろうな」

 独り言が漏れた。僕は大学時代から、沙耶の考えていることがわからなかった。つかみどころがなくて、ミステリアスで。自分勝手なようで、どこかで他人を必要としているようにも思えたり。猫のようだと言えばそうなのかもしれないが、それほど気高いわけでもない。僕は、ずっと彼女が何を考えているのか知りたかった。今でも、それは変わらない。目の前で眠っている彼女は、いったい何を思って今日ここに僕を呼んだのだろう。ひょっとしたら何も考えていないのかもしれない。それもあり得そうで、一人少しだけ笑った。

 フラフラとはするが、まだ動くことのできる僕は、空き缶を粗方片づけると、ソファに横になった。朝日が顔を出すまで、そう時間はない。だが、沙耶も当分の間は起きないだろう。彼女が起きるまで、僕も眠っていよう、そう思った。

 

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