高所恐怖症の君は……

 五つ年上の彼女は、高所恐怖症だと自分では言っている。


「子供の頃、何かあったらしいのよ」


「何かあったらしいって、覚えてないの?」


 自分で「らしい」って何なんだと思うけれど。


「覚えてないなぁ」


 首を捻る孝代たかよさんには「そうなんだ」としか言えないし、それ以上に今、疑問を感じるのは、僕と孝代さんが並んでいる場所だ。



「だったらなんで、バンジーのとこに並んでるんだよ?」



 久しぶりに遠出しようと孝代さんに誘われた先は遊園地で、なぜだか知らないけれど、バンジージャンプをしようと誘われたのだ。


「……何でだろ?」


 孝代さんが不思議そうに首を傾げていた。


「知らないよ」


 本人が知らない上に、しかも自分で高所恐怖症といってるにも関わらず誘ってきたんだから、もう何が何やら……。


「気合い入れてお弁当なんか作ってきたから、気が大きくなったかなぁ」


 ショートカットの髪に手をやりながら、孝代さんはさっき一緒に食べた弁当を思い出してた。


 そう言われると、僕としては「確かに」としか言えない。おにぎりと簡単なおかずだけだったけど、気合いが入っていると言えばウィンナーの飾り切りだ。


「ウィンナーって、こんなに飾り切りの種類があるんだって思ったよ」


 しかも定番中の定番であるタコは入れてなかった所が、ちょっと面白い。


「いいでしょ? 横に筋を入れて、ちょいっと真ん中に切れ目を入れると、焼くとカニになるし、真ん中に縦筋、脇へ斜めに切れ込みを入れるとペンギンになるの」


 孝代さんが得意気に胸を逸らしてる。


「横に切れ込みを入れて、その後、縦半分に切るとウサギ」


 孝代さんの好きな動物はウサギだった。


「生まれ変わったような、そんな気分になったのよ」


 ウンウンと頷く孝代さんだったけれど、順番待ちは少しずつ進んでいく。


 進んでいくけど――、


「……」


 いつの間にか孝代さんは僕の後ろにいて、何故か無言で背中を押してくる。


「何?」


「……お先に」


「いいけどね」


 僕はフッと笑い、階段を――、


「うわぁ」


 登っていく途中で、思わず声を上げてしまう程、バンジージャンプって高かった。


 しかも間が悪い。


 眼下ではヒーローショーをやっていて、どうやら怪人達が勢揃いしてきた所みたい。不気味な音楽が、否が応にも耳に飛び込んでくる。


「はい、ハーネスを着けますね」


 係員さんに促され、安全のためのハーネスを着けた。ロープは足首に着けるイメージがあったけど、ここではハーネスと一体になっていて、背中についている。


「高ッ……」


 多分、その呟きを孝代さんは聞いていたんだと思う。


「頑張って」


 心なしか孝代さんが離れている気がする……。


「はーい、ポーズを取って――」


 行きますとばかりに両手を挙げさせられた僕は、流石にスリルが胸を駆け抜けていく気がした。


 しかし次の瞬間、貫かれる事になる。


「しねー!」


 遂にヒーローショーはクライマックスを迎えたらしく、怪人の掛け声が飛び込んできたからだ。


 正直に言って、僕はビビッた。何もこんなタイミングで飛んでこなくてもいい言葉だ。


 幹部の「かかれ!」とか、ヒーローの「行くぞ!」じゃない。



 怪人の「しねー!」だ!



 そしてビビると――、


「うわ!」


 僕は跳んだんじゃなく、落ちた。


「お、おおおおおお!」


 これは落下! これは転落じゃないか!


 グルグルと回転する視界の中で、孝代さんの顔が見えたのは幸運だったし、その口元を読む事ができたのは、ありとあらゆる偶然と、僕のなけなしの集中力がくれたプレゼントかも知れない。



 ――うん、ちょっと怖くなくなった。



 孝代さんは、そういっていたんだ。


 ――酷ェ!


 とも思ったけれど、ぴょーんびょーんと弾む僕の顔は、笑ってたと思う。


 このタイミングで、こう言ってくれるから、僕は彼女が好きなんだ。

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