3-3

 朝食後、軽く政務をこなしたラウサガシュは、時間が来たので約束通りセーナーヴィーの部屋を再訪した。

 一夜明けて、国王夫妻の関係はどうなっているのかと、やきもきとした雁首を揃えていた家来どもに、

「案ずるより、抱くが易しだ」

 などとうそぶいてきたラウサガシュだが、予想外の出来事に直面して愕然とした。



「なにゆえそんな格好をしている!?」


 豪奢な刺繍を施した、膝下まである詰襟の古代紫の上着に、ゆったりとしたズボンを合わせたセーナーヴィーは、その上に房の付いたストールを掛ける男子の正装で待っていた。

 昨夜ラウサガシュが、指に絡め、口づけて、乱しに乱した長い黒髪は、すっきりと上げてターバンの中に収められている。


「はっ、胸は――」

 重大な確認をするラウサガシュの視線を弾くように、控え目な曲線を描く胸を、セーナーヴィーは両腕で覆った。


「今日は潰しておりません。もう身体をごまかす必要はございませんし、余計なご心配は遠慮申し上げたいので」

「ならよいが」


 生で見て触れて知った分だけ、ほっと安堵を深めるラウサガシュである。あれを損ねさせてしまっては人生の損失だ。家来その二が絶対になしと嘆いていた、その余計な心配まで伝わっているらしいのはまあよしとしよう。


「では参りましょうか」

 まだ腑に落ちていないラウサガシュを促して、セーナーヴィーは一人でさっさと戸口に向かおうとする。ラウサガシュがもやもやと思い浮かべているものを、振り切ろうとするようでもあった。


「待て。重ねて聞く。なにゆえそんな格好をしている!?」

 引き止めるラウサガシュを肩越しに振り返り、セーナーヴィーはてらいもなく答えた。

「あなたがタリクタムへ帰せと言った侍女たちが、これを着て見送りをして欲しいと懇願してきたものですから」


 女奴隷たちにそうねだられるのもさもありなん。女性にしては背が高く、長い手足をした彼女に、今の衣服は恐ろしく映えていた。

 凛々しい中にも瑞々しい透明感があり、男のようであるのに、男にはない華奢さにどきりとさせられる。昨日の花嫁衣裳よりも着こなせているかもしれないという思いを、ラウサガシュは慌てて打ち消した。


「お前は、たかだか奴隷の願い事に、振り回されてやろうというのか?」

「特別です、今回は。皆、キヤンテ王の寵姫になれるかもしれないという夢を抱いて来たでしょうに、私の見込み違いで可哀想なことになりましたので」


 納得しがたいセーナーヴィーの説明にラウサガシュは頭を振った。


「勝手な夢だ。一度情けをかけてやったくらいで、我が物顔をする女を俺は好かん。

 そもそもが、俺は寵姫を持たん主義だ。ゆえに伽をさせても名は聞かん。人魚宮のような出先に限らず、この虎睡宮でもそうしてきた。だから妾と呼べる女奴隷は大勢いたが、お前との婚礼前に下賜は済ませている。せっかく無くしていたものを、増やされては困る」


「覚えておきましょう。ただ……、側室をお迎えいただきたいと、私が奏上しました時にはご一考ください」

「それは、まあ、致し方ないが。それよりも本気で、そのいで立ちで見送りをする気か? この俺に並ぶのだぞ? 初めての公務に出る、キヤンテ女王が男でいいのか?」


 肩をすくめたセーナーヴィーは、身体ごとラウサガシュに向き直った。


「そんな小さい、小さいことを」

「二回も言うな」

「感じたままを申し上げているまでです。昨日は一人を怒鳴って泣かせて、今日は私の男装をご容認いただけないようではあなた、タリクタムへ帰す侍女たちに、小さいと思わせたままですよ」


「他意はなかろうな?」

「何のことです?」

「ないなら構わん。しかし男に小さいは禁句だ」


 別に俺は小さかないが――と、ぶちぶちぼやくラウサガシュに、

「それでは、次回から言葉を選ぶと致しましょう。器が狭い、と」

 セーナーヴィーは言葉を選んですぱんと言い切った。


 身も蓋もない言い様に、ぶちりといきかけたラウサガシュだが、ここで切れては負けだ。

 強国キヤンテの国王たるもの、でんと構えて大きいところを見せてやろうではないか。傍らに立つ新婚の女王が、美女ではなく美男でも。



*****



 セーナーヴィーが室外へ出てゆくと、案の定みな呆気に取られた顔をした。

 輿に乗ったセーナーヴィーが、ラウサガシュと共に船着き場へと運ばれる頃には、颯爽とした女王の男装に、虎睡宮は騒然としていた。


「セーナ様お元気で」

「どうかお幸せに」

「皆もよしなに。姉上とアズカヤル殿によくお仕えするよう」

「わーん、姫様」

「泣かないの」


 輿入れの旅に従ってきた一人一人の労をねぎらい、感極まった女奴隷に至っては、慰むように抱擁してやって、別れを惜しんでいるセーナーヴィーは実になんとも男前であった。

 セーナーヴィーはキヤンテ国王の妾ひいては側室候補にと、ラウサガシュに手を付けられた娘たちを侍女にと選び出してきたようだが、彼女自身を主と慕い、喜んで従ってきた者が大半であったのだろうと見て取れた。


「わー陛下、すっかりお株を奪われていますね」

「見送る相手はセーナーヴィーの祖国人だ。俺が出しゃばることもあるまい」


 一方のラウサガシュは、タリクタムの高官や船長、水夫たちからは丁重に暇乞いをされていたものの、手ひどく追い返される形になった女奴隷たちからは、びくびくと手短な挨拶を受けていた。

 それも早々に終わってしまったので、今は家来どもと雑談しながら、女奴隷に囲まれているセーナーヴィーを、はたから眺めている余裕がある。

 あまり表情を動かさないセーナーヴィーだが、彼女たちに向ける眼差しは、ラウサガシュに対するそれとは段違いに優しかった。同胞とはいえ奴隷如きと、それだけ差を付けられていることが、憎らしくなってしまうほどに。



*****



 国旗を掲げたタリクタムの王室船は、大河の流れに乗ってぐんぐんと去ってゆく。

 別れの後のもの寂しさが漂う中、肩を並べた桟橋の上で、長らく振り続けていた手をようやく下したセーナーヴィーに、ラウサガシュは尋ねた。


「聞いておこうか。どうして輿入れの供に、俺が夜伽にした女ばかりを選抜しようと考えた?」

「あなたがそれを、問うのですか?」

 感傷を拭い去った瑠璃色の双眸で、セーナーヴィーはラウサガシュを静かに見返した。


「私はあなたの求婚に断りを入れた、タリクタム女王シヤナーハから、あなたと共に闘ってゆける者と推挙され、女王になるべくキヤンテに参りました。あなたに愛でられる王妃として、望まれたわけではございません。代わりにそれを補える者をと用意して参りましたのは、そんなにおかしなことでしょうか?」


「なるほどな。それは半分正しいが、半分は誤りだ。俺が寵姫を持たんのは、特別な女は伴侶にすると決めてきたからだ。セーナーヴィー、今宵もまた、俺の寵を受けてもらうぞ」


 美青年姿でセーナーヴィーは、面食らった顔をした。その表情を崩せたことがラウサガシュには快かった。


「……女官を介して伺うお話では?」

「その姿で規則を語るか? もう言った。準備があるだろうから後で女官にも告げておく。そうだな、面倒だからまとめて宣言しておこう。当面俺の寝床はお前の寝所だと」

「当面……?」


「結婚とはそういうものだろう? 新婚早々独り寝をさせるほど俺は薄情じゃない」

「あなたに情はございません。薄情にしていただくくらいで釣り合いがとれておりますが」

「それではいつまで経っても不仲だろうが」

「何か不都合でも? 私はあなたとの仲がどうであれ、女王としての役割はきちんと果たす所存です。第一、床を重ねたからといって、情けが深まるとは限りません」

「だが俺はそうしたい。もう決めた。女王の役割には、俺の正室の務めも含まれているはずだ」


「強引ですね、あなたは。いつも、いつも」

 ラウサガシュに正論を持ち出され、溜め息混じりにセーナーヴィーは折れた。でき得るならば世継ぎを上げること。それが古来より、キヤンテに限らずどの王家でも、正室に課された最も重要な役割だ。


「そうか?」

「ええ。お知り合いになった日から数えて、私の言ういつもは知れているはずです。なのにいつもと言わせたことを反省してください」


 伏し目がちにしたセーナーヴィーの指先は、その日の記憶をなぞるように自らの唇を撫でていた。その仕種が妙に色っぽく、そそられたラウサガシュは迷わずそこに口づけた。

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