第二章「タリクタムの結婚」

2-1

 そうして決まった二組の婚礼は、司暦が吉日を選び出し、公平を期して同日に執り行われることに決定した。

 キヤンテから花婿は、象に乗ってやってきた。そして何故か、虎を連れていた。



 昼間の儀式と祝宴が終わり、清め直した身体に香油を刷り込ませたシヤナーハは、結婚の見届け人である高僧とお付きの小坊主、そして世話役の宦官に付き添われ、王配の部屋を訪れていた。

 そこにいるのが確かにアズカヤルであるのを確認すると、高僧は新郎新婦を並ばせて床に膝をつかせ、新枕にいまくら寿ことほぎを朗々と唱え上げて、他の者たち共々退出していった。


 ようやく周囲が無人となり、夫婦二人きりの閨である。

「はあっ……」

 湯あみを終え、花婿衣裳から寝衣に着替えても、被せ直されていた面紗をシヤナーハが外してやると、言葉を発するのを我慢して、ぐっと口を噤んでいたアズカヤルは、ようやく息を吹き返せたといった表情で大きく吐息をついた。


「これでやっと、お話しできますね。今日からよろしくお願いします、シヤナーハ様」

 膝立ちしたままアズカヤルは、上目遣いにシヤナーハを伺いもじもじと挨拶をした。シヤナーハは微笑して、丸めた面紗と金の留め具を卓上へ置いた。


「ああ、よろしく。我の呼び名はナーハでよいぞ。我はおぬしを……アズと呼ぼう」

「はい、ナーハ」

いのう」


 シヤナーハが両手を差し出すと、顔を真っ赤にしたアズカヤルは、おずおずと手指の先を掴んだ。そうして立ち上がらせた幼な妻、ならぬ幼な夫を、シヤナーハは両手で引いて寝台へ連れて行く。



「済まなかったな、タリクタムは女王が立つことが多い国、そのせいか婿殿には、男女を逆転させてもらうことが幾つかある。アズには花嫁の如く面紗を被せ、沈黙の誓いを守らせて、無言で婿入りさせるべきと寺院の坊主たちが聞かなくてな」

 寝台のへりにアズカヤルを並んで掛けさせて、まずは女のような扱いをしたことについて、詫びを入れることからシヤナーハは始めた。


 実家を出てから花嫁は、初夜の床で花婿に面紗を外されるまで、無言でいなければならないという風習がある。これを沈黙の誓いという。

 あらゆる誘惑を退け、夫に対して貞節と従順を約束するという意味があり、王配は女王に対して同様にそれを誓うべし、という寺院の主張は、お節介だがまあ筋は通っているのだろう。


 しかしながら、いかつい顔に面紗を付けて、ごつい男が婿に来るなど、とてもじゃないが見られたものかとシヤナーハは思う。たとえ相思相愛の相手であったとしても、百年の恋も冷めかねないきつさだろう、と。

 その点、少女とも見紛うアズカヤルは、そのままにして飾っておきたい可憐さだった。キヤンテ王宮からずっと、自分のために誓いを守り、面紗の中で沈黙を通してきてくれたのだと考えると、そのけなげさに愛おしさは倍増だ。


「あのっ」

「うん?」

「男女を逆転って、他に何が……?」


 赤い蝋燭や煽情的な香りを放つ花々で、くどいほどに新婚初夜の雰囲気作りがなされた中、寛げない様子のアズカヤルは不安げに尋ねてきた。

 シヤナーハのちょっとした身じろぎにもびくりとする彼は、正に人身御供といった感じがして、可愛さ余ってシヤナーハは、嗜虐的な気分になってくる。


「そうだな。こうして最初の夜に、我の側からおぬしの部屋を訪ねていることもそうだが、キヤンテでは、ラウサガシュが即位直後に廃した寡婦殉死の習慣が、タリクタムではまだ生きている。これが女王の場合だと殉ずるのは王配の方、すなわち寡夫殉死へと転じるわけだな。

 ゆえに我が先に死んだらおぬしには、我の遺体を焼き上げる火の中へ、投身してもらわねばならん」


「ひいっ!」

 アズカヤルはぶるぶると震え出し涙目になった。そうでなくても緊張している婿殿に、このまま縮み上がられていては成るべきことも成らなくなる。シヤナーハは表情を和らげ宥めにかかった。


「もっとも、民間ではとっくの昔に廃れている、王族にのみ残された前時代的な悪習だ。アズのような若い婿殿を迎えたことだし、我はおぬしにそんな顔をさせておかんで済むように、タリクタムでも廃止したいと考えているよ」

「そうですか……。あっ、僕……、あの僕、ごめんなさいっ」


 ほっと胸を撫で下ろしたアズカヤルは、醜態を演じてしまったことを謝罪した。あんな姿を見せてしまっては、貞節と従順を約束したはずが、シヤナーハに殉ずることなどできないと宣言したも同然だ。

 しかしそれは、未来ある若者の純粋な死への恐れであり、アズカヤルの魂が健やかなることの証とも言えるだろう。シヤナーハはゆるりと横にかぶりを振った。


「謝ることは無い。我こそ意地悪が過ぎたようだ、もう少し事例を選んでやればよかったな。

 のうアズ、ことはついでだ、もしも知っているなら教えて欲しいのだが、ラウサガシュはどうやって旧態依然とした寺院を説伏したのだ? 坊主らは一言目には仕来たり仕来たりで、良かれ悪しかれ伝統を重んじる。なかなか議論もさせてくれんのだ」


 なのでアズカヤルの国王即位も、先例のないことといって戴冠を渋られた。国家間での決め事として押し通したが、女王の配偶者となるのが先決という寺院の意見には一理あり、シヤナーハもそこは譲った。

 結婚とはすなわち契ること。今宵の初夜の儀の成立を見た上で、戴冠式の予定が立てられることになっている。責任重大なその事実を、シヤナーハは当のアズカヤルには伏せていた。



「ナーハは、第二王妃だった僕の母が、父よりもずっと、兄と近い歳であったことをご存知ですか?」

 シヤナーハの質問にしばらく考え込んでから、アズカヤルは語るべきことを纏めたらしくそう切り出した。


「ああ、それは。お隠れになった時、母君はまだ二十歳そこそこだったのでは?」

 軽く頷き、シヤナーハは親身になって先を促す。幼くして父母を亡くした、彼自身の悲しい記憶に繋がる話でもあるのだろう、アズカヤルはしんみりとした風情で述懐を始めた。


「はい。十四で父の後添いに入って、十五で僕を生んで。兄にとっては継母というよりも、姉のように慕った人だったと……。父が死去した時僕はまだ小さくて、母と離されてしまったことがただひたすらに寂しくて、泣き疲れて眠ってしまっていたのを幸いに、母が生きながら焼かれるところを見せぬよう、乳母が取り計らってくれたらしいのですけれど。

 泣いてわめいて、命乞いをして、果ては薬物で廃人にされて……、何もわからない状態で炎の中へ、突き飛ばされて逝った……。それが母の最期だったと、何年も後に聞きました。

 兄にはそれが見るに堪えなくて、あれで真に弔いと言えるのか? 母があんな亡くなり方をしては、父も母も浮かばれない。自分だったらそんな女と、骨を混ぜるのは絶対に御免だと、寺院に乗り込んで行って談判をしたそうです」


「ほう……」

 壮絶な風習だとはわかっていたが、アズカヤルの口から語られた母の死は、人の死に様としてあまりにも残酷で、シヤナーハには相槌を打つしかできなかった。

 シヤナーハの言葉にできない悼みをその面容から受け止めて、アズカヤルは続けた。


「ナーハはキヤンテで、寡婦殉死が完全廃止されているとお思いかもしれませんが、実際は少し違っています。

 本気で後追いをしたいなら、后の方から火の中へ飛び込んでくれるだろうと――、王妃の寡婦殉死の義務は廃す。だけど権利は認める。ということで、兄は大僧正と折り合ったんだとか」


「なるほど、落としどころを見つけたわけか。ラウサガシュが共同君主となれるような、気丈な女を后に望んだのがわかる気がするな」


 貞女の鑑として夫に殉じるか? 寡婦として天寿を全うするか?

 セーナーヴィーならその決断を、周囲に流されることなく下すことができるだろう。それだけの器量を持つ妹を嫁がせてやったのだ、ラウサガシュにはせいぜい感謝してもらいたいものだと思うシヤナーハである。


「ナーハも、母上の寡婦殉死をご覧になったのですか?」

「いいや。我の母も我と同じく女王でな、父よりも長く生きたのだ。父は母に看取られて安らかに逝ったよ。我もそうしてやれれば穏やかなのだが、いかんせんおぬしとは歳の差があるからな」


「それじゃあ、僕は人並みでいいですから、ナーハはどうか長生きして下さい。男が若ければ若い分、その若さを吸い取って、人喰い人魚の寿命は延びるんじゃないかって、兄が申しておりました」


「……おぬしの兄、今度会うたら絞めても良いか?」

「そんな荒事、女性のナーハにはさせられません! 上手じゃありませんけど僕がやります!」

「では頼もうか」


 ラウサガシュを物理的に絞める、というよりも、大きな兄にじゃれついているアズカヤルを想像し、シヤナーハは思わず吹き出した。きっと子猫が猛獣に組み付いているような、ほほえましい図になることだろう。

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