第6話(1)夢見ぬ本部

 激烈な眠気が襲ってくるが、あと二時間、昼休みまではなんとか耐え抜きたい。

 古西はあくびを噛み殺すと、気持ちを引き締めるべく自らの頬を軽く叩いた。

 眠たさの原因は一昨日の深夜に遡る。本搬送開始前の試験搬送をしなければならなかったからだ。試験などというと聞こえは良いが、内容は事件を起こした会社の社員だからという理由で選ばれた被害者を人柱とした、これで運んで良いはずだと実験するものだった。囚われたプレイヤーは一万人弱おり、試験をしないことはありえなかった。家族の同意を取ったティタン社CTOを運び、時間をあけて、さらに追加で数人を運び出す。電源やネットは再接続されたのか、本当にそれで大丈夫なのか、特に一人目などは待つだけでヒリヒリするような状況があったが無事に終えた。そして、覚悟を決めて「本搬送を予定通り実施する」と会見したときには、夜が明けようとしていた。

 仮眠を取る暇はなかった。捜査本部の情報共有が朝一番に入っていたからだ。一課の内情を知るためにも欠席はできないし、ぼんやりと過ごしてもいけない。共有の資料をざっと作るなどの準備をこなす。共有では、真っ先に搬送について報告した後は、険しい目つきで眠気に耐えてメモを取った。

 それを終えると、隣の建物だが警察庁へとんぼ返りし、本搬送の進捗を確認しつつトラブル、といってもマスコミが喜びそうなものではなく情報伝達周りぐらいのものだが、そのマニュアル追加を進め、それが落ち着くと翌日つまり今日実施となる地区での搬送先・搬送経路・実施時間帯の検討をし、合間合間に定期的な進捗状況についての会見をした。

 そんな忙しさであり、仮眠室に入ったのは、日付がゆうに変わってからであった。とはいえ、そこから熟睡というわけにはいかなかった。今朝も捜査本部の情報共有会が朝から入っていた。

 眠気は体に残っている。目尻を少し長く押さえる。少しだけ頭が冴えた感じが戻ってきた。


 ほんの一時間ほど前の捜査本部の出来事、事件発生から三日目、二回目の全体への共有が頭に蘇る。

 搬送班である自分は、と言ってもここに参加するのは一人だけだが、大きなトラブルがなかったこと、多数の被害者がいる一都四県を除いた地域の搬送が既に終わったこと、それでも半数超がまだ残っているので粛々と今日も運ぶこと、それらを淡々と手短に報告した。捜査本部の中では搬送班はあくまで添え物と認識される一方、その立ち位置で振る舞う方が良いと古西は理解していた。案の定、質問はなく、以降、部屋に溶け込むように聞き手に徹した。

 捜査一課に設置された救出班は、昨日に引き続き、大本のサーバの奪還とプレイヤーのコネクトキットの解体、と言ってもほとんどの作業をそれぞれの開発会社にやらせているようだが、その二つのアプローチを進めていた。ただ、今日時点では古西の予想通りどちらも難航していた。

 サーバ、といってもいわゆるサービスで使われているクラウドではなく、ティタン社地下五階に設置されたメインフレームだが、その物理的なコンソールすらもアクセスは拒絶され、わかっている全ての管理権限はどれも利用できないことが判明していた。サーバ関連でアクセスできるのは通信経路のログと、稼働も内容も保証できないが外部クラウドサービスに吐き出されているアプリケーションログだけだ。「打てる手は多くありません」と担当者は苦し紛れか言っているが、その打てる手というのは電源なりネットワークなりのケーブルを引っこ抜くというものだろう。テロリズムに屈しないと政治判断が下されでもしたら実施されるのかもしれないが、常識的に考えて検討の俎上にすら上げることもできず、今できることは何もないというのが古西の見立てだった。

 コネクトキットもサーバと同程度にセキュリティは強固であった。故に外部からログアウトコマンドを送り込むことは難しく、物理的な解体が可能かを検討し始めたとのことだった。ただ、それも現在判明している共有事項を踏まえると無理ではないかと古西は感じた。

 科捜研の技官の話を思い出す。「こちらを御覧ください」と前方のスライドに表示された機械の白黒のレントゲン写真。証拠品として回収した死亡したプレイヤーが使っていた機器に、非破壊調査のため取り急ぎX線を当てたものだ。レーザーポインターの赤い点で指しながら、これはコンデンサ、これはバッテリーと示し、うっすら見える表記を読み上げられる。そこから計算式を述べて、「予想される最大出力は二百キロワット。一秒かからずに脳のタンパク質を変成させます」と説明がされた。

 このときがこの会でもっとも重い空気だっただろう。

 実際に殺害されており、機器にそのような機構があるのはわかっていた。だが、それでも何か助け出す方法があるのではないかと、多くは希望というか願望を持っていた。例えばもし殺すのに十秒、いや数秒あるのなら、高速に外せる方法、例えば自由落下を使った者だとかを考えただろう。だが、わずか一秒で脳死の遺体に変えられるという状況だ。根本的に機械を止めなければどうしようもない。しかし、それをどうやるかは、どのようなハードルを越えねば良いのかすらわからなかった。それがこの空気を生み出していた。


 一方で気を吐いていたのは捜査班だった。縄張り争いに負けたとはいえ、搬送作業から解放されたというのは一課には良かったようで、今日も初動捜査がいかに重要で現在の進捗がいかに順調かという自慢から報告が始まった。

 初日つまり昨日月曜日の時点で、北浜容疑者が事件発生日である日曜日午前八時頃に東京駅に現れた後、午前九時には高崎駅にて下車したことが判明していた。その早さは可能だとわかっていたが古西も驚いた。大都市圏の各駅および各地の新幹線駅、それに空港に設置された防犯カメラ。それらをオンライン化して、即座に任意の人物を探し出せる自動顔認識記録調査機、通称Fシステムの力だ。オリンピック時に整備されたこのシステムはプライバシーの問題が取り沙汰されていたが、結局、与党多数の国会で法案は通過し、設置運用されていた。

「高崎周辺の映像を持ってこさせれば、すぐに行き先はわかりますよ」と担当した刑事は自信ありげにそう言って、さらに「もし、北浜が都内、もしくは大阪、名古屋、京都、そういうオンラインの監視カメラが多く設置されているところにいれば、もう逮捕できていたかもしれなかったですけどね。そこは残念ですが、まあ時間の問題です」と軽口を叩く余裕まで見せた。「映像の回収はどうするのか」という質問には「幸い広域指定事件ですからね。既に群馬県警には周辺のデータ回収の指示は出しました」とその幸いの状況を作った新宮への感謝などは出さずに彼は答えた。

 今日はそれで上がってきたデータがいかに多数あるか、累計何時間分あるのかはメモに取りそびれたが、オンライン化されていない駅・繁華街・金融機関・コンビニ・駐車場などの防犯カメラの映像他、Nシステムで写り込んでいる運転者・同乗者の動画含めてかき集めており、現在、駅の近くから順にFシステムの顔認識に投入して探しているとの報告がされた。

「明日には良ければ居場所、悪くても次の行き先とその先の映像の請求ができているはずですよ」と昨日もしゃべっていた刑事、確か警察庁から警視庁へ出向中のキャリアだ、が得意げに語った。補足するように彼の部下が「タクシー、バス、レンタカー各社にも容疑者が乗っていないかの確認を進めており、また、この地域に身を寄せそうな関係者がいないかの洗い出しを進めています」と言った。


 救出の方は成果が出ていないが大方予想通りだ。捜査一課だからではない。サイバー課がやっても初動は同じようなものだ。むしろ、人数の分、一課でやっている今の方が進みが大きいかもしれない。結局、できそうになくても、できるまでやるしかないようなタスクだ。それを踏まえると最初のスタートダッシュに躓かないためにも、搬送後にサイバー課が入るタイミングできちんと挙有して貰わないとな、と古西は思う。

 まあ、その交渉をどうするかはまた後で考える。それよりも気になったのは捜査の進捗だ。順調というよりも楽観的だと思えるような感じに進んでいるからだ。

 いわゆる操作のやり方を、古西ははっきりと知っているわけではなかった。せいぜい情報をコツコツ集めて、ピラミッドを作るかのように積み上げていくようなイメージを漠然と持っているぐらいだ。普通の事件で犯人を捜すのであれば、それしかないだろう。

 だが、既に犯人が名乗っているような劇場型犯罪だ。本当にそのやり方で正しいのか、と少し思っていた。もちろん、真犯人は違う可能性がある。ただ、それでもこの犯人を名乗っている北浜を捕まえないと話は進まないだろう。なので、ひとまず彼が犯人だと考える。

 すると一つ疑問が浮かぶ。

 なぜ、彼は日本にいるのか、だ。もちろん、海上ルートであれば国外へ脱出できるだろう。だが、事件発生数時間前に群馬県にいるぐらいであれば、まだ国内にいるはずだ。

 そもそも今回の事件はオンラインで起こっている。それに凶悪事件であり、公訴時効は停止する。つまり、国内にいる必要は全くない。

 だが、彼は国内に潜伏することを選んだ。

 もしかするとこれはピラミッドの頂上から、すなわち、彼が何のために事件を起こそうとするのか、そこから逆に考えた方がいいのではないか。そう古西は漠然と考え始めていた。ただ、具体的にどの結論を出せば良いのかはわからなかった。だからだ。捜査本部の今のやり方でたどり着く先に北浜がいるイメージを見いだせていなかった。


 少し考え込むとまぶたが重たくなってくる。

 徹夜から回復するのには睡眠時間が足りていないのが明らかだった。

 幸いなのは今日は二日目ということだ。搬送を回すための仕組みは昨日で一通りの完成を見た。もう自分の脳がうまく働いていなくてもなんとなっており、現にそれはうまく回っていた。内部からのトラブル報告は少ないし、外部から監視するマスコミも、昨日の搬送開始直後こそ細かな質問が多かったが、既に定例で行う進捗報告の会見はテレビ各局と大手新聞社各社が一人ずつ、発表あるのだから一応という具合に人を送り込んでいるだけで、質疑応答はほとんどなかった。

 おそらく、今夜九時に予定されている搬送終了の会見は一番人が集まり質問も出るだろう。事件解決後のことを考えるのは楽観的だという意見もあるが、今自分がやることはトラブル時の緊急対応以外はない。ならば、ぼんやりと眠気と戦って税金泥棒と言われるよりは将来の原稿に頭を使う方がいいだろう。

 昼休みに仮眠を取る。それまでは頑張る。

 それが死亡フラグという単純なものではないと思うのだが、そう決めた直後に部屋に駆け込む人影があった。新宮の部下で対策本部付の佐伯だ。彼は叫んだ。

「環七で事故です!」

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