3-7
籐椅子からセーナーヴィーを抱き上げた時、初夜よりも軽くなったかもしれないとラウサガシュは思った。あの日と違って今宵の彼女は、眠り込んで脱力しているにもかかわらず。
セーナーヴィーを寝台に寝かせた後、ラウサガシュもまた寝衣を脱いでそれに上がった。
「ん……」
それまで何をしても目覚めなかったセーナーヴィーだが、ラウサガシュの重みに沈んだ寝台の揺らぎに、あえかな声を漏らして、おもむろに薄目を開けた。
「ああ起こしてしまったか」
身体を横にしながら、ラウサガシュは自分と彼女の上に夜具を引き上げているところであった。起き抜けの目をセーナーヴィーは、ラウサガシュの裸の胸板に留めた。
「ええ……。なにゆえもう脱いでいらっしゃるんです?」
「習慣だ」
「そうですか……」
億劫そうにセーナーヴィーは、上がりきっていなかった瞼を下ろした。反対に少しだけ口を開ける。
それは眠り直そうとしているのではなく、ラウサガシュを受け入れるため、身体を開いた合図だった。常ならばすぐに唇を重ね、寝衣に手を掛けてゆくラウサガシュだが、今夜ばかりはそんな気になれず、その髪を優しく撫で付けた。
「セーナ」
呼び掛けても、返事はない。懇願するようにラウサガシュは、その頬を手のひらで包み込み、額を寄せてもう一度呼んだ。
「セーナ」
「何です? ちゃんと起きておりますよ。致すのでしょう? どうぞお好きになさってください」
「そうじゃない」
ラウサガシュは脇机に置いておいた一本の巻軸を、取り上げてセーナーヴィーの腕に当てた。セーナーヴィーは再び瞳を開けてそれを見た。
「ああ……、ご覧になったのですか。その娘がお気に召されましたか?」
「こんなもの見たところで、誰が誰だかわからん」
「そういうお方でしたね、あなた」
巻軸の正体は、ラウサガシュの側室候補者の身上書だった。上は小国の王女から、下は今セーナーヴィーにかしずいている虎眠宮の女奴隷まで、様々な階級の美女の中から選り抜いた。
「俺と寝るのは、辛いか?」
苦い気持ちでラウサガシュは、しかし言葉を濁すことなくそう尋ねた。セーナーヴィーは、探るようにラウサガシュを見つめた後で、遠慮なく本音を漏らした。
「そうですね、今の調子では。あなたのような猛獣のお相手は……」
猛獣という語に、彼女の恨み言が凝縮されているようで、まるで気付けなかった自分の鈍感さに、ラウサガシュは腹が立ってきた。
ラウサガシュはセーナーヴィーを娶るまで、一人の女と連続して同床したことがなかった。そうしてまた女奴隷は、王と床を共にする一夜に賭けて、喜んで寵を受けるものであり、自分の意のままにする営みが、どれほど相手を消耗させるかということを理解していなかった。
「こんなものを集めさせるほど、思い詰めてしまう前に何故直接俺に言わん? お前を弱らせてしまうくらいなら我慢もした」
巻軸を床に転がして、ラウサガシュはセーナーヴィーを抱き寄せた。セーナーヴィーはラウサガシュの腕枕に大人しく納まった。
「夜毎申し上げておりましたが」
「俺にはさっぱり覚えがないが?」
「ええ、そうでしょうね。もう駄目だから駄目と訴えていますのに、駄目というのはもっとだろうと謎の理論を振りかざして、あなた聞く耳を持ってはくださらなかったでしょう?」
目から鱗が落ちる回答だった。ラウサガシュは、ならばとそこからさらに張り切ってきたわけで――。
「そういうものじゃないのか?」
「他者のことは存じません」
「悪かった、妬くな」
「妬いているわけではありません」
「そうだな、お前は、俺に側室をあてがおうとするくらいだものな……」
ラウサガシュは自嘲した。結婚からこの方、睦み合いたく願っているのは自分ばかりで、かような形で突っ撥ねられてしまうくらい、一方通行もいいところだ。
だからこそ悔しくて、
「側室を持たずとも、抑えてくださるというのなら、別に持っていただかなくとも構わぬのです。いたらいたで管理をする手間が増えることですし、そのような提案をしたことを、いつか悔いるかも知れませんし」
「悔いる?」
「ええ。あなたの求めに全て応じるのは正直きついのです。けれど私は、目覚めればあなたが隣にいることに、すっかり慣れてしまいました。他の誰かとそれを分け合うのは、ひょっとして、とても寂しいことかもしれないと」
「は――、それは俺を好きだと言っているのか?」
「あなたこそ、言わせたいんですか?」
「そうだと言ったら?」
セーナーヴィーをさらに引き寄せて、その半身を自らの胸の上に乗せ上げてから、硬い眼差しで見下ろしてくる彼女の頬に唇に、ラウサガシュは指先を触れさせた。
「そうだと言ったら、何と答えてくれる? セーナ」
「まだ早い、と、お答え申し上げます」
「まだ、か。望みは持たせてくれるらしい」
さらさらしたセーナーヴィーの緑なす黒髪に、冷たく肌をさすられながら、ラウサガシュは喉から手が出るほどにその心を欲した。恋焦がれるとは、おそらく、こういう気持ちをいうのだろう。
「好きだ」
「……ええ」
「俺はお前が好きだぞ、セーナ」
「そうですか」
「ゆえに側室などいらん。お前に好いてもらえる日が待ち遠しい」
衝動的な告白を終えてラウサガシュは、セーナーヴィーの顔周りの髪を梳き、食い付きたくなるのに耐えながら喉元を愛撫した。そこから離れようとしたラウサガシュの手の上に、思いがけなくセーナーヴィーの手が添えられた。
「王であるあなたのことは、昔から尊敬しております。タリクタムで宦官を真似、品定めをさせていただいていた頃から。夫であるあなたには、尽きる愛想もないと思っていましたのに、情というものは、不思議に湧いてしまうものですね……、ラウサ」
囁き声でそう呼んでくれながら、セーナーヴィーは目元を緩めた。それは彼女が初めてラウサガシュに寄せてくれた、甘さを含んだ感情だった。
「セーナ……!」
今日は致さずにいようとしていたラウサガシュだが、これにて辛抱ならなくなった。身体の上下を入れ替え口づけてしまえば、あっという間に理性は飛んだ。
*****
夜が明けても、セーナーヴィーはラウサガシュの腕の中にいた。手を付けられない猛獣と化してしまったラウサガシュが、一晩中離さずにいたのだから、当然といえば当然だ。
綺麗な寝顔に見惚れているとやがて睫毛が震えた。ああ起きた――と笑みを浮かべた次の瞬間に、ラウサガシュはセーナーヴィーにくるりと背中を向けられていた。
「セーナ」
「あなたという方は、申し上げたそばから……!」
不用意に情など見せてしまったばっかりに、貪り尽くされたセーナーヴィーは朝一番から不機嫌だ。きまり悪く思いながらもラウサガシュは、懲りずに彼女を後ろ抱きにした。
「火が付いてしまえば男は止まらん、諦めろ。そういうわけだから
「とても信用なりませんから、零とお決めになられた日には、そもそもお渡りいただかなくて結構です。それからあなたの十は私の十二、下手をすれば昨夜のように、二十、三十に至るのだということもお忘れなく」
ぴしゃりと釘を刺してそう言われ、すべすべとした大腿に、ついつい伸ばしていた手をぺしりとはたかれる。しょげながらラウサガシュは、セーナーヴィーの芳しい首筋に、不埒な鼻先を擦り付けた。
「つれないな。啼かされている間は可愛いのに」
「そんな覚えはありません」
「そうか。意識と一緒に記憶も飛ばしたか」
「は?」
セーナーヴィーの声が剣呑になった。表情の乏しい彼女には珍しく、眉間に皺まで寄せている。
それでもこうして、振り向いてくれたことが嬉しいのだから、我ながら重症だなとラウサガシュは思う。
「冗談だ。しかしお前は本当に自分を知らないな。昨夜もたまらなく
「だからもっとじゃありません!」
負から始めたキヤンテの結婚。三歩進んで二歩下がる日は続く。
傍から見れば破れ鍋に綴じ蓋の二人だが、相思相愛への道のりは、果てしなく遠いようである。
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