第1話(2)初期ロット完売
家庭用VRゲーム機の歴史はまだ浅い。元年と呼ばれるのが六年前。その年の初頭にヘッドマウントディスプレイによるVR機器が次々登場したのが始まりだ。当時は視覚・聴覚のみであったが、それでも大きなインパクトがあった。少し前に3D映画の放映で映画全体の総売上がグッと伸びたように、家庭用ゲーム機の売上もこれらのVR機器によって引き上げられた。
そんなブームから、毎年進歩があった。重量は軽くなり、映像や音楽は高繊細になっていく。けれども、そのVR技術が最新モデルに継承されたかと問われるとそうではない。今話題の最新機のベースとなっているのは、VR元年から二年後の学会で発表された神経電気接続方式を使ったものだ。発表時は設営されたフロア全体が埋まるほどの機械であったが、それから四年。急速に小型化し、量産に至り、昨年末、大手電子機器メーカー東立電機からコネクトキットという名称でヘッドギアサイズのそれは発売された。
そんな世界初の家庭用神経電気接続方式VR機器であるコネクトキット。だが、発売直後の評判は芳しくなかった。技術的な凄さは多くの人々が認め、体験レポートでの評価も高い。ただ、肝心のコンテンツの出来が散々だった。というのも、ファーストパーティーがメーカーであるがゆえ、発売時に出せたソフトは世界遺産観光などの体験ソフトとゲーム性は低めの一人用スポーツソフトだけだ。従来のゲーム機とはまるで違うフォーマット。他のVR機器と比べると遥かに高価で普及が読めない。サードパーティーにあたるゲーム会社にとって、そんなものに参入するのは博打の色が濃すぎた。
ポテンシャルは高い。しかし、これが売れることはない。ゲーム機大手が出す後継のVR機器に期待だ。そういう評価で固まろうとしていたときだった。
一人の奇才がその状況を変えた。
北浜博明。高校在学中にゲームデザイナーとして資産を築き、大学時代の研究で神経電気接続方式を創りあげた男。自分の技術が使われたコネクトキット発表時から半年間、沈黙を守っていた彼は、この機器で動く仮想現実大規模多人数オンラインロールプレイングゲーム、後にVRMMOと呼ばれるジャンルのゲームが開発中であり、十一月からのサービス開始を予定している、と突然発表したのだ。
それがキャッスル・オブ・アイアン・オンライン、略称CIOの始まりの日であった。
とはいえ、ほとんどの人は半信半疑であった。その時は動くものは公開されなかったからだ。それでも、彼の経歴から、まともなゲームが出るかもしれないという希望が方々で語られ始めた。八月、クローズド・ベータの抽選が実施されると希望は期待に変わった。そして九月、ベータをプレイした人々が現れると期待は熱狂となった。
ベータテスターの一人が言った。「このゲームこそ、俺たちが望んでいたものだ」と。
谷中も、そのベータを引き当てていた。
熱狂を確信するのは初日で十分だった。「これは絶対に買いだ」とネットに書き込んだ。ベータテスターには優先購入権が与えられている。もし無ければ、そうは書かずに自分が購入するためのネガキャンをしていたかもしれない。そんな出来栄えだった。
多くのテスターが最高と褒め称え、その賞賛はネット経由で光の速度で広まった。“CIOベータテスター”とプロフィールに書いてあるだけで、情報を求める人々によって、短文投稿サービスTooterのフォロワーが激増したぐらいだ。そんな興奮の中、ベータテストのサービスは先月終了し、予定通り十一月に正式サービスが開始することが告知された。
それからだ。正式版購入競争が始まったのは。
事前のネット発売は基本的にパンク状態。優先購入権を行使しようにもまともに繋がらず、発売元すらベータテスターへの優先列を設ける実店舗での購入を推奨したぐらいであった。高額商品で供給数が少ないことから、昔のゲームカセットや人気のスニーカーにあったような、買った直後にカツアゲされるという事件も危惧されていた。というのも、CIOはオンラインゲームであるにも関わらずダウンロード販売がなかったからだ。その理由に、あまりの容量のため、光回線でもダウンロードに三ヶ月掛かるからパッケージ販売せざるを得ない、というまことしやかな噂が流れたぐらいだ。ただ、懸念された強奪は起きなかった。買える店舗は家電量販店であり、大半がネット通販対抗のために無料配送サービスをしており、多くの購入者はそれを利用し、現物を持ち帰る人はほとんどいなかったからだ。代わりに配達員が盗むという事件が発生したが、そちらはすぐに捕まっていた。
とにかくだ。ベータテスターであっても実店舗に、無論、優先列に並ぶために、つまりは開店時に行かねばならなかった。
だが、事前発売が開始されたこのひと月、谷中はそのタイミングを合わせることができなかった。さすがに今週末は休みだろう、そう思い続けているうちに“三十四連勤”していた。もちろん、昼休みなどチャンスがあれば、ネット販売にもチャレンジした。だけども、一度か二度、カートに入れれたかどうかというぐらいで、ほとんどがエラーで繋がらず、更新したときには完売表示がされている有様だった。
そう、谷中はサービス開始前日になってもソフトを手に入れることができていなかった。
遅刻・欠勤覚悟で買いに行けば良かった。そんな虚しい後悔を深夜の社内でしていた。
「悪いな。始発で帰るよ」
「わかった。部長にはうまく言っとく」
宮井の言葉にちょっとホッとする。思い返せば、この時点でタクシーでもなんでも良いから、速攻帰れば良かったのだ。最悪なことに自分にも就職してからの三年で社畜精神が染み込んでいた。律儀に朝まではしっかり仕事をしようと、手を止めることはやめなかった。
徹夜の作業。クソ上司がいない。不眠不休であっても、それが理由で業務が捗る。故に気づいたときには、ブラインドから真っ赤な光が差し込んでいた。
「谷中、もう始発出てるぞ」
宮井に突然言われてハッとする。投げ出したくはなかったが、残りの面子でも、あと二時間もあれば終わるはずだ。好意にあやかるしかない。
「すまねえけど、頼むわ」
「貸しだからな」
そう返した宮井は疲れの中から最高の笑顔を見せた。チラッと立てた親指が目に入り、クソ上司に洗脳された先輩に見つからないようにコソコソと帰る準備を始めた時だった。
ガチャリと扉が開く音がする。自然と顔が上がった。
絶望。
いつもは八時半に出社する上司が始発で来た。
「おい、日吉! 資料できたか?」
挨拶もなしに奴は怒鳴る。
「申し訳ございません! あと三時間ほど掛かります!」
先輩のノータイムなその回答を聞いたクソ上司の顔がすぐに険しくなる。
「お前ら、朝ってのは何時だと思っているんだ?! 今が朝じゃなかったら、いつが朝なんだ? あ?」
一体、どう答えればいいのか。誰も答えられないまま、答えられないことをクソがなじる。それに遭遇してからバックレることができるほど、谷中は図太くはなかった。ただ無の境地で、早く説教を終え、仕事に戻らせてくれ、と願うだけだった。刻一刻と迫る量販店の開店時間。終わらない業務、というか怒鳴り声。
結局、完了したのは昼過ぎだった。
半分ぐらいの遅れは部長という肩書のサイコパスによる妨害な気がしなくもない。が、殴り倒したい気持ちはグッとこらえた。今は一分一秒でも早く退勤することが重要だ。
クソ上司の「受領した」という言葉の三分後には会社を出て、CIOを発売すると宣言していた最寄りの量販店に駆け込んだ。しかし、既に列はなく、『完売いたしました。次回入荷は未定です』という張り紙を見るだけだった。店員からは昨日の閉店時にできた行列で数は終わり、受け渡しは五分と掛らなかったと聞かされた。
それでも、まだ取り扱っている、つまり仕入れ分を時差販売する店はないかとスマホで調べる。店に物さえあれば、野蛮ながら、ルール上は優先購入券を使い入手ができるはずであった。だが、現実は非情であり、『初期ロット完売』という知りたくない情報しか見つけられなかった。再入荷までは一週間という噂付きで。
帰ってからも諦めきれず、ネットオークションなど考えられるところは全て見て回った。けれども、怪しげな、おそらく空箱だけの、転売ぐらいしか見つけることができなかった。
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