第6話(2)パーフェクトプランB
眠気は一気に吹き飛ぶ。
環七。環状七号線。一昨日から穴が空くほど東京の地図を見たおかげで、大体の位置はわかっていた。東京都区部の外周近くをぐるりと囲むように整備された、都内でも屈指の混雑度を誇る主要地方道だ。今日は朝の混雑を避けた午前十時から、西半分を北から順に、徐々に車線規制をしていく予定となっていた。
「場所は?」と古西は声を張り上げる。
「練馬区です!」
佐伯の即答に、すぐに聞き返す。
「最初の区か?」
「はい!」
「事故の規模は?」
「車数台とだけ。もうテレビで流れているかもしれません」
佐伯はそう言って、情報部屋にテレビがあります、と付け加えた。
「行こう」
古西は立ち上がった。
情報部屋こと『カガミ作戦情報収集室』と張り紙がされた会議室はすぐ隣だ。古西らが部屋に入ると既にテレビを何人かが囲んでいた。「失礼」と言って、間に割り込んだ。
キーンという途切れることのないヘリコプターのエンジン音がする中、左上にLIVEと表記された上空からの映像が流れていた。高層ビルはないが画面一杯に建物だけが映る、そんな広大な東京圏のよくある光景だが、画面中央の辺りから黒い煙が立ち上っていた。
「こちらは練馬区の上空からの映像です。搬送のため、十時から車線規制が予定されている環状七号線で、少なくとも車五台が巻き込まれる事故が発生しているとのことです」
テレビのアナウンサーが述べる中、映像はズームされていく。
「三つ起こっているな」とその場にいた誰かが言った。
もう一台ずつの車がはっきりと見える。通りに沿ってカメラは動かされ、事故の状況を伝えた。
一つ目は、黒煙の中に色もサイズもよくわからない、少なくともバスやトラックではない、とわかるおそらく二台の車の事故だ。炎は燃えさかり、銀色の防火服をまとった消防士によって白い消化剤がかけられている。激しい衝突があったのだろう。炎の隙間から見える車両前方はどちらも形状をとどめていなかった。
二つ目はすぐ隣、陸橋の防音壁の手前でトラックが一台だけ横転している事故だ。炎は見えなかったが、まだ黒い煙が上がっており、消火活動は続いていた。
三つ目は少し離れたところで、白いバンが黒いタクシーに突っ込んでいた。こちらはひしゃげているだけで火災には至らなかったらしい。
「場所がまずいですね」
佐伯はスマホの地図を開いていた。確認する。
「そこか……」
地図で見たらすぐだった。昨日、搬送場所を議論するときに見た覚えがある。指定した健康センター前の路地への入り口、そのすぐ近くだった。
だが、当然、色々なリスクを考えてその場所は選定されている。事故の場所は悪いとはいえ、搬送場所が被害に遭うような事態ではない。別の場所でゼロから受け入れ準備をするよりも先に考えることはまだある。
テレビの中継を確認する。
「通れは……しなさそうだな」
「ええ」
事故自体は反対の車線であるが、こちらの車線も消防車両が多数入っており、まだ封鎖されている。
「別ルートは?」
古西の質問に、佐伯はスマホの地図を絶妙な縮尺に変えて、指で他の通りを指す。
「厳しいと思いますよ。ここで詰まってんだから、この辺りがガーッと詰まるわけですし」
平常時に緊急事態に対応はできる。しかし、緊急時に緊急事態に対応することは想定外だった。少なくとも、都内でも稀な大事故がちょうど搬送の必須経路で起こった場合の対策は考えていなかった。
ただ、考えていないというのは、ここから無理にリカバリーする方法だ。
腕時計をチラ見する。
九時五十二分。予定時刻まであと八分。
決断するのは古西の役割だ。即座に決める。
「練馬の十時からの搬送は中止だ」
「わかりました」
「それで、通りの復旧見込みを確認しろ。多分、健康センター側だけを搬送専用で使うなら、割と早くいけるはずだ。念のための別ルートの確保も考えろ。ダメなら場所を変える」
「大丈夫です!」
佐伯の指示を聞いて、「うまい案がもしあれば頼む」と言った。
そんなに焦ることはない。まだ、時間もリソースも余裕がある。
*
緊急会見に出席したのは、ほとんどが定時会見で詰めていた報道関係者だ。だからか、代わり映えのない報告会よりも、こういう事態を待っていたという感じにも見えた。予定されていた搬送が中止、今日中の別の時間にやりたいが具体的な時間は未定、そんな発表をした上で質疑応答に進んだが、早速聞かれたのは事故についての話だ。
二日にわたってダラダラと続いている搬送より、ついさっき起こった事故の方がニュースバリューが高いのはわかる。しかし、残念かな、この会見は鋼城事件被害者搬送対策本部によるものだ。知っている事柄は報道にちょっと毛が生えた、搬送にどのくらい障害となっているかぐらいなものだ。そんなわけで、復旧の目処がついていないという情報しか持っていない、詳細は警察庁ではなく管轄の都道府県警察の交通課に問い合わせて欲しい、と丁重に答えた。
以降の質問は搬送についてのものにはなったが、これは緊急会見であり、聞かれたことは本当に決まっていないことの再確認ぐらいなものだった。
そんな会見を終えて、会議室に戻ったときには、リカバリープラン案ができあがっていた。
佐伯が何枚かの紙に印刷された資料を渡してくる。
「練馬のみ二時間ずらし計画です」
その言葉でおおよそ見当がついて、一ページ目で想定通りであったことを理解した。
とてもシンプルな計画だ。
練馬で作業する予定だったチームは何もやっていないが、時間通りに次の場所に行く。これは他の場所の搬送予定をずらさないためだ。早く行くとなると、受け入れ先の準備だとか、急な車線規制の実施だとか、様々な問題が起こりうる。それを防ぐための時間通りだ。
一方、練馬の作業は、二時間後までに隣接する埼玉県各市の消防局から救急隊を出してもらうことで搬送を進めていく、というものだ。
「悪くないと思う」
埼玉からの救援の交渉が終わっているなら、と付け加えて言った。
「それはもうネゴ済みです。複数の市の分担ならいけるとのことです」
準備が早くて、古西は少し口元を緩ませる。
「古西さんのおかげですよ。一昨日、月曜にどこを対象にするかめちゃくちゃ考えていたじゃないですか」
確かに、トラブル対応で隣接自治体からの救援ができるよう、偏りをつけて配置した。念のためであったが、それがここで機能していた。
「じゃあ、考えた甲斐があったってことだな」
そう言って、もう一度資料を確認する。気になるところを見つける。
「肝心な話だけど、ここ二時間後に通れるのは、大丈夫だよな?」
「もちろんです」
搬送先に繋がる路地に面する部分は、本当に何でもないただの通りだ。事故のリスクが有意に高いこともなく、たまたま近くで事故が起こったから塞がっているだけだ。それ故、消火活動が終われば、必要とする車線は使える。そのようなことを佐伯は言った。
「なるほどね」
「陸橋と反対車線は完全に通行止めになるので、合わせてこちらも通行止めにして、念のため徐行運転前提での専用車線にする予定ですが」
「良いと思う」古西はそう言って、少し考えて付け加える。「渋滞はさらにひどくなりそうだな」
「いや、この規模の事故なら誤差ですよ。どうせ、六時間、いや九時間は陸橋ら辺は通行止めですからね。確実に」
*
「事故のあった環状七号線の区間は、現在完全に封鎖されております」と、さもそれが特別な状況であるかのように現地に来ているリポーターが言っているのが聞こえた。
そんなことはない。日々、事故なり工事なりで通行止めはたびたび起こっているし、過去何度か防災の日に全線通行止めの訓練が行われている。
民放のロゴがついたカメラの前で、熱く実況するリポーターの言葉を耳にしながらも、自分の仕事をする泉は頭の片隅でそんなことを思った。直後、若手がまずいことをしているのに気づく。
「違う、もうちょい向こうだ」
すぐに頭を完全に仕事に切り替える。
パトカーと金属柵とコーンで道を塞ぎ、誘導棒で進入禁止をアピールする。とはいえ、とっさに緊急車両を通したりする必要があるので、少しの工夫はした方がいい。交通警察一筋十五年の泉にとっては、いつもの仕事だ。
事故は不幸だが、車線規制の準備中で警察官が揃っていたのは幸いだった。乗員はすぐに助け出され、事故の規模の割に死者はゼロで済んでいた。
今日は朝から例の事件の搬送があるはずだったが、さっきの事故だ。対策本部からは大慌ててで搬送の中止と事故対応の集中の命令が飛んでくる。それは泉を少し安心させた。あちらにいる人間は優先度がわかっているということだ。その少しの信頼関係があったからこそ、二時間後の搬送実施のための通行の安全確保はできた。泉はそう思っていた。
「センドウ一台、カガミ四台来ます」と胸につけた無線の受信機が濁った声を立てる。
「了解」とカチッとスイッチを入れて声を流す。
自分の仕事は搬送という大きな作業のほんの一角だ。緊急車両のための道を準備しておき、その車が来たら柵をどかして通行可能にすることだけだ。それだけだが、若手、それも配属してまもないペーペーだからか、明らかにキョロキョロしていた。「落ち着け」と声を掛ける。
「あ、今、搬送の救急車が見えました!」と近くのリポーターが叫ぶ。視線の先にはパトカーを先頭に後ろに少なくとも二台の救急車が見えた。
「ここ練馬区では、環状七号線の多重事故による搬送スケジュール変更により、先ほどから隣の埼玉県から派遣された救急車によって搬送が行われております。その一台目がまもなくこちらに到着するようです」
少し高いと思える声を出すリポーターを横目に「おい」と低い声で泉は若手他ここを担当する人間に声を掛ける。
「そろそろ、開けるぞ」
車両進入を阻むための柵はどかされ、コーンも端に寄せられる。その間、泉は車線の方を向いて誘導棒を軽く振る。開けているが一般車両は立ち入り禁止であり、通り過ぎるようにという意味だ。
パトカーに左ウィンカーが灯る。後続車も次々、ウィンカーを点灯させる。
「あ、今、環状七号線の専用車線に救急車が入ります」
そうリポーターが言ったときには、四台連なった埼玉県南西部消防と青字で書かれた赤い帯の入った白いバン、その二台目が目の前を通っていた。
「ここはつい一時間前まで事故車両が燃えておりました」
何。交通警察も救急隊もキャパオーバーはしていない。うまくいくさ、と泉は職人気質ながらに思った。
*
「鋼城事件被害者搬送対策本部は、さきほど午後八時五十五分に完了した搬送作業終了をもって、鋼城事件被害者対策本部へ発展的解消と致します」
そう会見で述べたのは正田捜査第一課長だった。
古西は自分が書いた原稿を読むことはなかった。そもそも、出席もしなかった。原稿の半分くらいをもう一人の出席者である搬送対策本部長であった下倉が読んだ後は、正田が捜査一課が中心となって行っている救出作戦の進捗を述べ、それらしい理由での統合が発表された。
そんな会見を、搬送が終わったというひとまずの安心感に包まれた対策本部の情報部屋、そこのテレビで他のメンバーとともに見ていたが、頭は別のことを考えていた。
この事件、三日目にして死者は四百人に達しようかという状況だ。外すトラブルがあった初日に二百人を超える死者が出ているが、それ以後も百五十人超の死者が出ている。
だが、搬送中の救急車の中で亡くなった者はいなかった。もちろん、確率的には起こりえる話だ。今回の搬送作戦であれば、十五回に一回は起こるだろう。ただ、そこを古西はもっと調べていた。救急車で運ばれてから生きている時間はもう少し長いのではないか、と。
その勘は当たっていた。救急車で運ぶために一瞬電気やネットから切り離し、救急車でポータブルなものに切り替えて、そして、搬送先のものに繋ぎ替えてから北浜が予告する二時間というデッドライン。この間に亡くなった人間は誰もいなかった。
そんなことが起こる確率は奇跡か恣意のどちらかだ。
そして、古西は後者だと思っていた。
だからだ。会見が始まる前、警視庁のサイバー課の会議室に戻ろうとする佐伯を捕まえて、その事象を伝えた。
彼は息をのんだ。
「もしかすると、それは……」
「ああ。北浜は、警察に搬送を成功させようとさせた」
古西は自分の推測を伝えた。もちろん、それが新宮に伝わると見てだ。
「一体、何のために……」
テレビは十分に準備ができたためか、丁寧に回答ができている正田の質疑応答を伝えていた。それをぼんやりと眺めながら、佐伯とのやりとりを思い出していた。
彼の質問に自分は答えなかった。推測はあった。
もしかすると、本当にゲームをやらせることが目的ではないか、と。だが、それはなぜ、という部分の想定が全く出来ていなかった。
「お疲れ様でした」そう声が掛けられるが「ああ、お疲れ様です」と機械的にしか古西は返事ができなかった。
何も進んではいない。
計九千六百五十七人を二日間で搬送する計画を立て切った男はそう思っていた。
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