第4話(1)鋼城事件

 警察庁の入る中央合同庁舎第2号館は警視庁本部庁舎の隣にある。といっても地上を歩いて移動したりはしない。日曜であるが今日に限ってはマスコミが詰めかけていて一歩も動けないというのもあるが、普段からそこは通らない。無駄にセキュリティチェックに掛かるからだ。地下に設置された職員専用連絡道を利用し、喧噪を避ける。

 行き先の中央合同庁舎第2号館は合同ということもあって、警察庁だけではなく総務省消防庁、それに国交省の飛行機や鉄道、それに船の重大事故を取り扱う運輸安全委員会などが入っている。霞ヶ関の合同庁舎の中では、屋上に一際大きな鉄塔が設置されており、この建物が公安・防災関係の庁舎だと強調していた。

 警察庁はその中でも上層階を利用しており、地下からエレベーターで上がった古西は二十一階建てのビルの二十階、最上階は機械室で立ち入りができないので実質最上階、で降りた。

 新宮からの付箋で指定された会議室をノックしようとすると後ろから声を掛けられる。

「古西君かい?」

 振り向くと小柄で温和そうな少し髪が薄くなった男がいた。

「はい。えっと、下倉課長でいらっしゃいますか?」と面会相手の名を挙げる。

「ええ。下倉です。まあ、中へ」

 入るように促された。


 狭めの会議室で古西はそそくさと名刺を取り出し、自己紹介をする。相手も「警察庁生活安全局情報技術犯罪対策課長の下倉です」と名乗り、お互いに名刺を交わした。

「で、対策本部を警察庁に立てるという件だっけね」

 席に着くなり、下倉は口を開いた。

「はい」と答え、警視庁のサイバー課が搬送を担当することになったこと、分析を済ませたログから大規模な動員が必要となることを説明した。

 下倉はそれを頷きながら、あまり口を挟まずに耳を傾け、説明が終わると「今の警視庁でやるよりは、警察庁に移した方がいいだろうねえ……」とぼやき、「まぁ、これでやるしかないよねえ。なら、ここは変えておいた方がいいかな」と言って、彼はボールペンで「CIOプレイヤー搬送対策本部」の「プレイヤー搬送」の部分に二重線を引いて、上に「事件」と書き加えた。

「長官は絶対自分の修正を入れないとゴーサインを出さないからね。君も噂ぐらい聞いたことがあるだろ」

 その話は柏原から聞いたことがあった。

 日本の警察機構のトップ、日谷警察庁長官。刑事畑を主に歩み、難事件を数多く解決した。ただ、その手法は強要に近いとも聞き、取り調べの可視化に反対し続けているところからもうかがえた。しかし、冤罪は出なかったことから不祥事にはならず、ホシを作る男と呼ばれた彼の出世は早く、入庁年次を飛び越えて警察庁長官に就任した。近年は長くても二年で交代であったこのポストは四年目に突入。それを実現したのが人事への過剰な介入で、故に警視庁の今の連携のなさを作ったとも言われ、一部では「日谷天皇」とも呼ばれている。

 そんなことを思い出して、古西はあきれ気味に頷いた。

「細かい説明は君に頼むよ。内容はさっきのでいい」

「はい」

 そう返事をするとすぐに下倉は立ち上がった。慌てて自分も立ち上がり、部屋から出て行く男の後ろについて行く。

 下倉は廊下の奥へと進んでいった。そして、ひときわ豪華な扉、それが元からなのか付け替えられたのかはわからなかったが、それが目立つ部屋の前に来た。下倉がノックする。

「失礼します。緊急の要件があり伺いました」

 幾分待つと内側から秘書の女性が扉を開けた。「どうぞ」と促され、二人続けて中へ入った。

 全く違う部屋の雰囲気に古西は驚いた。深さのある深紅の絨毯に明らかに高そうな調度品、そのせいか部屋の香りまで違うように感じられた。そんな部屋で太陽を背に老人が座っていた。逆光で表情はよくわからなかったが、かすかに笑っているように見えた。

「生活安全局情報技術犯罪対策課の下倉です。現在、仮想現実ゲームで発生している事件の対策本部設置の必要があると考え、説明に参りました」

「うんうん」そう答えた老人が頷いたことはわかった。「説明はそこの彼かな?」

「はい。古西君、説明して差し上げろ」

 古西は先ほど下倉に説明したものと同じ内容を、より丁寧な言葉遣いで行った。老人はずっと笑みを絶やさないでいたように見えたが、それは興味が無いのか、本質を隠そうとしているのかはよくわからなかった。最後に「以上のことから、CIO事件対策本部を直ちに立ち上げるのが適切と思われます」と範囲を広めにした名前で締めくくった。

 説明を終えると、日谷は開口一番に言った。

「君たちの言い分はわかったよ」さらに笑みを強くしたように見えた。「でもね、そこにいる彼は対策本部が必要な事件じゃないって言っているんだよ」

 指された部屋の隅には、一人の男が立っていた。古西らと目が合うと、彼は「警視庁捜査一課の大岩だ」と名乗り、今回の事件は発生した規模こそ大きいが今後続けて別の事件が起こるとは考えにくく、指名手配された北浜を逮捕することが第一であり、そのためには警視庁捜査一課を中心とした捜査本部に情報を集約するのが重要だと述べた。

「どうしようかねえ」と日谷はとぼけたように言った。

 下倉が口を開いた。

「我々は搬送、彼らは捜査。となれば、バランス感覚の優れた日谷長官なら、うまい棲み分けを決められるのではないかと思います」

 それを聞いて老人は頷く。

「その範囲がわかりやすい、適切な対策本部名をいただければ、都合が良いのですがどうでしょうか」

「そうだねえ。事件というのは少し広いから、被害者」そう言って、チラッと部屋の隅を見たようだった。「被害者搬送ぐらいが良いだろうねえ」

 下倉の修正がドンピシャではまったのを、古西は顔には出さなかったが呆れ気味に聞いた。茶番、いや、天皇とあだ名されているなら上奏と言うべきものだ。だが、直後、もっとあきれるような発言がなされた。

「あと、ローマ字やカタカナが入るのは響きが悪いねえ。仮想現実機器も仮想現実遊戯もピンとこないしねえ」

 老人は本当にどうでもいい名前の部分に悩み始めた。古西はふつふつと腹が立ってきた。その時、突然話を振られた。

「君、さっき、会見に出ていた子だよね」

「あ、はい」

「事件の起こったゲーム、何て名前なのかね?」

 会見見ていたのにわかってねえのかよ、という怒りは押し殺す。

「キャッスル・オブ・アイアン・オンラインです」

「鉄の城……。鋼の城……。鋼城事件被害者搬送対策本部とか良いと思わないかい」

「はい、それでお願いいたします」と即答したのは下倉だった。

「奥の君もいいよね」

 捜査一課の男に向けられた問いかけだったが、実質的に同意の要求だった。

「じゃあ、対策本部はそれで頼むよ」そう言った日谷は立ち上がり、「森田君」と先ほどの秘書を呼ぶ。「揮毫の準備をしてくれ」


「対策本部設置が決まったな。忙しくなるぞ」

 部屋から出て愚痴を吐きそうになった自分が口を開く前に、下倉が言った。

 古西は色々な気持ちを飲み込んで、それでも思ったことを一つ言う。

「鋼城事件って何ですか。どこにもない単語ですよ」

「でも、キャッスル・オブ・アイアン・オンラインだっけか、それか略するとなんだ、シー・オー・アイ・オーか?」

「シー・アイ・オーですね」

「そういう名前よりは、言いやすくて良いだろう」

 そこの否定はしにくい。

「それにだ。商品名を付けてしまって、万一、ゲームは無関係だったとかになってみろ。名誉毀損だとか営業妨害だとかで変更の陳情で大変なことになるぞ」

「そういうもんですかね」

「そういうもんだ」

 古西はため息をついた。次の会見に出るかはわからないが、質問の想定問答を作るのは間違いなく自分の仕事だ。予想される質問は「鋼城って何ですか」だ。「長官が適当に決めた」と書くのは忖度する他人によって却下されるだろう。では、なんと答えるべきか、と思う。

 そんなどうでもいいことを考えている自分にも腹が立ってきたので、きっぱり考えるのを止めた。

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