第1話(3)ワク生実況

 翌日、十一月六日、日曜日。CIOサービスイン五分前の十二時五十五分。

 谷中はぐったりとした表情で練馬のアパートのドアを開けた。

 今日は販売はないと噂されていたが、一縷の望みをかけて店を巡っていた。しかし、いくつも回ったが、どこもダメ。「本日、キャッスル・オブ・アイアン・オンラインの販売はありません! 列は作らないでください!」という店員のアナウンスを寒空の下、聞きに行っただけだった。

 靴を脱いで、大きくため息をつき、乾いた笑いを漏らした。優先購入権を持つベータテスターにも関わらず、当日までに入手できなかった自分はおそらくとても稀有な存在だろう。

 とりあえず、明日明後日の有給は取り消しで出社してやる。代わりに来週、いや再来週に休暇を取る。一方的に取る。まずは来週末と噂される再入荷、そこで絶対に買ってやる。

 とはいえ、そんな決意が今すぐ何かの行動に繋がるわけではなかった。時間を潰す別のアテはなく、パソコンを起動し、ネットを見始める。Tooterのタイムラインには『もういつでもログインできる!』『あと二分!!!』というつぶやきが並んでいた。巨大匿名掲示板BちゃんねるのVR板の『【CIO・塩】キャッスル・オブ・アイアン・オンライン Part 1053【購入者は勝ち組】』というスレッドも開く。『全裸待機』『プレイヤー一万人御一行ログインまであと一分』などと書き込まれている。

 やるせなさが増していくがネットを見ないという選択肢はなかった。ログインはできなくとも、サービスが始まったときの空気には触れていたい。そういう思いが谷中にはあった。

 開始一分前。フォロワーたちが次々とログイン直前の発言をして、タイムラインは一気に流れていく。

『キャッスル・オブ・アイアン・オンラインはじめる!』

『一時間したら自慢しに戻るわ^^』

『じゃあ、異世界、行ってくるぜ!!!』

『正式版ログインしますまる』

『めっちゃ緊張してきた』

『美少女になってくる!』

『テンション(☝ ՞ਊ ՞)☝アゲアゲ コネクトイン』

『アイアン・キングダム攻略開始!!』

『今からCIOる』

 サービス開始後三十秒。フォローしていた元ベータテスターで発言する人は誰もいなくなっていた。


 CIOは口コミに対して従来のゲームと真逆のアプローチを取ったと言える。今までのゲームは、ソーシャル連携のような機能を備え、リアルタイムなプレイ配信もサポートし、広めやすさを追求していた。だが、CIOにはそんなものはない。ネットゲームであるにも関わらず、ログインした先ではネットは使えず、映像を外に出す方法はなかった。

 一応、アイテムとしてカメラを入手すれば、ログアウト後に静止画は取り出せはした。なので、冒険レポートのような記事は書くことはできた。逆にそういう記事の形でしか広めることはできなかった。故に普通にネットが使える旧来のゲームより拡散速度は遅い、はずだった。

 現実はそうはならなかった。

 世界で唯一のVRMMORPG、そのユニークさが集める圧倒的な注目度は伊達ではなく、書かれた記事は尋常ではない早さで広まった。この世で誰も見たことがないリアル。突如として現れた人類未踏のフロンティア。そのように見られたことも拡散の原因なのかもしれない。

 そうして、ベータ時代から今日に至るまでの熱狂が作られていた。だから――

「つらい」

 谷中は呟いた。

 正直なところ、自分はゲームをどうしてもしたいというタイプではない。観戦でも割と満足できる方だ。もし、CIOも実況プレイがあったなら、それで我慢できたはずだ。だけども、そういうものはない。それ故の独り言だ。

 せめて、他人のレポートが読めれば、無論、あとでもっと後悔するかもしれないが、今の傷心の自分を慰められる。そう思っており、谷中はサービス開始後の最速レポートを待っていた。

 Tooterのタイムラインが更新される。

 購入できなかった者たちの呪詛の言葉が並んでいた。『買えた奴、死ね。確実に買えたベータテスター、惨めに死ね』という発言に少し嫌な気分になる。

 谷中は財布から間に合わなかった優先購入券を取り出した。スマホがカメラアプリのシャッター音を鳴らす。ディスプレイにはパソコンの画面に表示された現在時刻を背景に、シリアル番号を指で隠した優先購入券が映し出されていた。

 スマホをなぞる親指の動きが文章を作る。

『あれれ? このベータテスター、今日はCIOにログインしないのかな???』

 その文面と写真をTooterに上げた瞬間、次々と反応が飛んできた。

『クッソワロタwwwww マジで?www』

『買ったとか言ってないと思ったらw』

『ベータテスターさんチーッスwwww』

 タイムラインはこういう空気感の方がいい。RT数が増えていく中、『え? 通販組だよね?』と質問が来る。『ネットで買えたら良かったんだけどな……仕事が……人間はなぜ……』と返す。事実、自分のアカウントは二ヶ月前は毎日CIOの話をしていた。だが、三十日前の『土日出社確定した』という発言から、毎日『出勤』『退勤』と書き込むだけのインターネットタイムカード打刻機となっていた。

 RT数は更に増え、通知が止まらない中、『はいはい通販組乙』『釣りかな』みたいな返信も目に入る。ベータテスト時にも何度か自分のつぶやきが広まったことがあった。そのときもこういう反応は散々見た。相手にはしない。

 ベータテスターは千人いれど、そういう大マヌケは一人しかいないようで、ずっとRTが通知される。通知欄が無駄に埋まるスマホ画面を見て、少し気が楽になった。

 また、一つ、つぶやきに返信がつく。

『βでログインしたら行けたりしてな』

 それを見て、『ねーよw……まさかな』と返し、谷中はいそいそと準備し始めた。


       *


『無理でした』

 引用付きでそう書き込んで、谷中は大きなため息をついた。不可能と思っていたが淡く期待もしていたからだ。素直に体験レポート探しに徹しよう、とタイムラインに戻る。

 サービス開始から既に二十五分ほど経っていた。もう呪詛は一巡して、『塩の人たち、誰も発言しなくて裏山……』みたいなつぶやきが目立っていた。

 タイムライン外を探そうと「CIO」でTooter内を検索する。

『【悲報】CIOベータテスター正式版購入失敗www』

『CIO優先購入券使いそびれた奴wwwww』

『CIO買えなかったベータテスター、TooterでRT乞食』

 もうアフィリエイトブログが無許可にまとめ、拡散に努めているのが目に入る。速攻で自分のアカウントの名前を『ねこけん』から『広告クリックお願いします@ねこけん』に変えた。

 アップした優先購入券の写真が違うアイコンから次々流れてくるのも見える。発言と画像がパクられて、次から次へと購入できなかったベータテスターが現れていた。そんな状況に小さく笑いを浮かべた。


 ふと、一つのつぶやきが目に留まる。

『見てる:【ワク生視聴中】ヲタ学生三人がCIOを交代プレイする実況』

 CIOの実況は不可能なはずだ。つまりは“釣り”だろうか。だが、スクロールを止めた時点で行動は決まっていた。谷中はリンクをクリックした。

 新しいタブで開かれたワクワク生放送は、画面上にコメントが流れる機能が特徴の、一般のユーザによるライブストリーミングサービスだ。

 黒い映像表示領域で受信中と言わんばかりにいくつかのドットで作られたインジケーターがくるくる回る。数瞬待たされ、圧縮ノイズが多少混じった映像が表示された。

 殺風景な部屋のテーブルの前に三人の男が並ぶのが映る。真ん中の男は太めで赤っぽいチェック柄の長袖を着ており、コネクトキットをつけ、寝ているかのように椅子にもたれかかっていた。それを挟んで左右に白いシャツに青いカーディガンの男と黒い部屋着の男が座る。

『というわけで、アークスさんのプレイ終了まであと三分となりました』と青い服のちょっと太めの眼鏡の男が喋る。

『あー、はい、そうですね』と返すのは黒一色の痩せた眼鏡の男。

 二人共しっかりヘッドマイクをしており、明瞭に男の声が二人分流れてくる。

『えー? さっきまでのいつものテンションどこやったの?』

『いや、だって次、ハト氏でしょ。自分、まだあと三十分先だからね?』

『大丈夫、大丈夫。だって、アークスさんがCIOの話してくれるから、ディスケンさん、余裕でしょ』

『それ、どう考えても、自分、辛いやつやん』

 実況放送ができないことを逆手に取ったトーク放送で、谷中は苦笑いする。プレイヤーが女性だったり、イケメンであったりではない。そういったコンテンツであった。

 オタク大学生のトークを聞いてもなぁと思う。が、あと三分経てば一人目がログアウトし、最速のプレイレポートになることに気がついた。なるほど、どうりでこの数の視聴者がいるのか、と谷中は一人で納得する。

 正式版がどのくらいベータテストと同じかなど、気になっていることはいくつかあった。いつ作ったかわからないアカウントがログイン済みであり、コメント欄が使える。自分が書いた『初見』というコメントが白文字で流れる中、画面の中の人間が即座に反応した。

『コメント、初見、ありがとうございます』

『ありがとうございます』

 コメントが読み上げられる放送だ。質問はしやすい。

『えー、この放送は、アークスさんが買えたCIOをみんなで交代で遊ぼうという、まあ、そういう放送です』

『ちなみにウェットティッシュは、ボトルでありまーす』

 “ディスケンさん”と呼ばれていた黒い服の男は、除菌ウェットティッシュ百枚入りと書かれたボトルをカメラに近づけた。谷中は小さく笑い声を漏らす。確かに人が被ったコネクトキットをそのまま被る気にはなれない。

『さて、あと一分ですかね』

 そう言ったのは、次にプレイする青いカーディガンの“ハト氏”で、彼は置時計をカメラへ向けた。

 13:29:03

 13:29:04

 13:29:05

 デジタル表示が時を刻む。二人はトークを続けてはいたが、時間の方が気になっているようだった。そして――

『はい、五秒前、四』

 カウントダウンが始まる。

『三、二、一、ゼロ』

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