1-2
「下がってよろしゅうございますか?」
「ああ」
ラウサガシュが掛ける言葉を見つけられずにいるうちに、セーナーヴィーはシヤナーハの了承を得ると、ラウサガシュに向けて再度一礼し、もといた配置へと戻って行った。
何事もなかったかのように、妹が巻軸と竹筆を取り直すのを見届けて、シヤナーハは苦虫を噛み潰したような面持ちで、それを眺めるラウサガシュを振り返った。
「のうラウサガシュ、キヤンテ王よ。乳の肉付きなどという、側室で補えるようなものはさておいて、誠に共闘できる連れ合いを望むなら、真剣に我らとの二重結婚を考慮してみんか?
我にはほれ、この通り、いつ
そしてだな、ラウサガシュ、これは我からの要請なのだが、おぬしには、先王の第二王妃が残した異母弟が一人おったろう?」
こちらが王妹をもらうとするならば、あちらへもまたそれ相応の身分の者をやらねばならない。シヤナーハの要請は、彼女の提言する二重結婚の、条件として至当のものであるといえるだろう。
しかしラウサガシュには、若い男を海中へ引きずり込もうとしている人魚の如き顔つきで、それを求めるシヤナーハの心根が真っ当であるとは思えなかった。セーナーヴィーの動向も気になるが、今はそれどころではなさそうだ。
「……アズカヤルはまだ、
「それがどうした。通過儀礼を済ませれば、すぐにでも成人となろう」
「十三だぞ、おい!」
平然と返された言葉に、ラウサガシュは間髪入れず突っ込んでしまった。
急激に肝が冷えると同時に、肩脱ぎし、大きな孔雀の団扇を振って、血色のいい頬をさらに紅潮させながら、シヤナーハに奉仕している十やそこらの少年奴隷にあらぬ嫌疑をかけてしまう。
「そうだ、十三、だろう? 通過儀礼を受けさせる年齢に、十分達しているではないか。知っているぞ、ラウサガシュ。おぬし、通過儀礼の狩りで一番槍をつけ、弱冠十二歳にして虎殺しの勇者になったそうだな?」
「ちっ」
ラウサガシュの口から、王にあるまじき舌打ちが漏れた。勇猛で鳴らす自身の逸話を、こんな形で持ち出されるとは思わなかった。
ラウサガシュの苛立ちに構わず、シヤナーハは爛々と瞳を輝かせ、さらに大きく身を乗り出してくる。
「キヤンテ王子の通過儀礼は、確か虎狩りの経験を得ることでよかったはず。アヤ、アズ、アカ、ア……名は何といったかおぬしの弟に、おぬしのような派手な手柄は求めんよ。むしろ身体に傷など付けられては困るから、おぬしら
雄々しい虎殺しの勇者様が、よもや狩りに、弟を連れて行ってやれぬとは言わんよなあ?」
自身が成人した年を越えても、ラウサガシュが弟を童形に留めてきたのは、蝶よ花よと育てさせてきた、感受性豊かな弟が、極端なまでに血を見ることを恐れるからだ。
だからといっていつまでも甘やかしてはおれないと、ラウサガシュとて気を揉んでいたところだが。
「アズカヤル、な。
弟を虎狩りに連れ出して、成人させてやるのはいい。俺が后を同位の女王とするように、お前が王配を同位の王に就けると約束してくれるなら、悪くない相談だとも思う。
しかしだな、それこそ、他国の王配となる心得なんぞ微塵もない状態で、すぐさま婿に出すというのはどうなんだ……!? 俺は確かに十二で成人したが、二十四の今まで独身だ!」
「それはおぬしの勝手だろうが。身を固めておらんのをいいことに、数多の女を食い散らかしてきたくせに。まっさらでいるというならそれも結構。万事我の望むがままに、一から教えていけるではないか。己がすれっからしの花婿にしかなれんからといって弟に妬くな」
シヤナーハの開き直った物言いに、ラウサガシュは額を押さえ、はーと大きな溜息をついた。
アズカヤルは、ラウサガシュの初恋の
ラウサガシュとしては、年相応の従弟辺りで手を打たせる気持ちでいたのだが、シヤナーハは頭から、この美貌と名高い弟に狙いを定めていたのだろう。軽い気持ちでしてみた求婚であったのに、これではとんだ藪蛇だ。
「タリクタムの人喰い人魚は、少年嗜好か……。この俺の男の色香になびかんわけだ……」
「人聞きが悪い。おぬしとセーナーヴィーの開きと大して変わらん。それに、我とて昨年大台に乗ったばかりなのだ、七つ八つの年の差ぐらいどうということはないだろう」
「あと十年ばかし経ったらな!」
ラウサガシュは唾棄するようにそう言った。その台詞を受けて、シヤナーハはそれまでの前のめりの姿勢をやめ、声色を変えた。
「十年――。十年も待たされてしまうなら、この話は無しだな。タリクタムが結ぶ相手は、何もキヤンテでなくてもいい。そうだな、恥を知らない求婚で、キヤンテ王の腹の内が割れたことだし、カーリーヤナの中流にあり、こちらとあちらでキヤンテを挟み撃てる、ダッシジャ辺りが妥当かな……。
惜しいのう、ラウサガシュ。今ここで、この二重結婚を承知しておけば、キヤンテに危機を呼び込むこともなく、アズ何とかやセーナーヴィーを経由して、タリクタムが自分から、おぬしのもとへ転がり込んでくることもあり得るのに。さあどうする? ラウサガシュ」
万一のことを臭わせるわりには、くたばりそうな気配が一欠けらもない、狡猾なシヤナーハにさあさあさあと煽られて、ラウサガシュは相手が望む一つしかない返答へ、誘導されてしまったことを悟った。
「ぐっ……!」
自身の迂闊さを呪いながら、それを一体どう感じているのかとセーナーヴィーに目を向ければ、黙々と書記の職務に戻っていた彼女は、筆を休めることもなく他人事のようにこう述べた。
「どうぞご勝手に」
その刹那、ラウサガシュの中で何かが切れた。威勢よく立ち上がったラウサガシュは、その勢いのままずんずんとセーナーヴィーに近づくと、彼女の前から文机ごと筆記用具を蹴り退かした。
「なっ……!?」
まごつくセーナーヴィーのおとがいを掴み上げ、ラウサガシュは噛みつくように口づけた。呼吸を忘れた無垢な唇は柔らかく、飛び散った墨の臭いに混じって、茉莉花の芳しい香りがラウサガシュの鼻腔を刺激した。
「きゃー! 姫様ー!」
「わー!! 何てことするんですか、陛下の猛獣ー!!」
女たちの悲鳴と、男たちの動転した叫びが満ちる中、ラウサガシュは呆然自失となったセーナーヴィーを己の胸に伏せさせると、ぎろりとシヤナーハをねめつけた。
「してやるよ、結婚!! お前の妹は、今見せた通り俺がもらった! それからタリクタムの人喰い人魚に、人身御供にやる弟の名はアズカヤル! ア、ズ、カ、ヤ、ル、だ! 呼び間違えることのないように、しっかりはっきり覚えとけ!」
「ああ」
シヤナーハは動じることもなく嫣然と微笑した。
後に、歴史の大きな転機となったこの日の二王会談は、『タリクタム=キヤンテ求婚会談』と史書に記されることになる。
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