第5話(1)生者の走馬灯
目が覚めた。
カーテンの遮光性は低く、部屋は明るくなっていた。ベッドから手を伸ばしてスマホを掴む。向きが変わったことを検知した機械は、顔の前ですっと時刻を表示した。
11月07日 月 11:02
有給を取り消して出社してやるなんて意気込んでいたが、結局、そんなことはなかった。普通に寝ていた。それもそのはずだ。一ヶ月ぶりのちょっと長い休みをふいにしようなんてどうかしていた。それに休みを取り直そうという決意もCIOのためだ。そのCIOがあんな状況になってしまっては、事件が解決しないことには次の休みの予定も立てれない。なら休んだほうがいい。
時計ついでに、谷中は前面下部のセンサーを親指で触れた。指紋認識され、ロックが解除される。出社しろという留守電やメールの類いは来ていなかった。安否を気遣う連絡は同僚の宮井の他は、親からの『あんたテレビで言っている機械買ったりしてないよね』という買えていたら返信のしようがないものだけだった。
結局、寝たのは日付が変わってからだった。
なぜそんなに遅くなったのか、とぼんやりする頭で思い出そうにも、ずっとテレビを見ていた記憶しかない。厳密にずっと見ていたかと言うとそうでもない。半日ほどテレビがつけっぱなしであったというのが正確なところだ。それでも、多分、人生でもっともテレビを見ていた一日かもしれない。
CIOがサービスインしたのが十三時。そこから三十分ほどで事件が起こり、十四時半の会見が始まる前にテレビを付けた。その警視庁の会見を見て、病院からの中継、赤十字の会見、官房長官の会見、警視庁の搬送についての会見、各地での被害の報道、搬送を引き継いだ警察庁による方針の発表、CIO一色に染まった特別体制のニュース、搬送計画についての発表、運営会社の会見、とこれらを見ながら、ネットを見ていたら、翌日となっていた。
十時間の間、思い直すと割とテレビを見ていた。不思議ではない。もしかすると今回の事件、一番盛り上がっていたのはテレビだった気もするからだ。
例えば、よくある事件や災害の決定的瞬間は、偶然にも撮れたごく僅かなものだけだ。希少価値があるゆえ、Tooterなんかにアップロードされようものなら、たちまち、テレビの報道関連アカウントが『突然のご連絡失礼いたします』から始まり、動画に関して話がしたいので、相互フォローとなりDMできないかという定型文を送りつけてまわり、それに対して『ダメです』、『自分たちで取材しましょう』と無関係な他のアカウントが返信するという見苦しい状況を作っていた。
だが、今回はそういうことが少なかった。ないわけではなかったが、谷中からはそう見えていた。その理由はなんとなく説明できる。
一つはこの事件に決定的瞬間がなかったことだ。あるといえばあるのだが、救急車が来て運ばれていくのは、少し地味で、そして何より一人のプレイヤーの死を意味していた。それは最初の何時間かまでは視聴者提供映像と称して使われていたが、夕方頃から一切流されなくなった。テレビ局の自粛だった。自分が子供の時、アメリカで起こった旅客機を使ったテロ攻撃、その飛行機がビルに突入する瞬間が衝撃的な映像として繰り返し流されていたのが、大分経って自粛されるようになった時代を思い出せば、大きな変化だった。
その決断はネットにも影響を与えた。これらの映像がテレビにでないとわかってから、手堅いRT稼ぎなのかパクりトゥートとしてたびたび動画はタイムラインを賑わせるようになった。それに『人が亡くなっているのにどうも思わないんですか』『テレビが自粛しているんですよ』と返信がついていたが、『救急車程度、衝撃映像でも何でもない』『マスコミが隠す真実を流しているだけ』と反論がついて燃えていた。谷中は事件直後に自分がしたRTを取り消そうかと少し思った。だが、黙って取り消すのは何か違うし、かと言って理由を述べて全部消すのもこの話題自体に油を注ぎたいわけではない。結局、何もしなかった。
それはとにかくテレビのことだ。わかりやすいその瞬間はないものを、彼らはどう報じたのか。それがもう一つの理由、一万人ものプレイヤーにあった。この大人数、それも東京圏に固まっているとなると、少なくないマスコミ関係者、本人であったり家族であったりが含まれていた。するとネットで醜い情報収集をせずともリアルな取材ができた。ネットの後追いでなければ、彼らはまだまだ相応のクオリティを出せる。あのMHKも夜のニュース、特別報道体制は夕方ぐらいに解かれていたが普段よりも長時間の放送だった、そこで『被害に遭った職員』と顔をぼかして事件の現状を伝え、どのようなことが起こっているのかを丁寧に解説していた。
そのような対応はどの局もやっていた。自社の関係者と思わしきプレイヤーを中心に取材を深めたものを報じていた。していなかったのは病院前からの中継で終わらせたテレビ東都ぐらいだろう。基本的に自社社員のプレイヤーを使って細かく報道がなされる中、衝撃的を通り越したヤバさがあったのがサクラテレビだった。彼らは数時間でもっとも有名なCIOプレイヤーを生み出ししまった。
本名“田渕和幸”。
番組では“田渕AD”と呼ばれる彼が有名となったのは、サクラテレビが社内の混乱を全て映像に残しており、そして、その光景を放映したからだ。事件発生直後に『今日休みの社員の安否を確認しろ! 独身で有給のやつを優先だ』と声がする中、紙に印刷された番号にひたすら電話をしていく。連絡が取れない社員がいると、『家、見に行きます!』とテレビカメラも一緒に移動する。それで発見されたサクラテレビ唯一のプレイヤーが彼だった。
今起こっているVR機器の事件に巻き込まれている可能性があるので確認したいと大家に部屋を開けてもらうと、リクライニングチェアに座って頭に機器を取り付け、意識が向こう側にあった彼がいた。そこから情報窓口への連絡、警察がやってきて状況の確認、一緒に来た医師による点滴の設置、そういう状況を全て生中継したのだ。無論、その後のニュースでもそれを何度も流して、警察に通報するとどうなるのか、その不安感を払拭するような資料映像として機能させていた。
ただ、ネットはそれを別のおもちゃに変えていた。
チャイムの連打音をメインに「田渕ー田渕ー返事しろー」と言って扉が叩かれる映像、大家に名乗りもせずに事情説明をしたのか「あなたたち一体何なんですか」とすごく迷惑そうに受け答えされる声(ここの「一体」の部分が過剰にループされる加工がされていた)が入る、謎のリミックスがワクワク動画で地味な再生数を集めていた。
警察がやってきてから「危ないので触らないでください」と怒られて、「ご家族の方への連絡は?」「まだ、してません」「しなさいよ」とさらに怒られるのが流れたのは生放送の一度だけだが、切り出されて『サクラクズすぎワロタ』とTooterで多数のRTを集めていた。
さらには『なんでここまでコイツら掘り起こせるの?』とTooterに書かれて広められていた匿名掲示板Bchの書き込みで、特定班と呼ばれる匿名の検索の得意な人間が、田渕のTooterのアカウントを発見しており、『一ヶ月ぶりのCIO楽しみすぎる』という昨日十二時五十八分の発言が最後となったアカウントのフォロワーを増やすのに貢献していた。
そんなこともあってか、“田渕AD”はTooterのトレンド入り、一躍現実における有名なCIOプレイヤーの一人となっていた。
そんな行き過ぎた暴走はあったが、それすらも些細なことだと思うことになった大きな要因は、運営会社であるティタンの会見であった。
始まったのが夜の二十三時。事件発生から九時間以上経っていて、遅いのではないかとネットには書き込まれていたが、数年前に仮想通貨取引所が起こした仮想通貨流出事件よりは早いと書かれ、あれよりはマシだと信じていたのにとさらに書かれていた。
そう思われるのも不思議ではない。ティタンはユーザー重視で成長してきた会社だ。何か大きな混乱があったのだろう、そう思いながら見た会見は、社長、副社長、財務担当者、人事担当者、法務担当者と経営陣が上から順にずらりと並んでいた。全員役員クラスであり壮観ではあったが、技術者は誰もいない。ネットには『ティタンの技術系役員は二人。ただし、最高技術責任者はゲームの中。役員待遇のフェローのディレクターは全国に指名手配。こうなるわな……』と書かれていた。となると残っている技術系社員が出ればいいものだが、実務メインの人たちでことごとく警察なり救出なりに回されて、会見に出る人がいないのではないか、と予想がなされ、『もしかするとユーザーサポート関連の社員、ゲーム内だとか警察協力で会見にまで手が回らないのかもな。広報担当もいないし』と推論が流れる。
そういう点で出席者の紹介がなされる中、横目に見たネット情報で不安を少し感じた。
会見はその予感を裏切らない、いや、悪い意味で上回るものだった。
最初に社長が「弊社執行役員フェロー、北浜博明がこのような事件を起こしたことに深くお詫び申し上げます」と言って、五人全員、頭を長々と下げた。だが、そこから「警察には協力している」「我々が情報を出すことは、事件へ影響があるので控えたい」「すべて北浜容疑者個人によるもので、企業として関与していない」と滔々と述べるだけだった。『ティタンの会見が、親方日の丸の警察会見より微妙なんですがこれは』というTooterの感想には頷くしかない。
情報らしい情報が出ないまま、質疑応答が始まるも、ことごとく「お答えできません」「把握しておりません」「公表は差し控えさせていただきます」という三種類の回答しかせず、これなら答えれるだろと言わんばかりの民事サイドの賠償についての質問は「北浜容疑者への訴訟は検討している」という温度差のある受け答えをしていた。怪しくなる会見の雲行きに『これティタンがヤベえだろ』という書き込みには完全に同意した。
無論、彼らの立場がわからないわけではない。北浜の行動が予測不能だったというのはわかる。全部が北浜の責任としようとするのは、企業としてわからなくもない。だが、それらの回答で描き出されるのは真摯な対応をする企業像ではなく、自分たちも被害者と適切ではない正論を振り回す人間たちだった。
記者たちの質問が徐々に厳しくなってくる。情報は出さずに乗り切ろうという魂胆に対して、ならば何なら答えられるのかという感じに質問のレベルが落とされていくのが見ている谷中にもわかった。
そして、致命的な回答がなされた。
事件の発生が予測できたのかという問答だった。「ログアウトが不可能になることは全くもって想像できませんでした」と副社長が言い、社長も「私も同感であります」と答える。「ですが、VRの中で、バーチャルなメニューが出なくなるというのは、想像ぐらいはできないものでしょうか?」と再質問される。社長がマイクに向かって「私は一度もコネクトキットですか、こちらを使ったことがないのですが――」と言い始めた。
『これはアカン』
『なぜこいつが社長』
『無限に燃えるぞ』
『ティタンもうこれダメだ』
『会見最悪すぎる』
Tooterは一気に流れ、会見会場でも社長の発言は遮られ、「そんなものよく売っていたな」と罵声が飛んだが、コントロールされている会場であったからか、すぐにざわめきは収まった。「大変人気が出たため、プレイヤーの皆様が遊ばれるのが優先しておりました」と言い訳のようなコメントがされて、質問の回答自体はうやむやになった。
だからか、次の質問のレベルは相当に下げられた。
「皆様のコネクトキットの利用経験についてお答えお願い致します」
使っていないクソな社長は除いて、ひどい回答だったのが副社長だ。世界遺産の探検みたいなものを数十分という経験を言って、「それを初めてやってどう思われましたか?」という質問に、流れからVRが危険と思ったことはなく安全でした、と言うのかと思いきや、「体験したのはカッパドキアに行くというもので、このとき会われた方に大変親切にしていただきました。お礼が言いたくて、先日休暇をいただき、現地に伺ったのですが、その方には会うことができず、一期一会を感じた次第です」と感慨深く述べたのだ。
意味がわからなかったし、会場にも疑問符が浮かんでいた。
『え? これもしかして、VRが現実のテレポートだと思ってんじゃねえの?』
この書き込みを見て、谷中はああと気づく。
正解だった。
会場もその勘違いに気づき、記者から呆れ笑いの声が漏れていた。
『ティタン、こんなにクソなら北浜が見放したのわかる』
そんな書き込みがあったが、谷中はそうは思わなかった。彼が何を思ってこの事件を起こしたのか、それはわからなかったが、少なくとも会社への復讐みたいなことが理由だとは思えなかった。
彼は何か理由があって事件を起こそうと思っていた。そして、こういう環境だったからこそ、ここまでうまく事件を起こせた。そう感じた。
Tooterには今日の三行まとめと称したトゥートが流れてくる。
「北浜がデスゲーム始めた
警察すごく頑張っている
ティタンの経営陣がクソ」
完全にその通りだ、とRTする。
直後に「お時間となりましたので、このあたりで終了させていただきます」とテレビから声がした。会見は一時間ぴったりの十二時ちょうどとなっていた。想像以上に早い終了だ。そそくさと立ち上がる経営陣に「逃げんのか」と記者が言うのを聞いた。それを無視して、ガードマンが囲う出口へ向かい、番組は報道センターへ切り替わる。
谷中はそこからネットのまとめとかを覗いたが、この会見を最後に今日はもう新情報的なものは出てこなさそうだった。
そこで寝た。
それにしても、こんなに遅くに起きたのは久しぶりだった。
一月近い連勤の間は八時前に出社する前提の起床で、一昨日土曜日は前日からの徹夜、日曜日は早くには寝たがダメ元家電量販店巡りで早起きし、そこから日付が変わるまで起きていた。それでグッスリというのはあるが、よく今日まで体が持ったなと自分でも思う。
一度だけ伸びをすると、早速、ニュースを見ようする。が、リモコンが見当たらない。キョロキョロしているうちに空腹を感じ始めた。ベッドから抜け出し、冷蔵庫の中を開ける。
何もない。
知っていた。この一ヶ月、家で何か食べた記憶はない。あるはずがない。
テレビよりは食事だ。コンビニで適当に買ってくるか、と雑に着替えて、外に出た。
自分の家からもっとも近いコンビニは、駅前にある緑と青が店舗カラーのファミモことファミリーモールだ。
徒歩八分。
てくてくと歩くが風景に慣れない感じがした。この時間帯、それも平日に家の近くを歩くのは一年ぶりぐらいだからだろう。風がよれた長袖シャツの首元に吹き込む。いつもスーツで気づいていなかったが、もうこんなに寒いのかと気づいた。
やっぱり温かいものでも食おうかな、と思うが、どっちにせよ駅前まで何もない。
気持ち少し駆け足で移動する。
といっても、目の前の片側三車線の大通りである環七を横切ったりはできない。この辺りで横断できる場所は歩道橋だけだ。
そんな歩道橋が見える場所まで来たが、何か横断幕が張ってあるのが見える。昨日、成果ゼロで帰ってきたときには何もなかったはずだ。少し歩くと文字が読めた。
「11月8日(火)10~12時 緊急車両優先のため車線規制」
昨日の警察の会見で言っていたやつだ、と谷中はすぐに理解した。
今日は月曜だから明日か。
そう。もし、あと五分早く帰ることにしていたら、自分は無事退社できて、どのくらいの期間かよくわからないぐらい長時間並んでいる行列を追い越して、優先購入券を使って買うことができて、そして、今頃、抜け出すことのできないゲーム世界の中にいたはずだった。
ベータテストを経験し、それなりには遊べていた自分が一日持たずに死ぬことはないだろう。自殺することも、三十四連勤した自分がするとは思わない。むしろ、ゲーム内で「やった! 会社行かなくて済む!」と違う方向に振り切れるかもしれない。それはそれでみっともないが。
そんな仮定の状況だが、そうであれば、今日も丸一日ベッドで寝ていて、そして、明日、ここを走る救急車に乗せられることになっていたのだろう。
古西はぼんやりとそんなことを思った。
そうであったら、なんと良かったのだろう、と。
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