年上の彼女が僕に言う「君とおやつを」

玉椿 沢

デザートを先に

 日常に多くを求めても仕方がない、と少し斜に構えている僕にとって、「毎日」と括弧書きにする日々は、それなりに平穏で、それなりに不穏で、いい事と悪い事は本当にイーブンになっている気がする。


 朝起きて、朝ご飯食べて、学校に行って……ああ、休みの日は朝御飯は抜くし、昼前まで寝てる。


 そんな日曜の朝、この平穏で不穏でいい事も悪い事もある毎日の、8割くらいを担当してくれてる人から連絡がある。


「気付いてしまったのだよ、ワトソンくん」


 彼女――孝代たかよさんは、いつも通り芝居かがった口調で切り出してくる。五つ年上の彼女であるが、時々、子供かと思うような事を始める。


「はぁ、何があったの?」


 もう一時間、寝ていたかったと思いながら聞き返すと、孝代さんは「うん」と頷き、


「バーグおばさんの店ってご存じ?」


 ご存じも何も、部活の後に寄ってる店だ。アメリカンステーキとハンバーグの店で、アメリカナイズされた量を手頃な値段で出してくれる。


「よく行く」


「そこなんだよ、ワトソンくん」


 車のキーを見せる孝代さんは、行こうと言っているのだろう。


 しかし時刻は、まだ開店前。


「今から? まだ開店前だし、11時から昼ご飯?」


 朝を抜いているから丁度いいかもしれないが、孝代さんに昼間からステーキというイメージはない。そう食べる方でもないからだ。


「まぁ、まぁ」


 孝代さんはプラプラと手を振りながら、僕に立てと言うのだから、行くつもりだ。


 僕に対してワトソンワトソンと連呼する彼女は、ホームズが麻薬中毒だったように、常に何かに飢えている。





 開店時間を狙ったかのように、孝代さんの愛車は僕を「バーグおばさんの店」に連れてきた。当然、店内は無人。今日、初めての客が僕と孝代さんだ。


「あー、僕は今日はラムステーキが――」


 メニューを見るまでもなく注文をしようとした僕の声は、突き出された孝代さんの手で遮られた。


「先に、アイスクリーム二つ。今日は、バニラとストロベリー? 一つずつ」


 随分、慌てて注文する孝代さんに首を傾げさせられるが、注文を取りに来た店主――まだバイトも来ていないような時間だった――も、孝代さんの雰囲気に押されたみたいに慌てて厨房に戻っていった。


「アイス?」


 ちょっと早い昼食じゃないのかと訊ねる僕に、孝代さんは「あと、あと」と呟くように言いながら、また両手を顔の横に掲げるという芝居がかった動作と共に首を横に振った。


「アイス食べてからステーキって……」


 逆が普通だろうと思うけれど、孝代さんは違うと言う。


 その理由は、アイスが来るまでに時間が少しかかった事で、考える事だけはできたけれど、答えは出てこなかった。言いたいのを我慢しているのが見て取れるのに、こう言う時は我慢強い。


「ネタばらし、してくれない?」


 痺れを切らしたのは僕の方だったけど、孝代さんは「シー」と人差し指を立てて口元に当てるだけだ。


「いいかな? ホームズ。この世のあらゆるものに、タイミングというものがあると思うんだ。それを外すと想定している効果を得られなくなると思うんだけど、どうか?」


 ワトソンが本当にこんな台詞を言うのかどうかは知らないけれど、僕は今日の孝代さんに合わせて見た。


「そう、タイミング。そのタイミングが全てを握っている。だから今、ここでアイスを持ってきてくれないと――」


 今度は、孝代さんの言葉が遮られた。



 アイスが来たんだ。



 ステーキ屋には定番デザートのアイスクリームだけれど、カフェやパティスリーじゃないんだから、種類がそう多いわけじゃない。日替わりか週替わりか知らないけれど、種類は大抵、二種類だけなんだから、当然、メインじゃない。


 それを態々、これだけを食べにくる客は珍しいはずだ。少なくとも、ここでアイスを先に食べるなんて事は、僕は初めてだ。


「これ、これ」


 カットグラスに乗せられたアイスにスプーンを入れる孝代さん。


 食べてから話す気なんだろうと考えながら、僕もそれに倣う。そんなアイスを口に運ぶと、出てくるのは単純で簡単な一言しか出てこなかった。


「あ、おいしい」


 グルメ番組なら落第だけれど、僕はコメンテーターでも何でもない。何を指して美味しいと感じたのかは分からないけれど、美味しいと思わず出てくる。バニラアイスを久しぶりに食べたから感じたというようなものでもなく、ただ美味しい。味が濃く感じて、口の中で蕩けて消える。二口、三口と食べていく手が、なかなか止まらない。


「ちょっと、味見させて。味見」


 そんなところへ、孝代さんがスプーンを伸ばしてくる。同時に自分のストロベリーも僕の方へ押しやるんだから、拒否する理由はない。


「アメリカってステーキも本場だけど、アイスも本場なんでしょ? アメリカンステーキっていうから、案外、アイスも仕入れてるんじゃなくて作ってるのかなぁって思ってたの」


 そう言う孝代さんには「なるほどな」としか僕は返事ができなかった。。


「なんだろうな? アイスなんて、どれも同じと思ってた。多少の差はあっても、どこで食べても大差ないって」


「それはね、ワトソンくん。簡単な事なのだよ」


 孝代さんは、それこそが急いだ理由だと言う。


「出来立てなの」



 出来立て――それだけだ。



「……それだけで?」


「アイスクリームって、本当はソフトクリームと同じように柔らかいのよ。同じように冷やしながらかき混ぜる機械で作るから。その出来立てが一番、美味しいんだけど、普通はそう言うタイミングでは食べられないでしょ」


「うん?」


「普通は容器に入れて冷蔵庫にしまっておくんだけど、そうすると凍るの。凍ると、わかるでしょ? 口当たりが硬くなってしまうの」


 本当にそれだけなんだと言う孝代さんは、この時間に作っている事に気付いたから、今日、こんな時間に来て、いきなりアイスを頼んだのか。


「口当たりも美味さの内、か。アイスなんて最初から凍ってるものだと思ってた」


 そう言った僕に、孝代さんはフフンと笑いかけてくる。


「タイミングだよ、ワトソンくん。君が言っていたタイミングだ」


 それなりに平穏で、それなりに不穏で、いい事も悪い事もイーブンになっている僕の毎日を、8割くらい担当してくれる孝代さんは、ニコニコと楽しそうに笑っていた。


「グルメじゃないけど、君と一緒に食べると美味しい」

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