第三章「キヤンテの結婚」

3-1

 人喰い人魚と人身御供――と、世に激震を走らせたタリクタムの結婚だが、蓋を開けてみれば大きな歳の差のあるこの二人、たいへん相性のよろしい夫婦であった。


 閨において、果たしてどちらが上位にあるか? という実に下世話な話題において、それはもちろん……と名をあげられがちなタリクタム女王は、当然それを明らかにすることはなく、虎の子を飼う年少の王配――近々女王の共同君主たる国王となる予定である――に寄り添われながら、蠱惑的な微笑を湛えるのみである。


 所変わって、キヤンテの結婚。物語はタリクタムと同じ婚礼の日に遡る。

 タリクタムから花嫁は、船に乗ってやってきた。そして華麗な、花嫁衣裳でやってきた。



*****

 


 大河カーリーヤナの畔にそびえる、キヤンテ王宮。

 タリクタム王宮が人魚宮であるならば、こなたには虎睡宮という異名がある。

 緑豊かな平野が続くキヤンテの国土は、強者でなければ獲得、保有ができなかった生産性の高い土地だ。密林の王者である虎は強さの象徴。虎の如く強い王がまどろむ――休息を取る――宮殿という意味である。


 船着き場まで花嫁を迎えに上がったラウサガシュは、下船してきたセーナーヴィーを目にするなり、開口一番こう言った。

「あるじゃないか!」


 その目線は、白を基調とした花嫁衣裳を身に着けた、セーナーヴィーの胸元に落ちている。そこに姉シヤナーハほどの、深い谷間が存在するわけではなかったが、襟ぐりの開いた女物の衣裳で見てみると、官服の上から判じたような平原でもなかった。


「……」

 面紗の奥から冷めた一瞥をくれたセーナーヴィーは、本日から彼女付きとなるキヤンテの女官に手を引かれ、無言のままで行ってしまった。その行く手には玉の輿がある。


「無視かっ」

「どうどう陛下、セーナーヴィー様は沈黙の誓いを立てておられるんですよ。陛下のためにと言葉を飲まれた、そのお心映えに感謝するところで怒るところじゃありません」

「いやあれは、もしも話せたところで何も言う気がなかっただろう」


 綺麗事を言って宥めようとする、事なかれ主義の家来相手にラウサガシュは愚痴った。

 獣扱いされるのは今さらなので咎めない。腹蔵を嫌うラウサガシュが王なので、その王朝の気風もまた、忌憚のないものとなっていた。


「閉口なさったというのが正しいんじゃないですか? 嬉しかったんでしょうけれど、もうちょっとまともなことをおっしゃって下さいよ。本日のセーナーヴィー様に、褒めそやすところなんて山ほどあるじゃありませんか」


 家来その二が呆れ返った声を出す。初見が初見であったので、どうなるものかと案じていたが、男装の麗人は女装に変えても佳人であり、その涼しげな美にラウサガシュとて感服したのだ。しかし。


「褒めたところでセーナーヴィーは、見え透いたご機嫌取りにしか思わんだろう。気難しそうだぞあの姫は」

 威風堂々と仕上げた花婿に対面し、にこりともしようとしない無表情は、幸福な花嫁には程遠い。一応の予測はしていたが、幸先の悪すぎる門出であった。



 気を取り直してラウサガシュは、自身もまた煌びやかな輿に乗る。そこへタリクタム人の女奴隷と連れ立った宦官が寄ってきた。

「陛下」

「何だ?」

「ご一筆だそうです。セーナーヴィー様から」


 そう言って宦官は、茉莉花の花枝に結ばれた一筆を恭しく差し出した。こうした形での文の遣り方は、キヤンテにはないタリクタムの風雅であった。


「無視されてなかったみたいですよ。良かったですね、陛下」

「ご苦情なんじゃありませんか?」


 二人の家来の反応は真逆だ。たとえ苦情であったとしても、無関心よりよほどましかと考えながら、ラウサガシュは一筆を取り上げた。開いてみればセーナーヴィーの書は、手習いの手本にできそうな流麗な筆致であった。


『あの時は、宦官のふりをしていましたので、目立たぬようにさらしを巻いて胸を潰しておりました。姉と比すればないも同然ですけれど』


「晒を巻いて胸を潰していただと!?」

 憎らしげに付け足された後ろの一文よりも、ラウサガシュの感性はそこに大きく引っかかった。平原の謎が解けたはいいが、たいへん由々しきことが記されている。


「陛下、お返事は?」

 いかがなさいますか? と宦官が促した。ラウサガシュは即答した。

「二度とするなと言うておけ。形が崩れたらどうするんだ!」


「ここでそのご心配は、ありかなしかで申し上げれば絶対になしでしょう。そうでなくてもこじれているのに勘弁してください! なんでセーナーヴィー様のお胸のことから頭を離してくださらないんですかー!」


 ラウサガシュのあんまりな回答に、頭を抱え込んだのは家来その二のである。家来その一も、さすがに擁護できないと感じたらしくその隣で苦笑していた。


「それが原因でこじらせているのだから仕方がなかろう。こんな風に書いて寄越すほど、拗ねて意固地になっているのはあちらの方だ。この点をどうにかしないと、セーナーヴィーと歩み寄れるとは思わんぞ」


 ラウサガシュは一筆をぴらぴらとさせた。何もかもを間違えてしまったひどい出逢いだが、こうとわかっていたならば、女かと疑うへまはしなかった。

 あの時あの場に居合わせた家来どもからは、完全にラウサガシュの落ち度と責められているが、体型を歪めるまでして性別を偽っていた、セーナーヴィーの側にも責任の一端はあったと言えるだろう。


「だからって、そんなことをお伝えしたら、セーナーヴィー様のお心がさらに遠のくだけですよ。出し惜しみをしていないで、今こそ女たらしの本領発揮してください」

「まだるっこしいな……。では、話は閨でと言うておけ。じかに話せるようになるまでは、もう話しかけんとな」


 ラウサガシュが出した結論を受けて、宦官はタリクタムの女奴隷を振り返った。

「ということだそうです。セーナーヴィー様にお言付けを頼めますか?」

「かしこまりました」

 そこで改めて女奴隷に目を止めて、ラウサガシュは、ん? となった。


「お前、何故いる?」

 見覚えのある娘であった。顔というよりもその胸に。

「はい。セーナーヴィー様のご命令で、お輿入れのお供に加わって参りました。本日より虎睡宮にてお勤めさせていただきます」


 女奴隷はそう挨拶をして、大きな胸を揺すりながらお辞儀をした。この女奴隷の馴れ馴れしい目配せに惑わされたばっかりに、今の不幸を招いてしまったことを思い出し、ただでさえ良いとはいえなかったラウサガシュの機嫌は急降下した。


「帰れ」

「あっ、はい、ただ今。ご返答確かに、お預かり致しました」

「そうでなく、タリクタムに帰れ! 目障りだ!」

「そ……そんなことおっしゃられても、セーナーヴィー様のご命が無くては、無理ですぅ……」

 声を荒げたラウサガシュの剣幕に、女奴隷はべそべそと泣き出した。


「陛下……」

「下げろ」

「はっ」

 大泣きを始めた女奴隷を、宦官が慰めながら連れて行く。セーナーヴィーはその先で、面紗越しにこちらを向いていた。


 辺りの者まで震撼させたラウサガシュの怒りは、セーナーヴィーの耳にも届かなかったはずはない。セーナーヴィーは、果たして今の自分の怒声をどう聞いたのか?

 床入りの時間まで、セーナーヴィーとの会話を待たねばならないことが、ラウサガシュには歯がゆくてならなかった。

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