第3話(2)いのちの見積もり

 柏原は扉を何度かノックして、返事を待たずに「失礼します」と入った。古西もそれに続いた。

「お疲れ様です」と部屋にいる何人かの声が重なる。

 会見前の打ち合わせで見た警視庁生活安全部サイバー犯罪対策課の面々がいたが、目的の人はいない。

「警部補は?」

 柏原が尋ねると、一人が空、つまりは上の階の捜査一課、を指しながら「まだやっていますよ」と答えた。

 二人で苦笑いした直後、扉が開かれ、片手で書類を抱えた、黒い細い金属フレームの眼鏡を掛けた男が入ってきた。

「すまない、遅くなった」

 新宮だ。彼は持っていた書類を入り口近くの机にドカッと置く。

 若者が立ち上がる。左胸には銀一色に金バーが一本。巡査だ。

「警部補! 救出ですか?」

「いいや。私たちは、搬送だ」

 新宮は有無を言わさない強い口調だったが、彼は食い下がった。

「なぜですか!? 我々が救出ではないんですか?」

「搬送を担当すると、上の会議で決めたからだ」

「何でですか? 我々が救出を考える方が効率が良いでしょう!」

「そんなことはないだろう」

「ですが」

 そう言った彼を中心に、若手の士気がなんとなく下がっているように古西には感じられた。新宮をチラと見る。考え込むように口を右手で隠し、そして、ぐるりと会議室を見渡した。大丈夫そうだ。自分がやることは何もない。古西はそう理解した。


 誰がいるのか再確認し、つまり、どこまで露骨に言って良いかを決めたので、新宮は口を開いた。

「私たち、捜査第三係、強いて言えば、サイバー課が、現段階において、搬送のみを担当するのはメリットしかない、という話をする」

 いつも通り、結論から言った。

「まずは仮定の話だ。もし、全てを担当するなら、何から手を付ける?」

 突っかかってきた巡査に答えるように視線で促す。

「搬送です」

「なぜだ? 救出を終わらせれば、不要では?」

「何日掛かるかわかりません。その前に、被害者を――」

 その続きは左手を広げて止めさせる。

「そうだ。現段階で、救出の見積もりは粗いものすら立たない。まぁ、搬送より早くに終わる、つまりは二、三日程度ということはないだろう。これはどこがやろうと多分変わらない。となると、裏で搬送は必ずしなければならない」

 さて、ところでだ、と新宮は言葉を区切った。

「搬送を担当して、ちょっとコネクトキットの振る舞いがわかるようになったチームは、抱えていた仕事が終わったらどうなるだろうか?」

 さっと部屋を一瞥して続けた。

「そう簡単に解散はしないだろう。となるとだ、先に救出に着手し、数日後、搬送を終えたチームに茶々を入れられるのと、先に搬送を担当して、その後、救出をやりたいと茶々を入れに行くの、どちらが良い?」

 特に誰かが答えるわけでもなく、部屋は沈黙が支配した。

 新宮は続けた。

「救出はとてつもなく大きな成果だ。だが、それはいつ得れるかわからない。一方で搬送はすぐに得れる成果だ。というわけで、最良の選択は、搬送で成果を出して、一課の代わりに搬送をやったという恩で、私たちも救出に参加し、こちらでも成果を出す、だ。納得したか?」

「はい!」

 そう若者が答える向こうで、古西の口元が小さな笑いを堪えるのが見えた。

「もう頭は切り替えたな。まずは情報共有だ。この書類は一課から取ってきたものだ。ただちに叩き込め」と活を入れた。


 一課から取ってきたという紙は、自分が会見直前に共有を受けた内容と同じだった。ひと目見て戻すと隣から声がした。

「古西、会見は助かった。ありがとう」

 軽く頭を下げた新宮がいた。

「望み通りの結果かは知らないけどね」

 そう返すと彼は声を小さく出して笑った。

「上の会議が中断しなかったから大丈夫だ」

「そこまでひどい会見はしたことはないよ」と釣られて笑う。

「おかげで良い役割分担ができた。君がいなかったら、こんな事件なのにサイバー課がもっと隅に追いやられていただろうな」

 彼のボヤキに「そうなってたらひどかったかもね」と返す。

 ただ今回、そのひどいことが危うく起こるところだった。

 サイバー課は未だに二流の部署扱いだ。明治日本がモデルとしたフランス警察、その国家警察サイバー犯罪対策準局も、先進国で最もサイバー犯罪の多いと言われるイギリスの国家犯罪対策庁NCCUも、アメリカ連邦捜査局の刑事・サイバー対策部も、サイバー課は刑事警察である。だが、日本の警察では、キャッシュレス化を始め情報化が遅々として進まない国に合わせるように、生活安全部の下に置かれていた。

 部に差はない。だが、それは建前上だ。刑事部長は生活安全部長や交通部長よりも格上とされる中、当然、その格は伝搬し、の下にあるサイバー課は捜査一課なり二課より下と見られていた。

 そんな状況はここまでサイバー犯罪が増えた現在において、連携を阻害する顕著な要因の一つとなっていた。

「でも、まあ、事件に向かうことはできる。それに」と一瞬言葉を区切った。

「最悪な参加の形じゃない」

「最悪? 初動に混ぜてもらえないとか、ログが失われた手遅れなタイミングとかか?」

 新宮は首を横に振った。

「もっと悪い状況がある。さっきの『もし』だ」

 サイバー課が全部を担当するパターンだ。指摘されて、「ああ、確かに」と納得する。

「私たちのリソースでは賄えない。さっきの会議で揉めて、『じゃあ、お前らやれ』って押し付けられていたら、初動でパンク、とは言わなくても混乱で終わりだ」

 何かが飛散するような、そんな手を広げるジェスチャーをしながら、新宮は言った。


「さて、もういいかな」

 新宮は部屋を見渡す。書面に目を落としていた者たちが顔を上げた。

「時間はないから、話を進める」

「七十二時間の壁ですね」といきなり横やりが入る。

「それもあるが、今言ったのは違う」

 新宮はそれに答えて、考えるように宙を見上げ、「あと二時間、いや、一時間か」と呟き、正面を向いた。

「搬送についての初回会見だが、午後五時を考えている」

 たくさんの人数がいるわけではなかったが、ざわめきが聞こえた。もう一時間半もないし、実質の準備時間はもっと短い。彼は続けた。

「プレイヤーの家族は今大変な不安の中にいる。今後どうなっていくのかは、できるだけ早く発表しなければならない。また、この規模の事件だ。適切な情報発信が必要になってくる。よって、被害が何人、どこで、どの程度、発生しているか、そして、どのような形で搬送を進めるのか、それを次の会見で発表する」

 新宮が顔を動かしたのに合わせて、古西も視線を動かした。彼の部下の一人が目に入る。

「坂本。情報集約、頼めるか」

 彼は「わかりました」と言って、「まずはプレイヤーの情報を確実に集めろ、被害者がわからないという状況は絶対に避けろ」と指示を飛ばし始めた。

 やることが決まって、タイムリミットが定まれば、部屋の面々は歯車となって動き始める。

「ここを本部にするのに、色々借りてきます」

「電子管理メインにするからコピー機は一台にしておけ」

「電話窓口の情報、取ってきます」

「情報は提供元も確認しろよ。一般情報と近親者からのは優先度が違う」

「プロパイダーとの連絡の整理頼めるか」

「基本はIPベースだが、漏れが出ると思ってまとめておけ」

「集合住宅とか同じIPになるから気をつけろよ」

「ティタンの接続ログは最大ログイン時点ですよね」

「違う、全期間だ。ピーク前に離脱と後に追加がありえるだろ」

「搬送先は消防庁に情報が集まっているみたいです」

「プレイヤーかそうでないかは注意しろ。間違いなく混ざっている」

「ティタンの技術者、まだ一課にいるようです」

「あいつらが必要なのはどうせ東立だけのはずだ。うまいこと言って連れてこい」

「氏名、性別、年齢、状態、接続元IP、接続元住所、搬送先、これを完璧にしろ」

 やり取りが漏れ聞こえる中、非警視庁である自分と柏原は少し隅寄りに移動した。

「こっちはどうしますかね」と柏原の言葉が聞こえたのか、すぐに新宮がこちらに来て言った。

「とりあえず、状況が変わるまで私の直下で良いか?」

「ああ、いいです」と柏原は即答した。

 自分も京都からの連絡はないし、わざわざ伺いを立ててダメだと聞きに行くタイプではない。

「俺も構わない」そう言って「もしかして、また会見?」と聞き返す。

「まさか」と新宮は笑って続けた。

「次は私だ。報道を見るに、被害は関東圏に固まっている。警視庁の自分が出るのが適切だろう」

「同じ事件の会見に、外様を容赦なく放り込んだ人の言葉とは思えないな」

「適材適所だ。今の警視庁の状態で、サイバー課から人を出すこと、出してもいいが、捜査一課主導の会見に受け入れられる可能性はゼロに等しい。それで会見になったらどうなる?」

 古西は正田の残念な回答を思い出す中、新宮は続けた。

「全部スラスラ答えれるならまあいい。そうじゃないから困る。そんな会見でイメージが悪くなるのは一課ではない。警察全体だ。なら、受け入れられる人選をして恩を売る。それに、上の会議で実利を取れる人間が会見に出たらまずいだろうよ」

「そう考えている方が、京都の古西警部補を出しましょう、だから、すぐ広域重要指定をしましょう、ってねじ込んだのが無茶だと思いましたけどね」と柏原は笑う。

「まあね」と新宮も笑った。

「君たちに頼むのは、現在収集している情報の推測だ」と本題に入った。「おそらく、あと三十分では情報が集まらない」

 古西もそれには同意だった。

「搬送の初期プランを立てるのにも時間が掛かるが、そのためには情報がないし、待っていたら会見が遅くなる。つまりだ。三十分でできる限り正確な被害予想が欲しい」と彼は要望を述べた。

「確かに名前も性別も年齢も搬送には必要ありませんからね」

 柏原が首を縦に振りつつ言った。

 推測のデータを使って計画を立てる。砂上の楼閣を建てるような、新宮の仕事にしては妙に感じた。だが、彼のやること、と考えると一つの結論に至り、確認するように古西は聞く。

「もしかして、被害にかなり偏りがあるのか?」

 そうであれば、特別な搬送計画を立てなければならない。

 新宮は難しい顔をした。ビンゴだった。

「ああ、そう考えている」

 勘だが、と前置きして「被害者は首都圏に八割以上固まっている可能性が高い」と続けた。

 東京千葉埼玉神奈川に八割とすると、東京都内だけで数千人搬送予定者がいる可能性がある。

 古西は認識をすり合わせるべく、問題点を上げた。

「救急車は足りないだろうな。それに病床も」

 新宮は頷く。

「あっ、明日、月曜日ですよね。交通も場所によってはヤバいかもですね」

 柏原も正しい指摘をする。

 ただ、それで解決しないといけない課題は見えつつあった。

 覚悟は決めた。

「わかりました。この件、こっちでやりましょう」

「頼む」と新宮は短く言った。

 古西は一つだけ聞いておきたいことを思い出した。

「そういえば、さっきの話。どこも救出はすぐに終わらないって」

「ああ、そうだが」

「もし、一課が三日で救出できたら?」

 新宮は真面目な顔で答えた。

「愚問だよ。サイバー課は無価値だから解散だ」そして、付け加えた。「いつも逆をするために生きているからな」

 逆。一課よりも先にサイバー課が事件を解く。そうなったときの既存の刑事警察はどうするべきか。

 彼はこの情報化社会で警察の形を変えようとしている一人であったことを、古西は久しぶりに思い出した。

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