第4話(2)被害者搬送対策本部

 搬送を行うための対策本部は二階の大会議室に設置された。消防庁と共有利用している階であり、他の省庁の関係者も入りやすいからだ。

 対策本部用にとノートパソコン、ファックス、コピー機が持ち込まれ設置される中、古西は続々と集まる関係省庁の人間と次々名刺を交換していった。

 新宮が自分を送り込んだのもわかった気がする。サイバー課がメインで立ち上げれば、一課が入らずに「入れてもらえなかった」と揉めるか、逆に多数を送り込まれ役割分担とは何だったのかという状況になったかもしれない。今回、古西は広域重要指定事件の捜査本部の一員として入っていて、捜査本部からぞろぞろと人が送り込まれることの牽制となっていた。この状況が良いとは全く思ってはいなかったが、割り切れる形だ。

 警察以外には、消防、これは東京消防庁と総務省消防庁の両方だ、それに都庁、防衛省というよりは制服の自衛官、厚生労働省など、幅広く人が集まっていた。各県の県庁、警察、消防とどう連携するのかは自分に情報が入っていなかったが、どうにかしているよな、という思いで立ち上げの実作業を担当した警察庁の面々の忙しそうな様子を見る。まあ、役割分担だ、と自分に言い聞かせた。

 何人集まるのかわからなかったが、一通り自己紹介が終わったところで声が掛かる。

「時間なので始めさせていただきます。まだ、遅れて入ってくる方も多いと思われますが、ご了承お願い致します」

 対策本部長となった下倉がそう言って、この対策本部では搬送問題のみを扱うと前置きし、脱線すると被害者の命に関わると、余計な方向に話が行かぬよう念を押した。

「それでは説明は、京都府警古西君からお願いします」

 新宮へ行ったものから数えると、下倉、日谷と続き、本日四回目のログから判明した被害全容の説明を始めることになった。とは言え、今回は一番内容が整理されている。まず、配布物が用意できていた。

「では、資料の方、両側から回しますので一部ずつお取りください」

 コピーしたてで温かい数枚綴りのホチキス止めされた資料が回される。

 先に渡された者は中身を見て、多くが絶句していた。

 古西は自分のできることをやると決めていた。落ち着いた声で言った。

「回りましたかね。一ページ目をご覧ください」

 関東に限定した被害者数のログからの推計値、それを地図に載せて可視化したものが一枚目だった。

「こちらはアクセス元からおおよその住所に変換したものです。ご覧の通り、一都三県に多数の被害者が固まっております」

「これはどのように調べたのでしょうか」

 口を挟んだのは眼鏡の男。前に置かれた手書きの所属表記を見る。「総務省総合通信基盤局」とあった。確か青山と言う名前だ、と古西は先ほどの名刺交換を思い出す。

「北浜容疑者が犯行声明で指定したログを精査したものです」

 部屋にざわめきが広がるが想定通りであり、続ける。

「ですので、わかっての通り信頼はできません。ですが、現在、警視庁サイバー課が身元の確認を進めており、現在、このログと傾向は一致しているということです。そのため、こちらを元に搬送の計画を進めていこうと考えております。実際の状況と人数が大きく食い違うなどのことがございましたら、そのタイミングで方針を変更することになります。これは、正確なデータが出揃うのを待つ余裕はないためです。よろしいでしょうか」

「はい、問題ありません」と青山は席にもたれるように体を引いた。

「他はないですか?」

 何か質問が出る様子はない。

 古西は図から読み取れる簡単な説明をサッと済ませ「では、二枚目をご覧ください」と促した。

「被害の形が特殊であり、一方規模が大きいため、自己責任論的に自宅での療養などを検討すべきではないか、という意見が出ると思われます。ですが、搬送しての加療が必要と考えております。では、なぜ必要なのか、という資料を挟ませていただきました」

 古西は書かれている内容から説明を作っていく。

「プレイヤーである被害者に訪れる危機ですが、北浜容疑者による攻撃を除くと、脱水と栄養失調が挙げられます。加えて、コネクトキットの稼働のため、電力供給と通信の安定が必要となります」

 続けて「他に何か大きなもので抜け落ちがありませんか」と見渡す。サッと手が上がる。厚生労働省の人だ。回答を促す。

「静脈血栓塞栓症、えー、いわゆるエコノミークラス症候群がリスクとして考えられますね。コネクトキットは楽な姿勢で使うとありますが、椅子に座って楽しむ方も多いと聞いております。そのような姿勢でログアウト不能となっている場合、こちらの症状が起こりえるのではないでしょうか」

「エコノミークラス症候群は何時間ほどで発症するのでしょうか?」

「長時間動かないと血栓ができやすくなる、詰まりやすくなるというもので、何時間というラインがあるわけではありません。四時間以上座ったままだとリスクは二倍になるという研究があります。特に肥満だったり、糖尿病だったりという方は元々のリスクが高いため、長時間ですと極めて危険という認識を持っていただければと思います」

「ありがとうございます」

 落ち着いた声は出せたが、古西は動揺していた。七十二時間のタイムリミットであったのが急激に短くなったように思えたからだ。

「では、私からも」と言ったのは消防庁の人間だ。

「今のお話でも出たのですが、例えば、糖尿病ですとインスリン注射が一日何度か必要になるのですが、基本的には食事前です。で、栄養点滴などを行う前に注意が必要となります。特に今回、被害に遭われた方が多いため、何かしらの持病のある方がかなりいると思われます。現場でも注意いたしますが、頭の片隅に入れていただければと思います」

「ありがとうございます。すみません、時間も押しているので、次に進みたいと思います」

 そう言って、三枚目に進む。

「搬送の必要性は理解いただけたと思うのですが、今回、事件の特殊性から、高速通信環境の普及している大病院へ搬送する必要性があります」

 結局、環境が整っているところにしか搬送することはできない。それが古西の出した結論だった。簡単に調べたところ、足りるのではないかと思ったからだが、まずは厚生労働省の人間に意見を求める。

「都内四千名強、他三県が各二千名前後、受け入れる必要があるとのことですが、病床はおそらく足ります。足りない場合でも、介護職員が足りない老人ホームの空きベッドを使うなどすれば、用意はできると考えます。ネット環境については把握しておりません」

 想定通りではある。であれば、後付けを考える必要がある。

「ありがとうございます。通信部分に関して、総務省で対策は取れませんか?」

 そう聞いた直後だった。

「入院案に、反対いたします」

 会場内に通る声がした。声の主は自分よりも少し年上に見える男性だった。視線を彼の前の紙のプレートに向ける。丁寧な字で「財務省」とあった。

「まず、今回の事件、何日で解決するのでしょうか? 捜査一課の方、お答えできますか?」

 彼は鋭い視線で顔を動かす。視線の先には二十階で出会い、こちらの対策本部にするりと入り込んでいた大岩がいた。

「あ、はい。えー、何日という確約はできません。えー現在、精力を上げて解決に努めております」と少ししどろもどろな感じで答えた。

「ありがとうございます。今、警視庁の方がおっしゃった通り、事態は不明瞭です」

 彼の次の視線の先には厚生労働省の人間がいた。

「さて、入院となるとお金が掛かります。おおよそ、一人一日一万五千円と言われていますよね」

 自身の知っているフェルミ推定のための知識と合致しており、古西は小さく頷いた。

「ですが、これは個人負担、三割のお話です。では、残りの七割はというと、社会保障費から出ているんですね。今回は事件ですから、すべて税金から出しましょう、となると十割が国の負担。つまり、一人一日五万円、被害者は一万人いるので毎日五億円もの血税が投入されます」

 痛いところを突いてきたと言わんばかりに厚生労働省の人間が顔をしかめた。

「現在、外部から機器が外されることで被害が出ておりますが、これの周知が完了し、その上で被害者がゲーム内で慎重に行動すれば、死者はこれ以上でないと仮定できます」

 プレイヤーがこれ以上死なないということはないとは思ったが、死ぬという見積もりが出せる空気はなかった。

「すると今後もおよそ一万人の被害者を入院させ続けなければなりません。先ほど、厚生労働省さんの出した提案ですと、毎年一千五百億円もの支出が発生いたします。千五百億円、大変な金額です」

 中小企業対策に、公共事業の実例、自衛隊の装備品の更新、近い金額の例を色々挙げて印象づけられたが、古西には自分の所属する京都府警の予算二年分というのがピンときた。そんな細かい値を出してきたのだ。財務省の準備は万端だった。

「以上より、事件に対して何らかの特別法が制定される前に、安易に入院を実施することは、国庫を預かる身として許容できません」

「見殺しにしろと言っているのか」と誰からかヤジが飛んだ。

「そうではございません」

「代案を出せ」

 ヤジと同じ人の声に思えたが、古西は彼の目が光った気がすることに気を取られていた。

「こちらは出せますよ。ただ、出したら、それに反対するのに、明確にメリットのある代案が必要になりますよ」

 座長の下倉が口を開く。

「時間がありません。言ってください」

「わかりました」と彼は準備していたメモに目を落とす。

「被害者の搬送先は公共施設とします。役場や公民館の会議室、被害者の多い地域では公営もしくは学校の体育館を利用します。これらの搬送先には適切な人数の医療関係者を配置します」

 消防や自衛隊の搬送の実務要員が実現可能性を小声で話し始めたのに古西は気づいた。彼は話を続ける。

「理由として、被害者は、現時点では、基本的に健康であり、栄養点滴で十分であり、当面は高度医療は不要と考えます。この施策の利点ですが、似た健康状態の方が集約されることで担当する医療関係者の人数を少なくできます。次に、電源およびネットワークの追加整備が、病院を利用する場合でも必要となるでしょうが、他の医療器具がないことから整備が平易と考えられます。以上より、通常の入院よりも運営コストを圧縮できると考えております」

 割とまともだと古西は思った。特に病院への通信設備の追加設置は、厚生労働省と総務省交えた懸案だと思っていたが、病院を使わないことで解決してしまったのだ。

 彼は言葉を続けた。

「確認のため申し上げますが、被害者はゲームの攻撃を受けておりますが、病気ではないことを明確であります。そのため、家族の希望で一般病院に移送する場合は、自由診療対応とすべきと考えております」

 財務省の強硬姿勢は古西は少しわかった。

 十年ほど前から病床数を減らそうとしているがあまり減っていないという記事を読んだことがある。政府が病床を減らそうとしているのは医療費を減らすためだ。病床があるから不必要に入院させ医療費が膨らむ要因となっている。だが、多くの病院の多くは民間で収入減となる減床には消極的、自治体は増床を認めない権限はあるが減らす権限を持っていない。あの手この手で苦労していた矢先だ。これを理由に病床を増やさせたりしたくないというのは理解できた。

 そして、部屋全体を見渡して、彼は締めくくるように言った。

「少なくとも、我々はこの事件をどこかしらの特需にするつもりは一切ありません」

 現地の病院で対応に追われているのか、それとも単純に休日だからか、関係者としていてもおかしくない医師会の人間はいなかった。もしいれば、説得力のあるノーが出たかもしれない。

 だが、少なくともここに集まっているのは財務省に首元を捕まれた連中ばかりだ。誰からも代案は出てこなかった。

「そのプランで行こう」と下倉は決断した。

 そうだろう、と古西も思った。というのも、この提案は警察にとっても悪いものではない。被害者管理の面で、病院ごとに数人ずつ被害者が分断しているよりは、まとまっている方がいい。顔つきを眺めると、搬送を担う実務の人間はそちらの方が都合がいいという感じだった。

「では、搬送の案が大きく変わりましたが説明の方、以上で終わらせていただきます」と古西は頭を小さく下げる。

「今の財務省案を踏まえた上で、具体的な搬送計画の立案を進めてください」

 下倉が全体に指示を出した。


 机を組み替える。とりあえず、地域ごとに東西南北とざっと割り振る。遅れて到着した三県の関係者は該当する方角の人間が集まるところに混ぜられていた。

 いくつかの公共施設にまとめて移送する。その方向性はシンプルで良かった。それぞれがやる作業を進めていく。

「二十三区内の体育館の一覧です」とコピーを持ってくる都庁の担当者。

「広まり方を見れば十分に同じマンションにプレイヤーがいそうですよね。で、公共施設に送るとなるとピストン輸送ですよね」

「東部方面衛生隊も台数は確認取りますが救急車が出せます。最大五人寝かせて運べるやつですね」

「それ台数早めに欲しいですね。タワマン地域の搬送に集中投入しましょう」

 議論を始めるのは消防と自衛隊だ。

「基本的に同じ地域を固めてやるとなると交通渋滞が気になりますね。車線規制入れた方がいいかもしれません」

「明日の搬送に規制は間に合わない。あと、防犯の関係から、搬送は朝から夜までとしたい」

 そういうのは国交省と警察。

「搬送中はネットワークどうしますか? 切りますか?」

「やめた方がいいだろう。北浜は二時間大丈夫と言っているが、被害者がダメだろう。切断状態で現実にもゲームにも繋がらないとか、人によっては心神衰弱で死ぬぞ」

「そうですよね。JTTと連携して対策取りましょうか」

 総務省と消防が対応していた。

「電源のリミットって何分でしたっけ」と誰からか声が上がる。

「十分だ」

「となると、車まで運ぶ間も電源があった方がいいですね」

 そう言いながら、ホワイトボードに絵を描き始める。被害者宅からコンセントをポータブルバッテリーに差し替え、その状態で救急車に運び、乗せたら車載のバッテリーのものにつなぎ替える。下ろすときはその逆をやる、という図が混乱しないようにと記される。

「救急車一台に、車載の大きい奴と持ち運べる奴、予備入れて二つずつもった方がいいな」とその図を見て、言う者がいる。

「災害備蓄分を出しますか?」

「いや、東都電力に協力を要請しろ。移動時に使うバッテリーの充電のことも考えないといけない。それに搬送先の電源周りでも必要になるかもしれん。あ、搬送先のネットワーク帯域を上げるの、JTTに連絡してくれ」

「わかりました」

 気づけば、基本的な搬送先の構成を考えるテーブルが立ち上がっていた。


 誰が動ける人材かが見えてくる。

 警察、消防、自衛隊は危機対応のエキスパートである人物が元々あてがわれているのか、こういう場でもテキパキ動いている。一方でその他の省庁の人は、個々人の能力が顕著に出ているように感じられた。総務省の青山は抜き出ている方だった。

 JTTの到着待ちというタイミングで古西は声を掛けた。

「青山さん。こういう状況でも動けていて本当に助かります」

 彼は恥ずかしそうに笑った。

「いやぁ、僕は防衛省からの出向なんですよ。だから、できて当然みたいなところがあるんですよね」

 その瞬間、自分はドキリとした。無論、噂に過ぎないレベルであったが柏原の話を聞いていたからだ。

「戦争に向いていないから外回りってところですよ」

「いえいえ、こんな緊急事態に対応できるなら、戦争だって対応できますよ」ととっさに返した。

「古西さんみたいにサイバー課でありながら、こういう事態にも対応できる人材は防衛省は大歓迎ですよ」と笑ってかわされる。

 何かを隠しているのかもしれない、そういう風にも読めなくはない笑顔だった。

 これは柏原に聞いておかないとな、と思う。防衛省から総務省に出向するパスがどのくらいあるか、そして、その行き先はどのようなものかだ。

 変な尾っぽを踏みたくはない。情報収集がてら、希望して来たのか聞こうとすると「古西君」と下倉に呼ばれた。「はい」と向く。

「いやぁ、そこの彼にね、『今回の一連の搬送に作戦名はないんですか?』って聞かれてねえ」と迷彩服を着た自衛官を指して言った。

「下倉さん、好きなのつけたらいいじゃないですか」

「いやいや。私の柄じゃないよ。そういうのは対策本部を立ち上げる、その話を持ち込んだ人がつけるってもんだよ」と押しつけられる。

「そんな名前なんか」と本音を漏らしかけるが、自衛隊制服組は必要だという目でこちらを見ていた。

 鋼城とうっかりつけてしまうきっかけを作ったことを思い出して、目の前に青山がいることに気づく。餅は餅屋だ。

「普通どういう名前をつけるんですか?」と尋ねる。

「場所にちなんだ名前が多いですが、こういう広域なものだと神話とかですかね」

 少し考えるが浮かぶはずがない。

「何かありません?」

「いやいや、決めてくださいって」と青山にも押しつけられる。

 制服の自衛官はまだこっちを見ている。瞬間的に頭の中を探す。

「じゃあ、八咫の鏡作戦でどうでしょうか」

 日本書紀か何かに巡り巡って伊勢に収まったという話があったはずだ、運ぶ作戦名ならありでは、と挙げる。

「少し長いですね」

 ケチがつけられて、やけ気味に言う。

「じゃあ、カガミ作戦で」

「あ、それは良いですね。被害者は当然大切に扱われなければなりません。カガミのように大切にという意味も込められますねえ」と押しつけた下倉がそう言って、「本作戦はただいまよりカガミ作戦と呼称します」と宣言した。

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