おやつじゃないけど、夕食を

 仕事をしていれば嫌な事も当然のようにあるのは、まだ学校に通ってる僕にも分かる。楽しい事だけをしていたいのであれば、金を受け取る事はできないって思ってる。


 僕の五つ年上の彼女にも、今日一日が散々だったのは想像に易かった。


「さ、ここ!」


 おやつばかり食べている孝代さんが連れてきたのは、シティホテルのテナントに入ってる中華料理屋。「海鮮酒家」と銘打たれた店の内装は、僕の頭じゃ語れない。和モダン? 和の持つ様式美と洋の持つデザインと……、


「貧弱貧弱」


「え?」


 自分の語彙に対して呟いた僕へ、孝代さんが目を瞬かせていた。


「凄いとこ知ってるね」


 初めて来たと言えば、孝代さんは二度、小さく頷いて、


「初めて連れてきたもん」


 そりゃそうだ。


 僕たちを出迎えたベルキャプテンも、孝代さんが僕を連れているのを見て、「いらっしゃいませ」と言いながら驚いた顔をしていた。


「そんな驚く事?」


 僕が目を丸くすると、


「いつもお一人で、食べたらすぐに帰ってしまわれるので」


 ベルキャプテンの女性は、そう言って笑い、孝代さんは「ははは」と愛想笑いしていた。


「まぁ、まぁ、適当に頼んでも美味しいよ」


 注文は、そう言う孝代さんにお任せする。


 一品目の皿には、スライスされたトマトと細切りのキュウリを脇に、薄くスライスされたグミ状のものが乗っていた。ソースは……酢醤油をベースっていう事しか分からない。食べてみると歯ごたえが印象に残り、この酢醤油ベースのソースが相まって、箸が進む。


「クラゲの冷菜。低カロリーで、コラーゲンたっぷり」


 意外なものだった。


「コラーゲンが含まれてるものは、大抵、美味しい気がするのよ。低カロリーだし」


 まぁ、いっぱい食べれるって事だと理解しておこう。


 二品目は、見た目でも分かり易い卵スープ。その卵と一緒に見える、ほぐされた赤い肉はカニに違いない。けど食べてみると、一番、印象に残るのは、卵でもカニでもなかった。


「あ、春雨、うまいね」


 卵でもカニでもなく、細い春雨が一番、印象に残ったんだけど、孝代さんはこれ以上、ないくらい可笑しそうな顔をして、


「フカヒレ。春雨じゃなくて、フカヒレ」


 ……わかんねェよ、初めて食べたのに。


 三品目は海鮮でアワビのトーチ蒸し、四品目は肉料理で鶏肉と干しシイタケのオイスター煮、五品目がメインになる。


「春雨じゃないからね」


 孝代さんが変に釘を刺してくるんだから、品が来る前から分かる。


「フカヒレの姿煮入りつゆそばですよ?」


 孝代さんが示す先、どんと出て来た丼には、掌くらいあるフカヒレが乗ったラーメン。


「これは僕でも間違えない。分かる。形がそうだもん」


 馬鹿にしてるのかと唇を尖らせてみせると、孝代さんは「いやいや……」と首を横に振った。それが何を意味しているのかはハッキリと分からないけれど、まぁ、いい。


 孝代さんは器用に箸でフカヒレを割っていきながら、


「フカヒレも、コラーゲンです。コラーゲンが含まれてるから、おいしい部類なんです」


 やたらとコラーゲンに拘るのな。コラーゲンが含まれてるからうまいと言われると、この高級食材に失礼な気がするけど。


「フカヒレって、それ自体には味がないから、料理する人の腕なのよ。おいしく料理するのって、難しいって話よ」


 箸を口へ運びながら、孝代さんは「おいしいでしょう?」と微笑んでる。


「おいしいね。二人で食べてるからね」


 僕がそう言うと、微笑みは笑顔に変わる。


「僕、おじいちゃん子でさ。おじいちゃんが言ってた言葉があるんだ」


 その笑顔に僕は言う。



「嫌な事があったら、お腹いっぱい、おいしいものを食べろ。それで大抵、上手く行く」



 ただ単なる精神論じゃない。


 お腹いっぱいになったら体が休まり、おいしかったら心が満たされる――だから、上手く行く。


 孝代さんに何があったのかは聞かない。力になれないかも知れないし、話したくないかも知れないし。


 でも一緒にご飯を食べる。


 二人で食べると美味しいっていう孝代さんだから、きっと二人で食べると、嫌な事も上手く行く。


「おいしい?」


 今度は僕が聞いた。


「うん。明日からも頑張る元気が出るくらい」

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