第18話 宿場の朝と食事と水と

 夜が明けた。


 朝の光は、ボロボロの宿であっても、なかなかに気持ちがいい。


「ん…」


 光を感じて、目を開けようとして、僕は、何やら暖かくて柔らかいものが触れているのを感じた。


 ナタリーだった。


 どうやら、あのままナタリーを慰めているうちに、二人とも寝落ちしたらしい。ナタリーの頬に走った白い筋の跡は、見なかったことにしてあげよう。

 多分、王女の誇りはそんなことを許さないだろうから。


 僕は、ナタリーの下から、そっと腕を抜く。


「ヘイ、あなたなの…?私を、置いていかないで」


 優しくやったつもりだったが、何やら察知されたらしい。

 置いていかないで、って…。

 寝言にしても、ちょっと露骨な気もするけど、気にしないでおこう。


 身分違いなのは、僕よりも彼女自身の方がよく知っているはずだし。


 僕は、静かに部屋の洗面所に向かう。ヒビがあちこちに走った古い洗面器は、いかにも被差別種族用という臭いがした。


 僕の住んでいたところでは、水は原則として川や雨水などから都市ごとに貯水して、それを煮沸・ろ過したものを使っていた。中には、家で独自に雨水をためているところもあるにはあったが。

 恐らくは、ここでも同じメカニズムで水を貯めているのだろうが、トイレすら区別されるという北の共和国のことだ、人間用の水は、エルフやドワーフ用に比べて汚いかもしれないし、少なくとも飲み水にはしない方がいいだろう。


 そう思いながら蛇口をひねったところ、出てきた水は、一見すると綺麗そうではあった。だが、何か嫌な予感がしたので、僕は、それを使うのをやめた。


「…顔を洗うのは、後にするか」


 洗面所から部屋に戻ると、ナタリーは既に目を覚ましていた。


「おはよう、ヘイ」


 僕を見るなり浮かべたのは、飛び切りの笑顔だった。魅了の術を介さない、本物の笑顔を浮かべるナタリーはやっぱり可愛い。


「おはよう、ナタリー」


 僕が返すと、ナタリーは赤面して、もじもじしだした。


「どうしたの?」

「その…昨日は、ごめんなさい」

「気にしないでいいよ」

「後、私、何か変な寝言を言わなかったかしら?」


 ああ、あれ、わざとだったのか…。まあ、いいや。

 言われて嬉しいには違いないし、儚い関係であるならば、それぐらいは、ナタリーが言ってくれるのを許しても良かろう。

 本格的にプロポーズされたら…、舞い上がっても、理屈として身分違いであることを言うことはできるだろうか。

 おっと、妄想が膨らみそうだ。この辺でやめておこう。


「特に、何も言ってなかったよ」

「…そう」


 ナタリーは、わずかにうつむく。


「そうよね、多分、それでいいのよ。でも…」

「でも?」

「…何でもないわ。多分、面と向かって言われるよりは、その方がいい気がしてきたし」


 もう、語るに落ちているぞ…。でも、そんなナタリーも可愛いな。


「そうか。ところで、これからどうする?」

「まずは、下りて朝食でも済ませましょ」

「了解」


----


 朝食として宿屋から提供されたのは、僕の出身の田舎でもまず見かけないほどの、粗悪な質のパンと、薄い味のスープだった。


「悪いな、人間にはこれしか回せない規則なんだよ」


 そう言っていた、宿のご主人のドワーフの申し訳なさそうな顔は、少なくともすべての上位種族が差別を好んでいる訳ではないことを示していた。

 ナタリーは、そこに希望を見出したらしく、少しばかりご機嫌も回復したように見えた。


 僕はと言えば、ナタリーの笑顔を見ながら食べている限り、この何とも言えないごわごわしたパンも、水のようなスープも、高級料理よりもおいしくいただけたと思う。

 そもそも比較対象の高級料理なんて、食べたことが殆どないんだけど、それはツッコんじゃダメ。


----


 食べ終わった僕たちは、マルコアの街へと出た。


 あの後ナタリーから聞いたところだと、人間用の水はやっぱり質が悪く、必要以上に強力な浄化薬が使われているため、普通に体を洗う限りは問題なくとも、敏感な目などがある顔を洗うのには向かないらしい。あの時、顔を洗わなくて良かったと思う。



「さて、今日は一気に首都エルフィアまで移動するとしますか」

「ああ」


 こうして僕らは、マルコアを出て、またもや駅間馬車で長旅することとなったのだった。

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