2-3

 朝方、先に目覚めたシヤナーハは、陽の高さを確かめて寝過ごしていないことに安堵した。

 人肌に包まれながら前後不覚に眠りに落ちた、いつもと違う寝台の傍らには、もう決して幼いとは思わない、年下の王配がまどろんでいる。


「お早う、アズ」

 耳元で声を掛けながら、シヤナーハはアズカヤルを揺り起こした。

「んー……、ナーハ……? お早うにはまだ早いです……、もうちょっとだけナーハにくっついて……」


 むにゃむにゃと甘えたな声を出し、アズカヤルは幸せそうな寝とぼけ顔をさらに蕩かせて、シヤナーハの裸の身体にすり寄ってくる。うっかり許してしまいたくなるが、シヤナーハは心を鬼にして再度揺すった。


「アズ、昨夜はよくぞ奮闘してくれた。さぞかし眠かろうがもう起きた方がいい。そろそろ坊主が来るぞ、初夜検分に」

「しょや……けんぶん……?」


 未だ夢うつつの目をこすりつつ、アズカヤルは聞き慣れない単語を鸚鵡返しした。それを臆することなく受けられることの返礼に、シヤナーハはその額に軽く唇を押し当てた。


「ああ。おぬしが離してくれなければ、おぬしも我もこのまま夜具を引き剥がされて、生まれたままの姿を全部晒す破目になる。だから気合いで起きろ、起きてくれ」



*****


 

 なんとか起こしたアズカヤルに脱ぎ落されていた寝衣を着せて、自分もそうしたシヤナーハが、艶々とした黒髪をくしけずってやっていたところで、高僧、小坊主、宦官という、昨夜と同じ面子が揃って部屋の前までやってきた。

 不承不承といった気持ちを隠そうともせずに、入室を許可してシヤナーハは、アズカヤルを掛けさせている籐椅子の背後から、その背もたれに腕を重ねて壮年の高僧に文句をつける。


「床入りの確認だけでは飽き足らずに、事後の寝台もあらためさせろというのだから、坊主というのは本当にむっつりだな」

「仕来りでございます。し、き、た、り! 寝台で検められればよいですが、そうでない場合には、陛下の御身を検分させて頂かねばならないこと、ご承知でしょうな?」


 むっつりではなくむっすりとした高僧は、シヤナーハに挑発的に言い返すと、宦官に寝台の夜具を剥いでくれるよう依頼した。現れた白い褥には無数の皺が寄り、シヤナーハの破瓜の血で、見るも明らかな血痕がついていた。


「え……?」

 高僧は我が目を疑い絶句した。小坊主もまた同じような顔をした。

 女王の私生活を窺い知れる宦官には、さすがに驚きはない様子だが、シヤナーハの処女性を、頭から否認していた人間たちがここにもいた。


「終わったな。早うね」

 どいつもこいつも失礼極まると思いながら、シヤナーハはしっしと追い払う形で手を振った。

 タリクタムの人喰い人魚というあだ名には、若い男を誘惑して喰らう、人魚特有の淫靡さが付きまとう。その得体の知れない悪女的な印象を、シヤナーハ自身が利用してきたことも否めないが、自国の女王の貞操観念というものを、いま少し信用してもらいたいところである。


「いえ、まだです。陛下、恐れ入りますが月のご予定は?」

 目の前にあるものを信じようともせず、しぶとく食い下がる高僧に、シヤナーハは堪忍袋の緒を切らした。


「月なら五日前に終わっている! 付け加えるなら狂いはない方だからな! 全く、昨日が吉日――というのもあるが、我とセーナーヴィーの月の巡りを考慮して、婚礼の日取りを決めたというのを知らんのか? 女王の脚の間を覗き込もうとする前に、そのくらいのことは調べてこい!

 それに初夜の成否に疑問を抱くのは、我よりも婿殿に失敬というもの。のう、アズ、おぬしからも何とか言うてやれ――、アズ?」


 シヤナーハが右肩に手を置いて覗き込むと、アズカヤルはその手を握って、血の気を引かせた顔でシヤナーハを仰いだ。


「ナーハ、血、あんなにも……、出ていたんですね……」

「もう止まっている。案ずるな。言っただろう? その身をもって確かめればいいと」

「そう……でしたね……」


 アズカヤルは薄っすらと、しかし嬉しそうに微笑した。面映ゆく笑みを返したシヤナーハの手から、アズカヤルの手がするりと外れる。


「アズ!? どうしたアズ!?」

「……僕、血……、苦手で……」

 片言でそう言い残してアズカヤルは、こてりと気を失った。血相を変えてシヤナーハは、アズカヤルの前に回り込む。

「アズ!?」


「あー……、タリクタム女王シヤナーハ陛下、並びに王配アズカヤル殿下は、初夜の契りを交わされて、めでたくここにご結婚なされたことを承認申し上げます。タリクタムの国家と女王陛下御夫妻に、火の神の加護あらんことを」

「火の神の加護あらんことを。ご成婚おめでとうございます」


 結婚の見届け人である高僧と、その腰巾着の小坊主は、二人の結婚を常套句で寿ぐと、

「では陛下、これにて御免申し上げます」

 一夜を過ごした歳の差夫婦の、それ以前とは異なる親密さに、もう付き合ってはいられないとばかりに、そそくさとその場から退散しようとした。


「おぬしら、アズカヤルの国王戴冠式の件、忘れるなよ」

 振り返ってシヤナーハは念を押した。その口約があるからこその、執拗な追及であったはずだ。


「大僧正に申し伝えておきましょう」

 高僧は当たり障りなくそう答え、今度こそ本当に踵を返した。ちょこまかと先回りして、部屋の仕切りを開け閉めする、小坊主を従え去って行く。



「あやつら、救済が役割の坊主のくせに、急病人を簡単に見捨てて行きおって……! おぬしで構わん、気付け薬を早う持て」

 癇癪を起すシヤナーハに代わって、アズカヤルの介抱に当たっていた宦官は、その容態を確かめておそれながらと進言した。


「陛下、王配殿下は睡眠不足であられるとお見受けします。このまましばらく休ませて差し上げてはいかがでしょうか? 後のご予定は午後からで、急かされる必要はございませんし……」


 くたりと寄り掛かった籐椅子で、アズカヤルはすやすやと安らかな寝息を立てていた。顔色はまだ戻りきっていないが確かに大事はなさそうだ。


「アズ、繊細なのか図太いのか……」

 ほっと気を緩めながらシヤナーハは、自身もまた強烈な眠気を感じていた。大きな欠伸を片手で押さえ、気だるげに指示を出す。


「そうだな、では新しい褥に取り変えて――、いや待てよ、お互いの部屋を行き来する、裏通路があることだし、我の部屋へ移った方が手っ取り早いのか。のうおぬし、アズを我の寝台まで運んでやれるか?」

「それは問題なくできますが、陛下のご寝台……。もう陽は昇っておりますが、よもや陛下もご同床なさるのですか?」


 苦言含みの宦官からの問いかけに、シヤナーハはぽうっと目尻を染めた。それは昨夜の顛末を思い浮かべてしまった、嬉し恥ずかし新妻の顔だった。

「新婚なんだ、大目に見ろ。それにこなたの婿殿のおかげで、我もほとほと眠うてな」

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