第1話(4)ログアウト
真ん中でコネクトキットを被る男がログアウトする気配はなかった。
『えー、マイナス一、マイナス二、マイナス三』
最後にプレイすることになっていた“ディスケンさん”が投げやりにカウントダウンを続けた。
『いやいや、そのカウントいらないから』
『じゃあ、ハト氏、どうします?』
『予定通り電源切りましょうか』
『はいな』
“ディスケンさん”は早速、プレイ中の“アークスさん”の裏に回る。
『あ、待って』と“ハト氏”が体を揺らしながら立ち上がり、『ちょっと、BGMを』と言いながら、カメラ、多分ノートパソコン本体だ、に近づいた。ちょいデブの眼鏡のオタクの顔がドアップになる。
BGM、というかアニメの本編らしき音が始まった。即座に作品名がコメントで流れる。二十年以上前のものだが、谷中でも知っている少年少女が巨大ロボに搭乗する超有名SFアニメだ。
パキパキというおそらく敵の関節音、そして、攻撃を受けたであろう破壊音。
タイマー音が始まる。
『……ケーブル、断線』
『……内蔵電源に切り替わりました!』
『活動限界まであと四分五十三秒』
アニメのキャラクターの声が次々する。
『うーん。なんかやってみたけど、あんまり雰囲気でないね』と音声を流した本人である“ハト氏”が言った。
谷中は完全に同意した。
『長押しで電源落としたんだけど、これ、すぐにログアウトされないの?』
“ディスケンさん”はあまり相手にせずに作業を済ませたようだった。
『みたい……だねぇ』と“ハト氏”は身動きしない“アークスさん”を見ていた。
『“活動限界”まで待つ?』
『いや、待てないでしょ。外しましょう』
『何か外し方ある? 手順的な』
『無いでしょ。普通に引っ張るだけ』
『それだけ?』
『それだけでしょ。あご紐も止めてないしね』
そう言われて、『はいな』と“ディスケンさん”が両手で“アークスさん”が被っているコネクトキットに手を掛け、引っ張り始めた。
『これ、固いな』という声をヘッドマイクが拾う。
次の瞬間。
バシュッという音がして、『アイダァ!』と叫び声が上がった。
谷中は驚き、キャスター付きの椅子ごと少し後ろに下がった。
画面の中ではコネクトキットを取ろうとした“ディスケンさん”がうずくまっている。
『え? え?』と“ハト氏”の声が入った。太めの男が駆け寄る姿が映る。
『ヤバい。なんかビリっときた。腕、上がらない』
『え、大丈夫?』
『わからん。ちょっとなんかしびれた』
そんな二人の混乱した会話だったが、谷中はもう聞いていなかった。流れるコメントも、誰も言及していなかった。
映像の中央で謎の痙攣を起こしている“アークスさん”だけが注目されていた。
声にならない声を“アークスさん”が発しているのをマイクが拾った。
そこで二人はようやく彼に気づいた。
『え? アークスさん、大丈夫?』
“ハト氏”と“ディスケンさん”は立ち上がって、“アークスさん”を見た。彼はビクビク震えていた。
『これ、ヤバない?』とどちらかの声。
次の瞬間、“アークスさん”と呼ばれたプレイヤーの鼻から赤い液体がツーっと流れた。いや、鼻だけではない、コネクトキットで隠れてはいたが目と耳からも流れているようだった。
「え、え、え」
谷中は呆然と配信を見るしかできなかった。
コメントは『どうしたの』『うわー』『やばい』と混乱していた。
『これ、マジでヤバイ。ヤバイ。ヤバイ』と腕が全く持ち上がらない“ディスケンさん”が早口で言う。
『え? え? これ? ティッシュ? ウェットでも大丈夫?』と“ハト氏”はパニクる。
『いや、救急車だ、救急車』
『え? 俺が?』
『自分、腕動かないから』
『え、救急車ってどうすりゃいいの』
『スマホの電話アプリで119だ』
“ディスケンさん”が落ち着いて指示を出す中、気づけば“アークスさん”の赤と白のチェック柄のシャツは首周りが完全に赤くなっていた。“ハト氏”の電話の話し声が流れてくる。
『え、はい。救急です。えーっと、調布……あ』
“ハト氏”が急いでカメラの方に駆け寄ってきた。カメラの角度は一気に下に向き、暗くなる。ノートパソコンが閉じられたようだった。真っ暗な画面で固まり、少しして『この番組は終了しました』とダイアログが現れ、コメントの書き込みもできなくなった。
何が起こったかの理解が追いついていなかった。
谷中は自分が見たものを確かめるように、生放送のURLでTooterを検索する。多くはないがCIO関係の放送であったが故、少なくもない発言が引っかかる。どれも見始めたというトゥートだ。ということは、その人は番組を見ていたはずだ。谷中は発言者のページを次々開いていく。まだ時間を置いてないこともあり、その後の発言がない人が多い。だが、既に何人かは言及していた。
『見ていた生放送で事故があった』
『コネクトキットで感電っぽいんだけど、大丈夫だろうか』
『ワク生で事件があった気配が……』
『完全にヤバげなトラブルを見てしまった』
事件か事故かわからないが、間違いなく“何か”があった。一つのつぶやきに『ソースは?』とついているのが目に入る。既にURLを示して、『ここで流れていた。けど、タイムシフトはない』と返してあった。
わかりやすい“絵”がなかった故、“何か”があったようだという混乱だけが広まろうとしていた。
だが、すぐに諌めるかのような発言が流れてくる。
『コネクトキット発売から半年経って、CIOも二ヶ月テストしていて、昨日まで事故って聞いたことがない。それがサービス開始三十分で事故とかねぇ。悪質な“釣り”じゃないの?』
言いたいことはわかる。谷中自身、ベータテストでふた月ほぼ連日着用し、今日も数十分前にベータ版でログインしようと使ったが、コネクトキットでトラブルなんて一度も起こったことはなかった。だが、自分は彼らを見ていたのだ。あれがイタズラに思えなかった。
放送を見ていない者には真っ当な意見であり、つぶやきはRT数をリアルタイムに増やし拡散されていく。タイムラインの論調は引きずられるように変わっていった。
『サービス初日からこういう悪ノリやめてほしい』
『威力業務妨害では? 運営の足引っ張るな』
『日本で開発された新しい技術を叩く。これだからブサヨは』
そういう発言が次々流れ、事故を見たと言ったアカウントには『デマを広げるな』という返信が投げ込まれ始めていた。
谷中はなんと伝えようかと考えていた。そんな中、一つのRTが目に入った。
『コネクトキット装着した人が救急車で運ばれてったんだけど、サービス初日から大変だなぁ』
アイコンは旅行先で撮った本人らしきもの。プロフィールにはエンジニアで起業家で神奈川県在住と英語で書かれていた。実名でアカウントを運用している、そういうタイプの人の発言だ。
つぶやきの返信欄に続きがある。
『プレイヤー一万人いるんだっけ。そりゃ、一人ぐらい当日病気でも無理して遊んだりするだろうな』
病気、というのもさっきの放送で見たものとは違う気がした。ただ、どうも“何か”は全体で起こっているように思えた。
谷中はTooterに検索ワードを打ち込む。「コネクトキット」の検索結果はサービス開始初日であることもあって、洪水のような分量が流れ、ノイジーな情報しか掛らなかった。
少し考えて「救急車」、それに「搬送」に「担架」と事故に関連しそうなキーワードをORで繋げて入力する。
すぐに検索結果が出た。
『マンションに救急車来たけど、コネクト・キットつけている人運ばれていった』
『塩プレイヤーっぽい人、搬送されたっぽいんだけど、大丈夫かな』
『コネクトセット?だっけ被っている人、担架で運ばれている』
自分が見た“何か”は間違いなく起こっていた。
谷中はそういうつぶやきを次々RTして回る。
急激にタイムラインの空気が変わり始めた、感じがした。正しそうな認識の発言、それにいくつも触れているうち、誰しもさも始めからそう思っていたように振る舞うのだ。RTのポジティブフィードバックが始まった。
そんな皆の振る舞いによって、自分とは違うキーワードで見つけ出したであろう事故のつぶやきが流れてくる。いくつかは救急車が写り込んだ動画までついていた。
「一、二、三……、四……」と谷中は発言を数える。
既に十人ばかりがコネクトキット絡みで病院に搬送されていた。どういう状況だったかという話もタイムラインに流れてくる。何人かは顔に火傷ができていたらしい。外そうとした人も搬送されたともある。
『これ、やっぱりコネクトキットに欠陥があるんじゃないの?』
それが結局、もっとも“何か”に近かった。
すぐに、これを結論と決めつけた人たちが現れた。コネクトキットの開発メーカーである東立電機の公式Tooterアカウントに対して、不具合について説明するよう、つぶやきを送っていた。それがRTされて流れてくる。
谷中は顔をしかめた。欠陥と決めつけるような内容で、あまりに失礼な文面だったからだ。「それはちょっと違うだろ」と一人愚痴る。
ネット上はパニックにあった。『コンセントが抜けたけど感電したと聞いた』というトゥートが目に入る。
「おいおい……」
いくらなんでも言い掛かりに近い。電気もなしに感電するとか小学生でも言わないはずだ。案の定、『小学校の理科の勉強から、やり直したほうがいいですね』、『電源ケーブルとLANケーブル、間違えているのでは?』みたいな返信がついていた。
完全に情報が錯綜していた。
そんな中、巨大ロボSFアニメ、二十分前に偶然見たアレだ、の秘密組織を模倣したニュース速報アカウントの発言が流れてきた。
『【MHKニュース速報 13:55】VR機器不具合か 都内で18人搬送』
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