第5話(3)歩道橋とスマートフォン
午後に入ると世界は事件の関心を徐々に小さくして日常へと戻ろうとしていた。
それもそうだ。自分はこの事件の一部始終を見てやるだなんて意気込んではいたが、簡単にアクセスできるメジャーなメディアは、ほどほどに混乱する道路状況とそこを行き交う救急車の順調な様子といった状況に飽きつつあった。
特別体制を敷いていたテレビ東都以外の民放も、L字ワイプを残しつつもドラマの再放送を流し始めたり、情報番組を続けていても芸能情報を伝えるようになってきていた。MHKだけは現在の搬送状況をリアルタイムに流し続けており、時折、上部のテロップで、連続テレビ小説の再放送など、予定されていた通常放送が中止されていることを伝えた。
ネットは事件を話題にしていたがループ物の世界に迷い込んだかのようだった。淡々と搬送が進んでいるという公式発表の転載、自分の近所でも搬送が始まったという代わり映えのしない実況、今までのできごとの外野からの感想。そのくらいだ。感想は多少多様性があったが、それでも目立っているのはどうしようもない道路渋滞への愚痴が非国民的だと言わんばかりにRTされていて、画一的な認知を強めようとしていた。
新しい情報と言えるのは、せいぜい、“田渕AD”という被害者をあのように扱うのは如何なものかという苦情に、今後はあのような放送をしないよう注意致します、とサクラテレビが発表したことぐらいだ。ネットでは、当然だとか、常識だとか、時代だとか、賛同する意見が大勢を占めていたが、正直なところ、あれこそ今の状況であり、搬送も救急車に乗っている光景を流して欲しいと思っている人間もかなりいるように思えた。
そんな状況であり、収集できる情報に新鮮味がなくなっていて、谷中も気づけばパソコンのゲームを始めていた。ただ、コネクトキットの圧倒的なリアリティを知ってしまった心は物足りなさをずっと訴えており、それがすべての判断を鈍らせて、オンラインのチャットで『まじめにプレイしろや』と文句を書き込まれる始末だった。
結局、午後からはダラダラと過ごしていた。夜になって再びニュースを確認すると、本日の搬送計画は予定通り終了し、半分弱のおよそ四千人のプレイヤーが体育館などに搬送された、と報じられていた。
予定通りにすべてが流れている。それが良いことではあるとは理解していた。
それ以上を気にかけないように、早めに寝床に入った。
*
翌朝。
普段の出勤よりは遅いが、休日にしては早起きぐらいの時間には起きていた。
流れでテレビの電源を入れ、買っておいた菓子パンの袋を開ける。
テレビはもう通常の編成だ。当然、CIO事件が筆頭ニュースであり、その中でもリアルタイムに起こっている、今日で終わるが、二日目の搬送がメインだ。とはいえ、搬送自体にはもうそこまでスポットは当たっていない。救急車が走る映像を資料的に流した後、それによる交通規制での混乱の状況が細かく取り上げられていた。
アナウンサーが今日交通規制の入る道路を読み上げながら、大きな地図で強調された線を指さす。それが終わったら、交通事情に詳しい専門家によるコメントがなされる。自分は休みであるが、仕事があったところで元々オフィスで頭抱えるのが仕事だ。営業車を走らせるような仕事の人は大変そうだ、とニュースを聞いて思う。
だが、それ以上にこうやって、徐々に日常に戻っていくのだと感じる。自分も明日から仕事だ。
日常に戻る。それを考えると、今日も一日中ずっとテレビを見ているのは精神に良くないだろう。ネットもそうだ。とはいえ、何かやろうという気力は、CIOを買えず、今後遊ぶこともできないというショックで失われていた。
「環七でも見に行くか」
谷中は呟いた。if世界の自分が移動するであろうルート、それを見に行くぐらいのことならできそうだ、と思った。
昨日よりは防寒した格好で外に出る。
家から出て数分。環状七号線との合流地点は、見るからに昨日よりも車の往来が多かった。それはそうだ。昨日よりも一時間半早い。朝はもっと渋滞しており、それが空きつつあるというのが現状だ。
車線規制は十時からだが、既に準備のために数台の警察車両が停まっており、警察の人が準備を始めているようだった。
谷中は眺めやすい場所を求めて、歩道橋に上がった。同じような考えの暇人は他にもおり、既に数人の野次馬が警察官の作業光景を見下ろしていた。
上から眺めるとまっすぐな通りではあるが、すぐ先に陸橋があり、それより遠くは見えなかった。二車線である陸橋部分をどうするのだろうと思っていたが、そこは使わずに側道が二車線となるので一番端をすべて専用道にするようだった。
なるほど、片側を救急車両の専用道にするのではなく、片側三車線のそれぞれ一車線だけを専用扱いにするのか、と理解する。都内でも通行量の多い道路だ。流量とか色々考えてそうなったんだろうな、と何の答えにもなっていない結論で一人納得した。
道路の端にはカラーコーンが置かれ、通りの一部を占有する体制を整えつつあった。
ハザードを焚きながら、のろのろと白と黒のワンボックスカーが自分の足下、つまり、歩道橋の下をくぐり抜けて視界に入ってくる。その後部には電光掲示板が搭載され、『10~12時車線規制』とアピールしていた。
谷中はぼんやりと思う。もしかするとこれが、CIOが自分の見える現実に存在する最後の瞬間なのかもしれない。
ゆえに思ったのだ。ムービーでも撮るか、と。
ネットに上げようとは積極的には思っていなかったが、自分のアカウントの今までのトゥートには少なくとも通勤に使っている路線の名称は入っているし、ちょっと読めば最寄り駅ぐらいはどの辺かわかる。今更、環七の映像をアップロードしたところで大したことはない。
だったら、上げても良い感じに撮るべきだ。
歩道橋の欄干が邪魔にならないよう、また、ブレもそんなに起きないよう、そういう姿勢をとって、結構な早さで車が通り抜けていく中、反射材のついたベストを着た警察官が時折無線で何か連絡を取りながら、準備を進めていくところを映像に収めていく。
これ何分撮るべきか、と何分か経ってから気づく。
せめて救急車が行き交うまでは納めたい。容量のある限り頑張ってみるか、と思う。
そんな考えはぼんやりとしている中、行われていた。
だから、その瞬間を谷中は認知するのが遅れた。
陸橋の対向車線、橋の向こうから不意に現れたワンボックスカーは速かった。
些細なスピードオーバーであったが、少しハンドルの角度が急すぎたのがまずかった。
対向車線を分離する小さい段差を乗り越え、銀色の車体は空中をふわりと飛んだ。
そして、それはちょうど今から陸橋を登ろうかとしていた白い軽自動車にほぼ正面から突っ込んだ。
破壊音がした時には前面が原型をとどめない二台の車両が路上に転がって煙を吐いていた。百メートルほど前方で起こった出来事に谷中は驚きの声を上げこそしたが、スマホをきちんを向けたままだった。
谷中には見えていなかったことが、スマホには残されていた。事故から数十メートルのところにいた交通警察官、その人はそこに駆け寄ろうと左右を見たが、慌てて歩道の方に逃げる姿を捉えていた。
「これ、やべーぞ」
事故のすぐ直後、意味のある言葉を谷中は吐いたがこれはスマホに記録されなかった。
甲高い大きな音。
ちょうど足下で、アルミニウムの箱形の荷台を持つ運転台が黒いトラックがその音を立てて、谷中の声をかき消した。
目の前で起こった事故で陸橋が塞がれていた。それに突っ込まないために、ブレーキを掛け、そして、脇の側道に入ろうと急ハンドルを切っていた。
普段であれば、その操作で事故を避けれただろう。
だが、今日は車線規制のため、その準備のために警察の事故処理車両が車線を狭めるように一時停止状態にあった。
左に警察車両、右に事故車両。
その隙間を縫えるか、その判断を迫られた運転手に大型トラックは適切な動きをしなかった。
スマホを持ったままの谷中の真正面で、トラックは横転した。走行時の移動エネルギーはそのまま横滑りへ使われ、車体はオレンジ色のポールをなぎ倒しながら陸橋外壁へと突き進んだ。
その瞬間は目をつぶっていて、谷中は見ていない。
直後に大きな音がした。
ただ、その様子はすべて谷中のスマホは捉えていた。
鋼城事件被害者搬送の車線規制実施、その十五分前。
東京都道三一八号環状七号線で黒い煙が三筋が立ち上っていた。
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