4-7
シヤナーハとアズカヤルの国葬後、悲しみに蓋をして、女王戴冠式の準備に取り掛かったセーナーヴィーをタリクタムに残し、ラウサガシュは後ろ髪を引かれる思いでキヤンテへと帰国した。
タリクタムの今後について、セーナーヴィーから相談があれば、いくらでも乗ってやるつもりのあるラウサガシュだが、主権国家であるタリクタムの国事に、今後王配になるといえども、キヤンテの王であるラウサガシュが、自ら首を突っ込んで、ずけずけと干渉するわけにはゆかない。
同格の王と女王が並び立つキヤンテとは違って、タリクタムの君主がセーナーヴィーだけである以上、今後はこうして、夫妻が離れ離れでおらねばならない日々が増えることになるだろう。
それは如何ともしがたいことであり、国王の独身時代に逆戻りしただけのキヤンテ王朝に大きな支障はなかったが、男装の女王が不在の朝議も、同席者のいない食事も、適当な女で紛らわす気になれず独り休む床も、弟夫婦を亡くしたばかりの喪失感と相まって、ラウサガシュにはひどく侘しく感じられた。
結婚当初を考えれば、夫婦仲はずいぶんと改善されているとは感じるのだが、人にするようなのろけ話はないと言い切るセーナーヴィーのことである。
次に連絡があるのはともすれば、最低三月は先になる女王戴冠式への出席要請ではなかろうかと、気落ちしていたラウサガシュのもとに、シヤナーハとのやり取りに使用していた鳩を飛ばして、セーナーヴィーが最初の便りをくれたのは、帰国からほんの数日後のことだった。
意外な早さとその内容とに、ラウサガシュはまず驚き、そして咆哮をあげて歓喜した。
一通一通は簡潔でいながら、まめまめしく手紙を寄越すセーナーヴィーを相手に、ラウサガシュはその日から、恋文を紛れ込ませながらの文通を始めることになった。
タリクタムからの鳥文の確認を、日々の活力にしていたラウサガシュが、こちらでの根回しが完了したので、人魚宮に来て欲しいと、セーナーヴィーから呼び寄せられたのは、シヤナーハとアズカヤルの国葬から二月が経過した頃である。
*****
「お帰りなさいませ」
これまで通りの客人気分で、人魚宮へ入城したラウサガシュを、タリクタムの人々はそう言って出迎えた。内心で当惑しつつもラウサガシュは、泰然と答えてみる。
「うむ。セーナは?」
「セーナーヴィー様は奥向きにてお待ちです。少々ご気分がすぐれぬとのことであらせられまして」
「そうか。会えるのか?」
「はい。ラウサガシュ様がご到着なさったら、すぐに御前へお運びいただくようおおせ使っております」
ラウサガシュが新女王の身内である、という意識は、既に人魚宮の隅々にまで行き届かされているらしい。宦官以外の家来どもとは後宮へ入る前に振り分けられて、ラウサガシュは勿体を付けることなくセーナーヴィーの自室へと通された。
「お久しぶりです、あなた」
「セーナ!」
久々に会えた喜びが大きかったのかもしれない。膝で絞ったスカートの裾を人魚の尾ひれのように広げて着付ける、母国の民族衣装を纏ったセーナーヴィーはいつにも増して麗しかった。
タリクタムの布は薄く軽く、キヤンテの衣よりも柔らかに身体に沿うせいか、青い衣服に包まれたその肢体は、女らしくまろやかになったようにも感じられる。
「気分がすぐれぬと聞いたが、大丈夫か?」
「ええ、たいしたことは。ですが奥から、輿に揺られて出向きますのは少々不安で。無調法かとは存じましたが、大事を取らせていただくことに致しました。お帰りなさいませ、あなた。お出迎えせず申し訳ありません」
「夫婦の仲で、何を構う。つまらぬ体裁などいらん。会いたかった、セーナ」
謝る妻に向かって、まっすぐに歩を詰めたラウサガシュは、その身体を両腕でがばりと抱き締めた。夫の背中を抱き返したセーナーヴィーに指先で合図を送られて、側仕えたちは退室する。
ラウサガシュは、恋しくてたまらなかった妻の顔を穴があくほど見つめ、再会の口づけをたっぷりと求めてから、セーナーヴィーの胸元を飾っている、自分が贈った黄金と瑠璃の首飾りを掬い上げた。
「これをタリクタムに、持って来てくれていたのだな」
「ええ。旅支度をした時の、状況が状況でしたので」
「俺との別れも視野に入れて――か。離れている間、俺を偲ぶ役に立ったか?」
「そうですね。それとたまには、あなたのご機嫌取りでもしてみようかと。成功しましたか?」
「もちろんだ」
緩んだ顔でラウサガシュは、もう一度セーナーヴィーに唇を寄せた。少々不調であるという、彼女の身体を慮り、そこから先を迫るのは我慢して、
「それにしても、人魚宮へお帰りと迎え入れられる日が来るとはな。慣れぬことゆえこそばゆいな」
セーナーヴィーを三角枕にもたれさせてラウサガシュは、その崩した膝の脇にごろりと寝そべった。口とはうらはらに大きな態度である。
「このタリクタムで、あなたは私の婿殿です。その上にあなたは、もうすぐ私と共に戴冠し、タリクタム国王となられる御方。お帰りなさいとお迎えするのは当然でしょう」
膝頭にくすぐりを掛けてくる、ラウサガシュの指先と戯れに攻防しながら、むずりと脚を動かしセーナーヴィーはそう述べた。
タリクタムの王位を受け継ぐにあたり、セーナーヴィーは王配ラウサガシュを同位の王に据えるとした。別居中の夫婦が鳥文を使って、繁くやり取りをしてきたのも、主にそのことに関してだった。
互いの国から迎えた配偶者を、各々の国の王と女王に据えて共同君主とすることは、シヤナーハがラウサガシュとの求婚会談で、二重結婚の条件として合意したことであり、自分が現キヤンテ女王でもある以上、代替わりをしてもその約定は守るべき――というのが、一貫したセーナーヴィーの主張である。
ラウサガシュには我が意を得たりの正論であり、アズカヤルという先例があることで、寺院に了承を得るのは容易かったと言うが、タリクタム流に育成可能であったアズカヤルとは違って、キヤンテの猛獣王をタリクタム国王とすることに、懸念を抱く廷臣も少なからずいたはずだ。
異論も噴出しただろうにセーナーヴィーは、二月余りでよくぞ黙らせたものだと思う。
「セーナの側から、その打診をしてくれるとは意外だったな。俺は遠慮なくやらせてもらうが、本当にいいのかセーナ? タリクタムを狙ってきた俺を、この国の共同君主などにして」
「よいのですよ。労なくご自身の国となるものを、わざわざ併合しようとなさる阿保な王はいないでしょうから。これで私はあなたという猛獣の
「言ったな」
「ええ。互いの国と祖国の王であり、女王であり、あなたと私はこれまで以上に対等な関係なのですから」
ラウサガシュの児戯を止めさせる真摯さで、その双眸をひたと見据え、セーナーヴィーはおもむろに居住まいを正した。
「理想なのかもしれません。綺麗事なのかもしれません。けれどこれが私の決意の形。あなたと私が同格であるように、タリクタムとキヤンテ、この二国を、どちらが上でどちらが下と格付けることなく、同位のものとして繁栄させてゆきたいという。
あなたもどうかタリクタムを、キヤンテと等しく愛してください。二国の血を引く私たちの子に、歪みのない豊かな国を引き継ぐことができますように」
願いを終えて、セーナーヴィーは自分の下腹にそっと両手を重ねた。目には見えない大切なものを、優しく守るような仕種だった。
「セーナ、もしや、できたのか!?」
だらけていた身体を跳ね起こして、ラウサガシュは膝を乗り出した。
「はい、授かっているそうです。早くお知らせをとも思いましたが、手紙ではなく、直接会ってお伝えしたいと。気分が……と申しましたのも、輿に乗るのを避けましたのも、それで」
「でかした!!」
喜びを爆発させたラウサガシュは、セーナーヴィーに飛びついて、それから大慌てでその腹部に負荷をかけていないことを確かめた。
欲しくて欲しくてたまらなかった、セーナーヴィーとの子である。シヤナーハとアズカヤルが、胎児と共に焼かれたことが自ずと思い返されて、たとえようもない感動に、突き上げるような切なさが入り混じる。
「いるのだな、ここに」
立てた膝の間にセーナーヴィーを座らせて、少しだけふっくらとした彼女の下腹を、背後から包みながらラウサガシュは尋ねた。
「ええ」
想いを共有するように、セーナーヴィーの指先が絡められる。
「男だろうか? 女だろうか?」
「さあ? それは、生まれてからのお楽しみです。やはり男児を望まれますか?」
後ろ向きに首を捻って、セーナーヴィーは問い返した。男女を問わず継承可能なタリクタムとは違って、キヤンテでは女児を王太女には立てられない。しかしそれは、キヤンテならば――だ。
「いいや、性別にはこだわらん。女でも立派な王となれることは、タリクタムの歴史が実証済みだ。男でも女でも、無事に生まれ育ってくれたなら、この子が我らの世継ぎとなろう。
この子の未来にかけて俺も誓おう、一つになった王家と同じく、今ある二国をいずれは巨大な一国に。父母の血双方を誇れるような国家を建てることを」
「……あなた」
「何だ?」
ほのかに笑んだセーナーヴィーの右目から、涙が一粒、ほろりと、零れた。それは彼女がようやく流せた、万感の思いが詰まった涙だった。
「悲しい……、とても、悲しくて堪らない、時なのに……、人は喜びも、感じられるものなのですね、ラウサ……」
「ああ」
静かに頬を濡らしてゆくセーナーヴィーを、ラウサガシュもまた泣き笑いを浮かべながら受け止めた。
失われた二人の命の分まで、新しく宿った命は途方もなく愛おしく、ここに至って自分たちは、本物の夫婦になれたのだと思った。
*****
かくして女王セーナーヴィー、そして国王ラウサガシュは、タリクタムの護国本山において共に戴冠し、新たなるタリクタム君主として名乗りを上げる。
それと同時に、同じ王と女王が二つの国の君主を兼ねる、タリクタム=キヤンテ同君連合が発足するのだが、その緊密で強力な国家体制の誕生は、二重結婚により結ばれた、一方の夫婦の早世という悲運によって、期せずして招かれた歴史であった。
シヤナーハの失敗を教訓に、ラウサガシュとセーナーヴィーは、統一国家へと向かう変革を緩やかに行うことにした。
次代へ譲るまでには統合を、という、王と女王の遠大な計画に、焦燥したのは二国の内よりも外である。
女王セーナーヴィーが身二つになるのを待たずして、突如キヤンテは戦火に見舞われる。
大河カーリーヤナ中流に位置する軍国、ダッシジャの侵攻である。
タリクタム=キヤンテ二重結婚 桐央琴巳 @kiriokotomi
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