たまには僕も

 一人暮らしあるあるの話をしていた時、一番、困るのは病気の時だよね、と言うのが、僕と五つ年上の彼女と共通した認識だった。


 特に熱が出た時は動きたくなくなるけれど、寝ててもご飯が出てくる訳じゃないのが辛い。


 そして鬼の霍乱が起こった事を知ったのは、そんな話を聞いた翌日だった。


「風邪、ね」


 病気と言っても、風邪なんて何でもない部類の病気なんだけど、ベッドで赤い顔をしている孝代さんは熱に弱い体質だ。


「悪いね……」


 孝代さんが向けてくる目が半開きになっているのは、相当、参ってる証拠だ。


「いいよ、いいよ、別に。熱だって37度台。栄養のあるもの食べて寝てれば治るって」


 体温計が示しているのは、37.6度。微熱という所だが、やっぱり熱に弱い。


「ちょっと、焦ってるっぽい」


 ご飯の用意はしておくから、はい、サヨナラ、と帰りたくないと思う。こんな時、うつすと悪いから、と孝代さんは言うだろうけれど。


「何か、食べたいものある? 買ってこようか?」


 だからせめて、何か買ってくると言って時間を稼ぐ。


 返ってきた言葉は――、


「あー、プリン……」


「わかった。買ってく――」


 財布を持って出ていこうとした僕に、孝代さんから続く言葉があった。



「昔、作ってくれたプリン……」



「はいぃ?」


 ドアノブに手をかけていたけれど、僕は出て行く事ができなかった。


「前にって、誰に?」


 少なくとも僕は知らない。


「……」


 けど孝代さんは、寝てしまった。


 ……どう決着させるんだよ、これ……。


「肚決めるぞ」


 僕は深呼吸を繰り返し、スマートフォンを手に取った。


 ――検索! その手のレシピサイトはいくらでもあるはずだ!


 そして僕が作れそうなものをピックアップ!


 曰く――、



 ――まず、ボールに卵を割ってほぐし、砂糖を加えて混ぜる。


 ――温めた牛乳を少しずつ加えて混ぜ、バニラエッセンスを少量、加えてこし器でこす。


 ――これを型に注ぎ、湯気の上がった蒸し器に入れ、弱火で10分から15分ほど蒸す。


 ――それを冷やし、別に作ったカラメルソースをかけてできあがり。



「無理だー!」


 エプロン姿のまま、頭を抱えるしかない。初心者向けのサイトだぞ! 初心者が作るプリンが、こんな面倒臭い工程で、しかも分量がバニラエッセンスが1滴か2滴かの違いでも味が変わりますって、バカじゃねェの!? バカじゃねェの!?


「無理だ……」


 孝代さんは作れるのかも知れないけれど、少なくとも、僕には……。


 ――本日の議題。


 そんな僕の頭の中で、何故か孝代さんの声がした。


 ――美味しいと旨い。同じような意味の言葉なのに、二つある理由は何か?


 ああ、孝代さんなら言いそうだ。細かな事が気になるのがあの警部、どーでもいい事が気になるのが孝代さんだ。


「多分、違いは、誰が食べても感じる事か、その人だけが食べて感じる事の違いだ。手作りを喜ぶ人は、味よりも人の心遣いを喜ぶ」


 そう言ったら、孝代さんは笑ってくれるだろうか?


「でもなぁ、でもなぁ……」


 このレシピ、僕には荷が勝ちすぎるんだよ!


 と、途方に暮れて天を仰いだ時、僕は見た。



 突破口になるかも知れない「何か」だ。



「これは……」





「孝代さん、どう? 体、起こせる?」


 孝代さんの顔周り首回りに汗を拭いつつ、僕は声を掛けた。


「ん……んー」


 汗を掻いたからだろうか、孝代さんの顔色は、少しだけ良くなった気がした。


「はい、プリン。前に作ってもらった奴かどうかは、分からないけど」


 カットグラスに載せたプリンと、スプーンを渡す。


「プリン? 何? 作ってくれたの?」


 それを受け取った孝代さんは、びっくりした顔を僕とプリンへ往復させた。


「頑張った……って、胸張っては言えないけど、僕が作った」


「……ありがとう」


 孝代さんの微笑みが、ちょっと痛い。



 結局、僕が作ったのは、あの時、見つけた手作りプリンの素だったのだから。



 ――鍋に粉を入れ、牛乳を加えてから火に掛け、迷いを捨ててかき混ぜる。


 ――冷蔵庫で冷やし、固まったら出来上がり。


 そんな二工程のプリンは、彼女に出せるものなのかどうか、僕には答えが出てこない。


 けど、一口、食べた孝代さんは……、


「美味しい。しかも、これ。私が昔、作ってもらった味」


 当たりだった?


「手作りプリンの素を使ってるんだけど、私が作ったんじゃ、どうしても、こんなにおいしくないのよね。何でだろ?」


 僕は、「さァ?」って言葉を噛み殺した。



 答えは孝代さんが教えてくれる。



「君が作ってくれたから、お母さんが作ってくれたのと、同じおいしさ」

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