夏が好きだという彼女の話

 孝代たかよさんは夏が一番、好きな季節だっていう。あまりアウトドアの趣味がある訳ではないけれど、暑さが苦にならない事と、色々と楽しみ方を知ってる事が大きいのかも知れない。


 今日、孝代さんに誘われたのは、珍しい所だった。


「孝代さんのアパート、屋上を開放してるんだ……」


 孝代さんが住んでるアパートの屋上。通常、僕の下宿もそうだけど、こういうアパートやマンションは事故防止の意味もあって、屋上は立入禁止にされてる事が多いのに。


「そうそう」


 ビーチパラソルをベースに差し込みながら、孝代さんはニッと歯を見せて笑う。


「花火も見れるよ。ただ、天体観測するには場所が悪いけど」


 街の南側にある立地は北が明るくて南が暗いという状況だから、流星群が来た時に流れ星を見るには向かないって事か。


 だから解放されているとはいっても、屋上に人が来ないのは昼間だからだ。


「屋上に来るのは、花火の時の方がいいな」


 夜がいいという僕は、片足で立っている。遮るものがない屋上は、真夏の太陽がバッチバチにコンクリートを焼いていて、靴を履いてても暑く感じさせられる。孝代さんとお揃いで買った布製のローテクスニーカーっていうのも原因かも知れないけど。


 けど孝代さんが持ってきたのはビーチパラソルとベースだけじゃなかった。


「人工芝っぽいのも持ってきたから、こっちこっち」


 コンクリートの上に人工芝のマットを敷いて、ビーチパラソルが作ってくれる影の中にテーブルとアウトドア用の椅子を並べてる。


 そしてテーブルに古めかしいデザインのラジオを置くと、楽しそうに笑う。


「野球をね」


 僕に聞かれるまでもなく、孝代さんは何を聞くつもりか教えてくれたけど、僕は首を傾げてしまう。


「野球、好きだったっけ?」


 あまり印象がないからだ。


「時々、ベースボールキャップ被ってるでしょ」


 そういえば、青。赤、白の3色に色分けされた、ちょっと古い帽子を被ってる時があったっけ。


「ただ、野球場に行ったり、テレビで見たりっていうのは少ないかな。私はラジオ派でね」


「ラジオで野球中継なんて聞くの?」


 それは珍しいんじゃないだろうか?


「ラジオだと音声だけで全部、知らさなきゃならないから、面白いのよ。時々、凄い事いってくれるし」


 孝代さんはそういいながら、ラジオの周波数を合わせていく。


「うん、屋上だと入りがいいのかも」


 雑音が入りやすいAMラジオは、孝代さんの笑顔と晴れ空がよく似合うくらいにクリアだ。


 ただ青空に対して、僕は笑顔は向けられない。


「でも、かなりマシでも……、流石に暑さは変わらないなぁ」


 僕は手で風を送りながら、「あちー」と呟いた。


「ふっふっふっ」


 そんな僕へ向けて、孝代さんはテーブルに置いたクーラーボックスを突き出してくる。


 このクーラーボックスに入っているものが、今日、真っ昼間の屋上に僕を呼んだ理由が入ってるはずだ。


「今日は何ですか?」


 問いかけた僕へ、孝代さんがクーラーボックスを開けて取り出したのは、スーパーでも売ってるけど絶対に安売りしないアイスクリームの大容量パックと……、


「このフォルム、心躍るモノがない?」


 アイスディッシュだ。


「アイス?」


 確かに暑いからアイスもいいけれど……なんて感じで、僕は目を丸くするしかなかったけど。


「それと、これね」


 次に出してきたのは透明なグラスで、2リットルのドリンクディスペンサーを並べる。


 ドリンクディスペンサーの中身は透き通ったレモン色のジュースで、


「自家製のレモネードだよ。ちゃんと氷砂糖とレモンで作った」


 そういえば学生時代のバイト先で、そういうのを作るのが得意な人と知り合ったっていってたっけ。


「このレモネードに、こう……アイスをね」


 グラスに注いだレモネードに、アイスディッシュで丸く取ったアイスクリームを浮かべると、


「あァ、フロート!」


 あんまり食べた記憶はないからか、僕も「あーあー」と何度も頷かされた。


 けど孝代さんは「チッチッ」と舌を鳴らして、「まだ早い」と告げる。


「それだけじゃないのよ。ここに、マシュマロを……?」


 白やピンクのマシュマロが載ると、このコントラストは確かに綺麗だ。


「レモネードのクリアイエロー、アイスのクリーム色、マシュマロの白とピンク、そして青い空……夏が最高に似合うコントラストでしょ」


 そうなって孝代さんが掲げたグラスが景色に加わると、さっきまで憎らしいくらいだった青空が、一気に素晴らしいものに感じられるから不思議なもの。


 そして不思議といえば、このタイミングでラジオから聞こえていたアナウンサーの実況だ。


「打ったー!」


 打ったのは孝代さんが応援している方。


「え? これ――」


 凄い事になったといおうとした僕へ、孝代さんは「シーッ」と立てた指を口元に当て、実況を聞けと示す。


「大きい! 大きい! センターバック! センターバック!」


 この実況、ホームランっていってるんだろうから、孝代さんの気持ちも分かる。


「入ったー! 入ったー!」


「おお、ホームラン!?」


 パンッと手を叩いた僕だったけど――、



「グラブに入って1アウト」



 さっきまでの勢いはどこへやら、アナウンサーのテンションはいきなり普通になって、……あれ?


「全くウソはいってない」


 孝代さんは楽しそうに笑った。


「高いフライを打ち上げたから、確かに大きいし、センターが後退したのも確かだけど、全速力で追わなきゃならない程じゃなかったし、確かにグラブに入った」


 笑いを抑えられない孝代さんは、僕の肩を叩いてくる。


「こういうのが時々、あるから、ラジオがいいのよ」


 椅子に座り直した孝代さんは、さっき作ったフロートを僕に勧めた。


 食べてみると、レモネードの酸味とアイスの甘さが双方を引き立て合っている。


「暑いところで冷たいものを食べる事、ウソだろと思うけれど何一つウソをいっていないラジオ……そういうのが楽しめる季節な訳よ、私にとって夏は」


 孝代さんは大成功って顔をしてた。

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