何でもない一日。幸運の双子卵。ラッキーは3つ。

 僕の五つ年上の彼女・孝代たかよさんは、何でもない事を特別な事のように喜ぶときがある。


「あ!」


 その日も、卵を割った途端に、上擦った声を出した。いつものようにキッチンで、簡単なおやつを作ろうとしている時に。


「どうしたの?」


 と、僕が訊くと、孝代さんは卵を割ったボウルを持ってきて、


「見てみて、双子卵!」


 たまたま割った卵が二黄卵だったって、凄い勢いで喜んでる。


「縁起がいいの、これ。高校受験の前とか、お母さんが買ってこなかった?」


 いや、覚えはない。


「多分、なかった……かな?」


 ただ孝代さんの手前、こういう濁し方はするけれど。両親もそうだけれど、僕自身が縁起を担ぐ方じゃないし、何より知識がないんだから。


 けど孝代さんは逆に、縁起は兎も角、知識がある。


「私の時はあったのよ。だるまさんに目玉を入れるのと同じで、二つ入るから合格って」


 そういえば孝代さんは、奨学金をもらって大学に通ってたっていってたっけ。


「ああ、やっぱり孝代さんにとっても、学歴って一生ものの問題だから?」


 返済不要の給付型だからこそ、お気楽な受験じゃなかったんだと思う。


「そこまでじゃないかなぁ。あるに越した事はないけれど、学歴が誇れるのって精々、二十代半ばまででしょ。私は、もう何年かしたら誇っても仕方ない歳になるもん」


 学歴の次は、どんな仕事をしているのか、またどんな功績を立てたのか――そういうのが問題だっていわれると、僕にはなかなか居心地が悪い。


「僕は、高校とか賃貸アパート借りるくらいのつもりで受けたから……」


 そこまで熱心に考えてはなかったのが僕だ。


 ただし――、


「逆に15歳で、そこまで考えてたら、……こう、不気味」


 そこまでいわれる事なんだろうか?


 ま、僕も、そこまで気にしないんだから、いいけれど。


「で、双子卵は、どうするんですか? センセ」


「これは、スフレにしようと思う。丁度、卵2つか3つでできるんだ」


 そういうと、孝代さんはひょいっとボウルから黄身を取り出した。黄身を潰さない慣れた手付きなのは、卵を使った料理やデザートを作り慣れているからか。


「黄身と白身を分けて、白身にお砂糖を入れてメレンゲにします」


 電動ハンドミキサーで白身をメレンゲにする。


「黄身には、ちょっとお塩を加えて……」


 と、孝代さんは電動ハンドミキサーから、フォークに持ち替えた。


「こっちはフォークでゆっくりかき混ぜてやった方が、私はうまくいく」


 泡立て器でかき混ぜた方が混ざりやすいような気がするけれど、孝代さんはフォークでゆっくりかき混ぜる。


「黄身を手でつかみ取りできる理由でもあけれど、実は黄身の細胞膜って意外に強いのよ。それを、上手く破ると綺麗にかき混ぜられる訳ね。だから泡立て器より、フォークの方が私向き」


「へェ」


 そういう知識のない僕には、生返事しかできないけれど。


「メレンゲと溶き卵ができたら、混ぜます」


 生クリームみたいになっていた白身と黄身が混ざると、確かに焼けばケーキになりそうな、生地になってくれる。


「あとは、オイルを引いて温めたフライパンで……あ、これも私の拘りで、ココナッツオイルね」


 フライパンに平たく流し込むと、蓋をして弱火で蒸し焼きにする。


「後は蒸し焼きね」


 肩を竦めるように両手を掲げる孝代さん。随分とお手軽にできるものだけれど……、


「あとは待つだけ?」


「まぁ、待つだけというか、焼けたかどうかは匂いで感じ取るから、ボーッとしてたら焦げますね」


 おどけた声と手振りだけれど、孝代さんは僕と話をしながらでも、そういう事ができる。


「お砂糖を入れてるから、特に油断できないのよ」


「成る程……」


 といっていると、確かに甘い匂いがし始める。多分、十分と経っていないくらい?


「はい、むっちゃふわふわにできました! スフレオムレツ、大成功」


 焼き上がったスフレオムレツを半分に折って、粉砂糖とメープルシロップをかける。


 それを更に半分に切って、お皿は二つ。僕と孝代さんのだ。


「はい、どうぞ。焼きたてが美味しいよ。熱いけれど、熱いときは、ルイボスティーでぐいっと」


 湯気を立てているお皿と、透明なカットグラスに注がれたルイボスティーとが僕の前に並べられる。


 僕が口に運ぶのは、手を合わせて「いただきます」といった後。


「ホント、卵だけだ作ってるって思えないくらい、ケーキっぽい!」


「卵だけでできるんだ、これが」


 孝代さんは白い歯を見せて薄笑い。


「実は双子卵って選別されて、スーパーのパックに入ってる事なんて、まずないのよ。それが入ってたラッキーを、こうして、二人で食べるおやつにできて、ラッキーがもう一個」


 と、孝代さんは指を立ててみせる。


 でも、それはVサインじゃなくて、3本指。



「何でもない日だけど、ちょっと特別になった気がして、ラッキーは三つ」



 楽しいから笑っているのではなく、笑っているから楽しい――そのために笑うのが、僕の五歳年上の彼女だ。

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