タリクタム=キヤンテ二重結婚

桐央琴巳

第一章「タリクタム=キヤンテ求婚会談」

1-1

「これはもう、結婚するしかないだろう」

 見目麗しい宦官を書記官として侍らせ、愛くるしい少年奴隷に孔雀の羽の団扇で風を送らせて、海に張り出す露台で涼しむタリクタム女王シヤナーハを前に、キヤンテ国王ラウサガシュは鼻息荒くそう言い切った。


 タリクタムとキヤンテは、友好国である。赤の大陸東方に流れる、母なる大河カーリーヤナの下流に、肥沃なる水田を広げる農業大国キヤンテ。そうしてその先にある河口に港町を築いて、交易の主要地として栄える港市国家タリクタム。

 時に協力し、時に牽制し合いながら、持ちつ持たれつ繁栄してきた両国は、タリクタム王宮、通称人魚宮にて取り行われていた二王会談の最中、血気に逸った若きキヤンテ王の発言により、新たなる局面を迎えようとしていた。



「単純に、俺の女になれと言っているわけではない。俺は隷属する王妃ではなく、共闘できる連れ合いが欲しい。よって、俺の后には王と同格の女王として君臨し、国を共同統治してもらう」

「ほう」

「ということでシヤナーハ、キヤンテへ嫁に来い。国ごと纏めて引き受けてやる」

「お断りだ」


 譲歩するように話を進めながら、女王を娶ることによって、タリクタムを無血で併呑しようという、ラウサガシュの厚顔無恥な求婚を、シヤナーハは朱唇の端を吊り上げながら一蹴した。


「何故だ!?」

「何故? 逆に問いたい、ラウサガシュ。なにゆえにその求婚が受け入れられると思うたのか? そもそもが、王と女王は同格などと調子よく抜かしつつ、嫁はもらって当然というおぬしの態度が気に食わん。どうしても我と夫婦めおとになりたいならば、おぬしが国を持参の上でタリクタムへ婿に来い」

「それは……」

「無理だろう? 無理なことを他人ひとに求めるな」


 厳しい口調でそう突っぱねてから、シヤナーハは脇息きょうそくにもたせかけていた赤銅色の身を起こし、重ね付けした金の腕輪をしゃらしゃらと鳴らしながら、細い鎖骨の上に落ちかかる漆黒の髪を払った。


「しかし幸いなるかな、我は慈悲の心というものを持ち合わせておってだな、遠路いらしてもらったキヤンテ王に、ただ恥をかき捨てさせるだけ――というのも忍びない。よって我は、おぬしの求婚を断る代わりに、互いの国から配偶者を迎える、二重結婚を提案する」


「二重結婚?」

「そう。まずはラウサガシュ、おぬしには、我に代えて我が妹、セーナーヴィーを輿入れさせよう」

「セーナーヴィー……? なんやかんやと理由をつけて、お前が一度も引き合わせてくれたことのない妹か!」


 表面上は落胆する素振りを見せていたラウサガシュだが、当の本人にしたところで、

 ――やめときましょうよ陛下。女王様よりも、タリクタムの国の方に色気があるんだって、絶対はなからバレバレですって。

 と、随行してきた家来たちに止められながらも敢行した、物は試しといった程度の求婚である。シヤナーハの口から引き出した魅力的な代案に、しおしおとした演技も忘れて興奮露わに膝を打った。


「我にとっては掌中の珠、心を分けた腹心でもある。他国の王などという、野心やら下心やらでぎらぎらした男に、そう易々と紹介なんぞしてやれんよ。

 が、我が妹は十八歳、花も恥じらう芳紀ほうきにある。そろそろこういう話も纏めねばならんと思うてな、おぬしを含めこれという男には、折を見て接させてきたのだよ。今もほれ、この場におるわ」

「――は?」


 驚いて、ラウサガシュは周囲を見回した。賓客であるキヤンテ王の一行に対する、もてなしの場ともなっているこの露台には、シヤナーハの左右に侍する宦官と少年奴隷、そうしてラウサガシュの家来どもの他に、給仕を務める女奴隷が数人控えている。

 そのうちの一人、過去にラウサガシュが夜伽にした覚えのある娘が、目と目が合った瞬間に意味ありげな目配せを寄越した。


「まさかあれか!?」

 ラウサガシュは冷や汗をかきながらその娘を指さした。目鼻立ちはまるで似ていないが、胸の豊かさではシヤナーハと張る女である。ラウサガシュは人魚宮へと招かれるたび、一夜の恋も歓待の一部と気ままに女奴隷を誘ってきたが、身分を秘してそれに紛れていた、王妹にまで手を付けていましたでは洒落にならない。


「何故そう思った?」

「あ、いや、お前に似ていないこともないような気が……」

 どこが――というのを、ラウサガシュはシヤナーハに不躾な目線で伝えた。もっとも、シヤナーハに面した時、ラウサガシュの獣じみた視線が度々そこを舐めるのは、今に始まったことではないのだが。


「やれやれ、臆面がない男だな。それでよく『共闘できる連れ合いが欲しい』だなどと抜かせたものだ」

「あれもこれも偽りのない本心だ。俺はお前の内も外も、称賛に値するものだと評価しているぞ、タリクタムの人喰い人魚」


 上から目線で褒めてラウサガシュは、その評判をよく表しているシヤナーハの異名を口にした。海上にまで都市を広げたタリクタムの王族は、人魚を祖にするという伝説を持つ。誰がつけたか知らないが、言い得て妙なあだ名であった。


 古来より美しくも恐ろしくも語られる人魚は、子を生すためにまぐわい、その後肉を喰らうために、若い男を海中へと誘い込む、半人半魚の姿をした女ばかりの水妖である。

 人魚が生むのは決まって人魚であるはずが、ある時神の悪戯で、鱗ある足を持った男児が生まれた。おかに捨てられたその子が長じ、潮流を読み海路を拓いて、人々を導き建国したのがタリクタム――とわれている。


「今さら我を口説いてどうする。それからおぬし、残念ながら炯眼けいがんにはほど遠いな。セーナーヴィー、まるで気付いておられぬようだ、キヤンテ王に挨拶を」

「はい」


 シヤナーハの命に受け答えて、ラウサガシュの盲点を突く位置から硬質な声がした。

 ぽかんと開けた口をそのままにして、軽く首を巡らせたラウサガシュの前へ、進み出たのは議事録を取っていた宦官だった。


「タリクタム女王シヤナーハが妹、セーナーヴィーにございます。以後お見知り置きを、ラウサガシュ殿」

 無表情に固めた顔つきで、男装の王妹は慇懃にこうべを垂れた。物柔らかな仕種ではあったが、それはどこからどう見ても、男の作法にのっとった礼だった。


「はっ、妹!? 一昨年あたりから、やけに美麗な宦官を侍らせるようになったなとは思っていたが、これ女っ!?」

「ご期待に添えずして申し訳ございません」

 官服で覆われた平たい胸の上を、つるりと撫で下りたラウサガシュの目を冷やかに受け止めて、セーナーヴィーは口先だけで、心にもない詫びを入れた。


「あっ、いや、俺の方こそ悪かった――というか……、いやっ、セーナーヴィー、それもまた個性というもので気に病むようなことじゃない! おいっ、妹を宦官に化けさせていたなんて、人が悪いにもほどがあるぞ! シヤナーハ!!」


 王宮で雑役に当たらせるため、去勢を施した男奴隷。それを取り立てて要職に就かせたのが、この世界における宦官というものである。

 その身体的な特異性から宦官は、女性的であることも珍しくなく、またセーナーヴィーは、女おんなした外見の姉とは違い中性的な容姿の持ち主で、ラウサガシュは完全に騙されていた。


「人が良くて女王が務まるか。そこは王の貫禄で、『これは一杯食わされた。おぬしも悪よのう』とでも、笑い飛ばして欲しかったところだぞ」

「笑える状況かっ!」


 食わせ者のシヤナーハに当たってから、ラウサガシュは改めてセーナーヴィーに向き直った。髪を隠したターバンの下から、瑠璃色の瞳でセーナーヴィーが返してくるのは、硬く心を閉ざした硝子のような眼差しだ。

 それは突発的な事故であったとはいえ、ラウサガシュの不用意な言動が招いてしまったものであり……。縁談のある男女としては、黒々とした暗雲立ち込める、およそ最低最悪の出逢いであった。

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