苦味と酸味と甘味としょっぱさ

「ところで、断捨離しようと思って、色々と探してたんだけどね」


 断捨離と探し物って相反する要素の様な気がするのだけれど、そういう組み合わせで話をし始めるのが、5つ年上の彼女、孝代たかよさんにとって「いつもの事」だ。


「心躍るものが見つかったんだよ」


 孝代さんが僕の前に出すのは、鉄板が二つ、挟み込むような形でついてる……フライパン?


「ホットサンドメーカー?」


 と、僕が訊くと、孝代さんは「ノンノン」と立てた人差し指を左右に振る。


「ワッフルメーカーだよ」


「あァ」


 そういわれるとプレートの形が違う。今、孝代さんが手に持っているプレートは、焼けば網目状の焼き目がつく。


 けどワッフルといわれると、ちょっと嫌な記憶がある。多分、僕は浮かない顔をしていたんだろう。


「どうしたの?」


 孝代さんが首を傾げるようにして、僕の顔を覗き込んでいた。僕が「いや」と前置きしたのは、この思い出が申し訳ない方に傾いているから。


「小学生の頃をね……」


 本当に良い思い出じゃない。


「やたら流行ったんだよ、ワッフル」


「あー、キッチンカーからモールのテナントまで、ベルギーワッフルがそこら中にあった頃。あったあった」


 パンパンと手を叩いて孝代さんが笑う。


「私のワッフルメーカーも、その頃に買った」


 だからワッフルメーカーは年季が入ってるのか。孝代さんの事だから、何度も作った事があるんだろう。


 ワッフルメーカーで作ったものを思い出すようにプレートを見ていた孝代さんは、不意に僕の方へ視線を上げた。


「で、何があったの? 小学生の頃」


 この流れだと訊かれるのは当然か。


「……僕がワッフルワッフルいってたら、お祖母ちゃんが勝ってきてくれたんだ。知り合いの人がしてるお店で。個人経営の小さいお店があって」


「あぁ、良さそうな感じのが来たんじゃない?」


 そんな孝代さんの返しは、こう……空気を読んでいないと思う。


「それが、固く焼いたベルギーワッフルじゃなかったから」


 お祖母ちゃんに「これじゃない!」って怒鳴ったのを覚えてる。


 孝代さんは「なるほど」って目を丸くしただけで、僕がお祖母ちゃんを怒鳴りつけた事には何もいわない。


 だからだろうか、僕は付け加えた。


「お祖母ちゃん、今でも悪い事したって後悔してて」


 転勤の多い両親の都合で、僕を育ててくれたのは祖父母。今、高校で一人暮らしなんてしてるのは、そういう事情。


 孝代さんは――、


「小学生の頃なんて、本当のワッフルは、そのお祖母ちゃんが買ってきてくれた方なのに、偽物扱いしちゃうのよね」


 流行ってるものが正義で、マイナーなものは、例え本物、正当なものでも笑いものにする――小学生なんてそんなものかも知れない。


「けど、ちょっと……、いや、かなり苦い思い出なんだ」


「んー、そういう事」


 そういうとワッフルメーカーを持って立ち上がった。


「作ってみよう。お祖母ちゃんが買ってきてくれたのと、同じ形のワッフル」


 冷蔵庫からホットケーキミックスを取り出して、牛乳と卵を混ぜて掻き混ぜる。


「味は覚えてる?」


「いや……」


 僕は首を横に振るしかない。


「食べてないんだ」


「なら、私のオススメで」


 また孝代さんは冷蔵庫から色々と取り出す。


「ワッフルって、日本に伝わってきたのは明治時代なの。でも最初は売れなくって、大正時代に改良されたのね」


 ホットケーキミックスをワッフルメーカーに入れて焼いていく孝代さんは、軽く視線だけ僕に振り向けてた。


「で、大正時代に作られたワッフルが、これ」


 お皿に乗せて僕の目の前に来るのは、あの日、お祖母ちゃんが買ってきてくれたワッフルと同じもの! あの編み目のついたワッフル生地で、クリームを挟んだ形!


「これって……」


 僕が顔を向けると、孝代さんは「ふっふっふっ」と得意そうに笑っていて、


「大正時代、後に文豪って呼ばれる人たちがミルクホールで摘まんでいたのが、こういうワッフルなのだよ。そういう時代を舞台にした映画とか見ないかな? ガラスケースに入れられてるのが小道具に出てくるんだけど」


 それだけ大正時代には大流行したのか。


「食べて」


「いただきます」


 孝代さんに促されて囓ったワッフルは、ふわふわして柔らかくて、挟んでいるクリームの味は――、


「これ、リンゴのジャム?」


「そ。ワッフルが平たい状態でクリームを塗って、リンゴのジャムを載せて挟んだの」


 孝代さんの笑顔は、すーっと僕のわだかまりを消してくれた。


「こういう味だったのかなぁ。おいしい」


「実は、リンゴのジャムには秘密があるの」


 孝代さんも自分のワッフルをかじりながら、


「リンゴのジャムは、甘いリンゴで作ると失敗しやすい。酸っぱい種類のリンゴがいいの。そういうリンゴで作ると、爽やかな甘さのジャムになる」


 孝代さんは真っ直ぐ僕の方を見て、


「でね、陰陽師曰く――苦味は酸味に吸収され、酸味は甘みに吸収される。甘みはしょっぱさを打ち消そうとする」


「あァ」


 それが僕を救ってくれる。


「苦い思い出を、ジャムの材料になった酸っぱいリンゴで、甘いジャムはしょっぱい思い出を消してくれる」


「そうそう」


 ちょっと不思議な事をいう、僕の大切な孝代さん。

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