3-4

 二日続けてセーナーヴィーと夜を過ごし、充足した朝を迎えたラウサガシュは、今朝も朝食の同席を辞退した、新妻の部屋から一旦辞去した。

 婚礼に係わる行事が終わり、通常に戻った虎睡宮で本日は、新米女王セーナーヴィーを加えて初めての朝議が行われる。


 つんつんとしていても、花嫁姿の眩しかったセーナーヴィーのことである。昨日午後からのキヤンテ王室の親族会のため、女の姿に変えた衣裳も趣味が良かった。

 今日は果たしてどんな装いでいてくれるかと、楽しみにして迎えに戻ったラウサガシュだが、その期待を大きく裏切られることになる。



*****



「また何故そんな格好をしている!」

「実用重視です。昨日のうちに、私が男物も着る女と知れたでしょうし、さしたる問題はないでしょう」


 朝議を前にしてセーナーヴィーは、立ち襟のついた膝丈のゆったりしたシャツに、裾をたるませて履くズボンという、タリクタムでの宦官姿を彷彿とさせる身なりでいた。

 髪はもちろんターバンの中であり、昨日の正装のような華やかさはないが、皮のサンダル以外は白一色で統一し、ごてごてとした装飾が無い分非常に爽やかである。


「ある。大いにある! お前が綺麗にしていると俺の鼻が高い」

「着飾っておかないと、醜いですか? 私は?」

「……いいや」

「それではよいではありませんか」


 何を着ようが着ていまいが、セーナーヴィーの涼やかな麗人ぶりは健在だが、物事は最初が肝心だ。

 昨日に引き続いて今日もまた、譲ってしまえばずるずると、魅惑の男装女王で定着してしまいそうな予感がする。それは絶対させるまじと、ラウサガシュは食い下がった。


「いやよくない! 似合っていないこともないが、俺の目にはちっとも楽しくない! セーナーヴィー、俺のご機嫌取りをしろとまでは言わないが、少しは俺を喜ばせてやろうという気持ちは湧かないか?」

「湧きません」

「だろうな」


 負け惜しみである。セーナーヴィーの安定の冷淡さに、予測していながらラウサガシュはがっくりと肩を落とした。

 うなだれる猛獣王が、憐れになったのか煩わしくなったのか知れないが、セーナーヴィーは仕方なさげにぼそりと漏らした。


「隠せないのですよ、女物の衣服では」

「隠せない? 何がだ?」

 セーナーヴィーはシャツの上から、左の鎖骨のあたりをそっと抑えた。

「あなたが、付けた、痕が」


 うぐっと言葉に詰まるラウサガシュから、目線を逸らしてセーナーヴィーは続けた。

「私とて、是が非でもこの格好でとこだわるわけではありません。今後あなたが自制してくださるならば配慮致しましょう。ですが本日の朝議はこのままで」

「いや、まあ、ああ……」


 理由を聞いてしまうとラウサガシュには、房事の痕跡を覆い隠すためのセーナーヴィーの男装が、急に艶めかしく感じられてきた。

 朝議の席で待ち構えている家来どもとて、この気丈さの現われのような男の衣服の下に、新妻の恥じらいが潜んでいるとはよもや思うまい。


「わかった。そういうことなら譲歩しよう。しかしターバンは外して、髪は垂らせるようにしておいた方がいいかもな」

「何故です? 服だけ男のものにして、それでは中途半端では?」


 視線を戻したセーナーヴィーにラウサガシュは獰猛に笑みかけると、彼女の後ろ襟を軽く摘んで、そこから覗くほっそりとした項を甘噛みした。


「きゃっ……!」

 昨夜床の中で聞いたような、か細い悲鳴があがった。ぐるりと巻いたターバンの裾から、後れ毛を零す襟足が、朱に、染まる――。

 ばっと項を押さえて、セーナーヴィーはラウサガシュの近くから飛び退いた。


「首筋を隠したくなった時に不便だろう? セーナーヴィー、お前はキヤンテ初の女王なのだ。己を男に則した型に嵌めてしまうことはない」

「付、けたのですか? 歯型……!」

「さてな。付いたかもしれんし、付かんかったかもしれん。お前が両手を退けたら確かめてやれるぞ」

「その手には乗りません。まだ付いていなければ付ける気でしょう?」



 そんなこんなで、すっかりとつむじを曲げたセーナーヴィーが、キヤンテ人の女奴隷に命じてターバンを取り、髪を結い直させるのをラウサガシュは待った。

 仕上がりは上々だった。左右に編み込みを入れ、後ろは下すといった清楚な髪形で、再び自分の前に立ったセーナーヴィーをラウサガシュは満足げに眺めやった。


「悪くないな。着ているのは男の服だが、そうしていると淑やかに見える。なかなかの折衷案だろう?」

「案に不服はありませんが、こうすることになった経緯は大いに不満です」

「そう言うな。女物でも着られるように首飾りでもあつらえてやろう。セーナーヴィー、宝石は何が好きか? お前に一番映るのは、瞳に合わせてやはり瑠璃かな? 金剛石や真珠もいいかもしれないな」

「贈り物でごまかされはしませんよ、あなた、自制してくださるつもりはないというわけですね?」

「守る気のない約束はせん。さあ、行くぞ」

 


*****



「国王陛下、女王陛下の、おなーりー」

 朝議の開始は、国王が着席をしたその瞬間からである。新婚ほやほやの国王が、また何やらひと悶着があった様子の女王を連れて、遅刻気味に現れたからとてそれは変わらない。


 男ばかりの家来どもは、紅一点となる女王の登壇を好奇心いっぱいで待っていた。昨日の今日であるので、セーナーヴィーの男の衣服に女の頭髪という一風変わった服飾は、驚き以上に新鮮さを感じさせるものだった。

 既に顔見知りとなっている者たちも含め、朝議の成員一人一人に自己紹介を受けてから、ラウサガシュに挨拶を促されたセーナーヴィーは一同を見渡した。


「まずはこうして朝議の場に、私がいることに慣れて欲しい。次いでこの議場の内外で、皆に質問を投げ掛けることを許して欲しい。

 タリクタムより嫁してきたばかりの私が、右も左もわからぬキヤンテで、できることなどたかが知れている。しかし縁あって、第二の祖国となったこの国で、いつまでも客人のようにしていたいとは思わない。一日も早く虎睡宮に馴染み、一つでも多くを成せるように、どうか皆の助力を乞いたい。

 キヤンテには既に、決断し、行動できる王がおいでになる。ゆえに私は、思慮深い女王でありたいと思う。王のお考えの幅を広げ、短慮軽率をなさった時にはお諫めすることができるように」


 所信表明を終えたセーナーヴィーがゆっくりと瞬きをすると、静聴していた家来どもの間から自ずと拍手と歓声が沸き上がった。

 うら若い女王の、謙虚で前向きなその姿勢は、彼らにとって歓迎すべきものだった。


「嬉しそうですね、陛下」

「そりゃな」

 側付きの宦官に囁かれ、ラウサガシュは相好を崩した。

 言葉の中でセーナーヴィーはラウサガシュを立ててくれた。決断し、行動できる王――と。


 それはおそらく、彼女の中にある、キヤンテ国王ラウサガシュの評でもあるのだろう。短慮軽率をやらかすとも思われていそうだが、セーナーヴィーから滲み出る聡明さも相まって、ラウサガシュを得意がらせるに足る演説だった。


「朝廷に新風が吹き込まれ、キヤンテはよりよい国となろう。期待しているぞセーナーヴィー」

「はい」


 気負いなく見えるセーナーヴィーだが、微かに頬を紅潮させていた。冷静沈着な彼女の内に秘められた昂りを、ラウサガシュは好ましく受け止めた。

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