渚沙の妹 その1

 渚沙の一族には、舞踊や絵画など芸術面で活躍する人たちが多い。神道、神社の神主を代々告いできた母方の家系に集中している。

 神道では、舞踊や音楽は神と強い結びつきがある。トラタ共和国でも、古典舞踊や古典音楽は全て神話や神について表現されたものだ。


 渚沙は、体調不調な時にナータから勧められて古典舞踊を習った。そのお陰で体調は回復し、同時に踊りの能力が開花したようで、マスコミの前でも踊る機会に恵まれた。渚沙は自分の才能について少しも自覚できないでいるが、現地人や西洋人から、今までこんな踊りをする人は見たことがない、神がかっていると賞賛された。だが、本人は未だに信じられない。渚沙にとって、踊りは関心のある分野ではなかった。渚沙の妹の真衣子が人生をかけてやっていることだが、渚沙は自分には無関係、別世界のものだと思っていた。


 一族の舞踊家の中でも、渚沙の妹の横尾真衣子は、日本と世界の多種の舞踊をマスターし、学生時代から主にソシアルダンスを好み、プロの競技選手、そしてダンス教室の講師としても活動してきた。

 真衣子は、学生時代から孝雄とペアを組み、仕事上のパートナーとして、また人生のパートナーとしても共に暮らすようになった。プロの世界では、選手同士が結婚するのは極普通だそうだ。



 真衣子は、ある時、ナータに会いにやって来た。その時、パートナーのことでひとつのアドバイスをもらった。そのアドバイスを聞いてすぐにエゴが顔を出し、「無理だよ、そんなの」と真衣子は思ったという。しかし、渚沙から見ると、全然無理なことではなかったし、一応真衣子にはそういっておいた。が、真衣子は非常に簡単な最初の一歩さえ踏み出さなかった。

  

 間もなく、真衣子はそのアドバイスを軽視したことを心底後悔することになる。真の聖者たちは人々の不幸を事前に知っていて、通常は不可能だがそれを避けられるように特別に祝福し、貴重なアドバイスをくれることが多々ある。その時、何が起こるかは話さない。本物だからこそだ。その理由をよく考え、スピリチュアル系に振り回されやすい人は一生涯覚えておいたほうがいいと渚沙は思う。そのせいで、お客はろくでもない偽者の餌になるのだから。


 ナータのアドバイスを重視するかしないかは本人の自由だ。真の聖者からアドバイスに従うように強制されたり、軽視したからといって怒られたりすることは決してない。何を選択するか、人生をどう生きるかは個人の自由で、アドバイスをどうするかは自分で決められる。つまりすべて自己責任ということだ。どんなに著名な名医でも、そのアドバイスを聞かない、最善の処方に従わない患者を助けることができないのと同じだ。

  

 さて、真衣子と孝雄に何が起こったのか――。


 二人は別々のダンス教室で講師として働いていて、仕事が終わると、どちらかの教室で夜遅くまで自分たちの競技の練習をするというハードな生活を続けていた。これは若いプロの競技選手たちの一般的な生活の仕方だ。彼らは、引退してからたいてい自分の教室を持つようになる。そして、また若い選手たちを講師として雇い、技術を教え、次世代のプロを育てるのである。



 ある時、孝雄が働いていたダンス教室に、六十代の未亡人でプロの音楽家がやって来て、孝雄の生徒になった。ヴァイオリニストである彼女は、外国のなんとかスキーなどというそこそこ名の知れたピアニストと組んで時々合同コンサートを行なったりしている。


 いい年をして、この未亡人は、真面目でクールでイケメンタイプの孝雄に恋してしまい、亡くなった旦那の指輪まで孝雄にあげてしまう。

 未亡人は、「自分は霊視や予言ができ、他人のことはなんでもわかる」と二人に話した。孝雄は、芸術家としてこの未亡人を尊敬していたが、このスピリチュアルっぽいところを崇め始め、徐々に言いなりになり、すべてをコントロールされるようになる。


 まず未亡人が、夫婦である真衣子と孝雄に告げたのが、ダンスパートナーとして二人は合っていないということだ。ふたりの前で、ことごとくパートナーを解消するように嫌がらせ発言をした。



 次に、夜間、孝雄が真衣子と自宅でゆっくり過ごせないように企んだ。ノートや紙にダンスのステップの図を書かせて、未亡人の家に毎晩ファックスを送らせた。未亡人は上級者でもない単なる生徒で、孝雄は講師なのにだ。そのフックス送信の後は、真夜中だというのに近くの公園でひとりでステップの練習をするように指示した。それが午前三時頃まで続き、家には帰らず近くのネットカフェで休む。朝方家に帰って来た時はくたくたで、即眠り込んでしまい、若い夫婦は話さえする時間がない。お昼前には、それぞれの教室に出かけなければならないのだ。なんと、孝雄は、この異常なスケジュールを何年も、夏も冬も関係なく本当に毎日実行していたのである! 渚沙は、二人のアパートに一ヶ月滞在させてもらったことがあり、実際に孝雄の珍生活を目撃して呆れたものだ。


 真衣子は一度、夫の孝雄が異常にマインド・コントロールされているのを見て、そこまで未亡人の言いなりになるのはおかしいと孝雄に注意した。しかし、激怒されたのでそれ以来、二度と話題に出さないようにしているのよ、と渚沙に打ち明けた。


 真衣子は、流行りのスピリチュアルにやすやすと流されるタイプではない。未亡人は、若き夫婦を引き離すために、この真衣子のことも好きなように操ろうとしたが、真衣子は常に冷静で、洗脳されることはなかった。


  それでも、目も当てられないほど可哀想なのは真衣子のほうだった。

 未亡人の差し金で孝雄に離婚届を勝手に提出されたり、真衣子にとって地獄のような日々が何年も続くのである……

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