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 セーナーヴィーの女王戴冠式も無事終わり――これは既に決まっていたので、上下に分かれたドレスに大きなストールを掛ける、女性の正装で行った。生臭坊主の目が気になったので、数日間はラウサガシュも自制した――、キヤンテ国王夫妻の新婚生活は、いつしか日常と化していた。


 閨で過ごす時間に次いで、夫婦が密に接するのが、毎朝のように行われる朝議の時間である。

 独断をしがちなラウサガシュは、だからこそ自戒のためにと、家来どもと討議することを大切にしていた。

 かんかんがくがくとする議場で、自らを未熟であると自認するセーナーヴィーは、交わされる議論に耳を傾け、後学のため記述を取る一方で、三月が経とうとする今でも、質問以外でほとんど口を開かずにいた。



 朝議には、日々様々な議題が持ち込まれる。司会を務める家来の一人が、山と積まれた報告書の中から、火急と朱字が入れられたものを取り上げて顔を顰めた。

「密林近くの村で、村人が象牙を狙った密猟者に重傷を負わされる事件があったようです。詳細は……」

 読み上げられてゆく内容に、皆真剣に耳を傾ける。


「――ということなのですが、国王陛下、取り締まりを強化致しますか?」

「もちろんだ。死者が出てからでは遅い。いや、既に出ているかもしれん。近隣の村に行方不明者があれば、事件との関連を疑うよう現場に伝えろ。

 それにしても、密猟か。象牙の安定供給を目指して、狩猟制限をかけているというに、非合法に国外へと、持ち出そうとするやからがいるから後が絶たん。密猟者にそれをさせている、密輸業者も併せて叩くべきだろうな」


 渋い顔つきでそう述べてから、ラウサガシュはふと思いついて、傍らの席に就いているセーナーヴィーの方を向いた。


「セーナ」

「……はい」

 朝議にのめり込んでいたラウサガシュは、この時セーナーヴィーの返答が、若干遅れた理由にも意義にも、まるで気付いていなかった。力強く国の頂点に立つ引き締まった王の顔で、適材と思しい彼女に意見を求める。


「密輸の摘発に関しては、交易を国の生命線としている、タリクタムに一日の長があるはずだ。お前の所見を聞かせてくれるか?」

「私見を申し上げられるほどの見識はありませんので、タリクタムで行われている取り組みでよろしければ。後は捕物の実例でしたら上げられますが?」

「それで構わん。参考にしたい」

「では」


 巻軸と竹筆を宦官に預け、居住まいを正したセーナーヴィーは、理路整然と発言を始めた。港市国家生まれの若い女王を中心にして、議論はすぐに発熱した。



*****



 朝議が終わった後も、セーナーヴィーは数人の家来どもに囲まれて、活発に意見交換をしていた。

 この後に控えた王と女王の昼食は、その日の朝議の流れの中で、セーナーヴィーが質問攻めにしたいと思った者を招いて会食にするのが、当初からの慣例となっている。


 セーナーヴィーは今日も、男の衣服に女の頭髪という独特な格好をしている。ラウサガシュからの贈り物である、特注品の首飾りの完成を待つ前に、セーナーヴィーはその男女折衷な身なりをキヤンテ女王の普段使いとして定着させていた。

 それはラウサガシュも納得の上であり、むしろそれをよいことに濃厚な夜を重ねていたわけだが、どうやら朝が弱いらしいセーナーヴィーが、いつまで経っても朝食を共にしてくれないのが、近頃のラウサガシュの悩みの種となっていた。


 そんなセーナーヴィーを観察しながら、今日の朝議の内容では、果たして誰を選ぶのが妥当か? と――、予想を立てていたラウサガシュに、近くにいた家来どもが朗らかに話し掛けてきた。



「初めはどうなるものかと思いましたが、よいお后様を迎えられましたね、陛下。見識はないなどとご謙遜されていましたが、なかなかどうしてたいしたものです」

「ええ、ええ、陛下とも、いつの間にか愛称でお呼びになられるお仲になってらっしゃるようですし、ようやくここまで至られたかと安心しました」


「ん? 愛称?」

 そんな仲になっていた覚えはなく、ラウサガシュは首を捻った。

 セーナーヴィーに短く縮めた愛称があるのは、タリクタム人の女奴隷に呼ばれているのを聞いた時から知っていた。しかし返事をしてはもらえなさそうで、切り替え時を逸してきたのだ。


「またまたー、朝議の最中に呼んでらっしゃったじゃないですか、熱くお見つめになられてセーナ様と」

「そうだったか?」

「はい」


 柄にもなく考え過ぎて、二人の時には唇に乗せられなかったのに、人前でいきなり無意識に、口に出してしまっていたものらしい。

 家来どもの頷きに背中を押されたラウサガシュは、いてもたってもいられなくなりセーナーヴィーに呼び掛けてみた。


「セーナ、セーナ」

「何のご用ですか? あなた。一度だけで聞こえております」

「俺は腹が減ったぞ、セーナ。今日は誰を招くか決めたのか?」

「いいえ」


 ラウサガシュが場当たり的にごまかすと、セーナーヴィーは頭を振った。

 照れるでもなく怒るでもなくさも当たり前のように受け止めて、一切変わらぬその気色は、ラウサガシュに胸の内を読ませてはくれない。


「これから決めます、少々お待ちください。では……、あなた」

「やったっ! 喜んでご相伴つかまつります、女王陛下」

 指名を受けて小躍りする家来を従え、近づいてきたセーナーヴィーの手を取って、ラウサガシュは不平を漏らした。


「俺もそいつも同じか? セーナ」

「何がでしょうか?」

「わからんのなら仕方がない。しかし俺とそいつらの、差別化は必要だぞ、セーナ」

「しているつもりですが? 国王陛下」

「そうだけれどそうじゃない。……意地悪か? セーナ」

「何故そのように卑屈に? それからあなた、セーナ、セーナとくどいです」

「后の名くらい好きなだけ呼ばせろ、セーナ」

「そうなさりたいならご自由に。返事をするかしないかは私の好きにしますので」

「セーナ」


 駄目押しにラウサガシュが呼んでみると、これ見よがしにセーナーヴィーはそっぽを向いた。

 しかし愛称呼び自体を嫌がってはいないようなので、ラウサガシュはこれから彼女のことをセーナと呼ぶことにした。



 そのようにして夫婦の距離は、亀の歩みながらも着実に、詰められているようにラウサガシュは思っていた。思い込んでいた。

 夫婦仲を深めんがための自分の行いが、到底考えもしなかった方向へ、セーナーヴィーを追い込んでいたとは、知る由もなく。

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