大手出版社の失敗

 二〇〇九年の帰国時、知人である大手出版社「冗談社」の代表取締役が、自社の新しいタイプのウォーキングの本を送ってきた。彼が中心になって制作したという。著者は隣国の大学の教育者で、とある分野の博士だと紹介されていた。数カ国で活動し、世界平和の運動もしているらしかった。

 食事を共にした時、渚沙はふと思いついて、ナータの世界平和会議にこの人物と一緒に出席できるかどうか聞いてみると、社長はきっと可能だよと嬉しそうにいった。

  

 トラタ共和国に戻るや、「K国の教育者に、世界平和会議に出ていただけそうなのですが」とナータに伝えた。

 すると、「教育者といっても、どんな教育者なのか分からないではないか」と返って来た。

 その時のナータの表情はいささか曇りがちだった。先の言葉以外、何の情報も伝えていない。だが、ナータが賛成していないことだけは明らかで、渚沙はその訳を知りたくなった。


 翌日ネットで調べて見たら自国や米国ではけっこう著名なカルト教祖であることが判明した。彼の称号や学歴はでたらめであり、さらに過去数年間に多数の事件を起こし裁判になっている英文のニュース記事が幾つも見つかった。こんな犯罪者を招待したら、大変なことになってしまうところだった。


 日本では、カルト組織であることを認識していた人々――被害者たちだと思われる――から苦情の声が寄せられ、冗談社では大問題になったようだ。しかし表沙汰にはならなかった。知人は重役だったし、自分の過ちを認めたくなかったらしい。なんと書籍はその後も販売されている。知人には詳細を知らせると伝えてあったが、結局渚沙は連絡できず、知人との二〇一〇年の世界平和会議出席の話はそのまま流れた。


 知人は洗脳されていたのだ。そのカルト団体は一般人対象にウォーキングやヨーガ教室の他、スピリチュアル系をひっかけやすいように瞑想クラスやオーラ撮影、オーラ判定で人を誘い込んでいる。残念なことに、彼の妻が同団体のヨーガ講師だという。洗脳を解くには手遅れのケースではないか。

 そのカルト団体は、大金を集めるシステムを確立し、恐るべきことに日本では既に全国各地に百五十ヶ所ほどの拠点を築いている。教祖の出身国ではカルト教団として有名で、米国には一足先に触手を延ばして毎月一億円近い収入を得ていた。その米国では詐欺と教祖のセクハラ事件などで二十四人から訴えられている。教祖からセクハラを受けた米国人は名誉なことだと説得されたという。教祖の女好きは有名で、隣国では数百人の女たちが性教育を受けたそうだ。


 米国テレビ局のサイトでは、同カルト教祖とその組織の問題が報道された時のビデオを見ることが出来た。現在YouTubeでも視聴できるが、CNNやABCニュース、CBSテレビでもカルト特集が組まれ、経済誌「フォーブス」でも扱われていたほど問題視されていた。

 日本ではほとんど認知されていないが、日本で被害に遭った人々によればヨーガでもウォーキングでも彼らが宣伝している無料の授業に参加したら最後、親切な講師に名前や連絡先を書かされ執拗な勧誘を受けるという。一年のうちに独りで数百万円から一千万円以上つぎ込む人は普通にいて、既に日本でも裁判沙汰になっていた。


 日本を代表する大手出版社「冗談社」がそんなカルト教祖の本を出版してしまうとは、またひとつ嫌な予感がした渚沙だった。

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