第2話 勘違いの始まり

 僕は、きっとあの竜よりも恐ろしいモンスターを、あの竜が目覚めさせてしまったのだろうと思って、しばらく、転んだままの姿勢で、顔を伏せていた。


 だが、悲鳴は、それっきり聞こえなくなった。


 新手のモンスターが来る気配もない。


(一体どういうことなんだろう?)


 先に思わず振り向いて竜を見たために痛い目に遭ったことも忘れて、僕はつい顔を上げてしまう。


 モンスターは、特に見えない。


 僕は、恐る恐る立ち上がる。


 やはり、モンスターはどこにも見えない。


(まさか、崖の下で竜と別のモンスターが相討ちになったのか?)


 ふと、そんな気がした。今度はいつでも逃げられるように、油断なく、恐る恐る崖のふちに近づく。


 僕がそこで見たのは、衝撃の光景だった。


 複雑な魔法陣が描かれているのが少しだけ見えたが、竜は、それを覆うようにして、まるで虫けらか何かのようにつぶれていた。


(ん?そしたら、もう一つの悲鳴は、あの魔法陣を書いた魔法使いのものか…?)


 僕はふとそう思ってよく見ると、魔法陣は残っているのに、そこから発せられるべき光が発せられていなかった。


 これまで僕が木を切るときに雇った護衛の冒険者の中には、魔法使いの者も何人かいたのだが、その一人から聞いた話によると、魔法使いが使う魔法陣は、魔法使いが生きて魔法を発動させる時に出現し、その魔法使いが生きたまま魔法の発動を終えれば消える。


 そして、生きている魔法使いが書いた魔法陣は、必ず光っているという。僕が実際に見せてもらった魔法陣も、光っていた。


(にもかかわらず、あの崖の下の魔法陣が光らない状態で、しかも残っているということは?やはり、あの竜と相討ちになったのは、どこかの魔法使いだろうか?)


 そこまで考えてから、僕は、相討ちとはいえ竜を倒せるほどの実力のある魔法使いが、よりにもよってこの竜の出現した場所に同時に現れるなど、考えにくいと思い直す。


(ということは、やはりもう一体いる可能性が高い。早いところ帰ろう。とりあえず生き残れたことはラッキーだった。

 今日は、これ以上仕事を続けるべきではないだろう。疲れた。帰って寝たい)


 僕は、そんなことを呑気に考えていると、ふと、人の気配を感じた。


 僕は、振り向いた。


 立っていたのは、金髪碧眼で、優雅な曲線美のシルエットにくるまれた、美しい少女だった。


 少女は、僕を見ると、言った。


「すみません。ちょっとお尋ねしますわ。

 こっちの方に、凶悪な竜の王である黒竜王が飛んで行ったはずなのですが、その気配が消えてしまいましたの。

 どちらに飛んで行ったか、ご存じありませんか?」


 僕は、パニックになる。


(あの竜、竜王だったのかよ!ただの竜じゃなかったのかよ!もう、訳が分からない)

「…僕が見たのは、ただの竜だ。そうだ、竜王なんかであったはずがない。虫けらのように崖の下で死んでるのが竜王だなんて、ありえない。ハハハ…」


 気付かないうちに声が漏れていたらしく、少女が目を丸くする。


「えっ!?崖の下ですか?しかも、死んでいるのですか!?」

「えっ!?」


 今度は、僕が驚く番だった。

 少女は、きまり悪そうに言う。


「その、お声が漏れていましたわ」

「あ、ああ」


 途方に暮れている僕は放置して、少女は、崖の下をのぞき込む。


「ほ、本当に虫けらのように死んでいますわね。まるで、ハエたたきで叩き落されたハエのように…。

 待ってください。あの魔法陣は、まさか…西の魔女の固有術式ですか!?」


 少女の独り言が聞こえてくる。少女は、何やら魔法陣の方をじっと見つめているようだったが、やがて頷いた。


「間違いありませんわ。あれは、西の魔女の固有術式ですわね。そうだとしたら…」


 そして、ゆっくりと僕の方へと向き直り、嬉しそうに飛び跳ねながら戻ってくると、言った。


「謎が解けましたわ。

 つまり、あなたがこの偉業を成し遂げたのですね。

 あなたは、私が追っていた黒竜王を敢えてここまでおびき寄せて、恐るべき重力魔法の実験を始めていた西の魔女の頭上に投げ飛ばしました。

 そうして、黒竜王も西の魔女も、強力な重力のかかった黒竜王の重量によって押しつぶすことによって、同時に倒したのですわ。

 何十年かおきに人里を荒らしまわる凶悪な黒竜王と、悪名高き四大魔女の一人、西の魔女。

 その二大悪をたった一人でまとめて倒してしまうあなたは、きっと最強の冒険者なのでしょうね」


 少女がほほ笑む。


 僕は、何か本来の自分とは別種の存在だと、勘違いされてしまったらしい。

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