発狂させる男
昔、井上潤次郎のスピリチュアル・ツアーに、
なお、ナータは「それまでの仕事を辞めて、スピリチュアル系の仕事に乗り換えてはいけない」と人々にアドバイスをしている。
残念なことに原島は、社会での振舞い方を知らない典型的スピリチュアル系になった。自分の客でもないのに、いきなり人を捕まえて突然霊能者のように振る舞う。そういう時は、ナータや神と交信して相手の情報を知り、アドバイスを与えると本人は主張している。
寺院に滞在中、彼にとっ捕まり、頼みもしないのに「霊視」によってわかったという不快なことを無理やり聞かされ、叱責、説教されたと、何人かの日本人が渚沙に打ち明けた。彼らはその後、原島克昭に出くわさないように気をつけていたそうだ。
ひとつ面白い話がある。
高校教師をしている日本人男性は、原島に捕まり昔の著名人であったと告げられた。その時の過去に犯した罪のせいで、今の人生で困難に直面しているという。それは大変有名な歴史上の人物で、ちなみに西洋人だが、どう見ても日本人の高校教師がその生まれ変わりには思えない。信じる人は原島本人と、それ以外なら彼の客だといえてしまうところがちょっと怖い……。その幼稚な霊視の話を聞いて、「あまりにも嘘ってわかっちゃって可愛いね」とみんなに笑われていた。
たとえば、夫に浮気されて不幸な普通の近所の奥さんに、「あなたは昔マリリン・モンローで、男たちを
余談だがナータは、一般的に悪人として見られているその歴史上の著名人が、実は偉大な人物であり、死の際に神から特別な祝福を得たことを、過去に何度も渚沙たちや訪問者の前で話している。そう話しているのは、ナータだけではない。真の聖者たちは当然のごとく知っている。そうとも知らず原島克昭は、その過去の人生で犯した罪のせいで、今の人生で苦しんでいると先の日本人男性に指摘したのだ。
このように、どこどこの聖者と交信をしていると主張している割には、随分本人といっていることが違う、というのは自称チャネラーによくある話だ。自国の人たちのことは簡単に騙せても、聖者の身近にいる人たちには、彼らが偽者、あるいは精神を病んでいるのがすぐにわかってしまうので、現地で口を開く時は注意すべきなのだが……。そうでなくても、スピリチュアル系のお客はけっこう口が軽いので、方々へ噂となってすぐに関係者のところまで辿り着いてしまう。
一般的に訪問者たちは何も知らない。あの聖者のところに行ったことがあるとか、何年も通っているとか、聖者と話をした、あれこれをもらったといって聖地や聖者たちのことを熟知しているかのように自慢するようなスピリチュアル系がよくいるらしい。中でも、グルショッピングをしていたことのある人々の発言については、信用してはならないとナータはいう。聖地では、彼らは「患者」として扱われている。精神世界で学ぶ者としては明らかにビギナーで、何年も通っているのなら、何も学べない学ぼうとしない「劣等生」「落ちこぼれ」ということだ。
原島克昭はナータに会いに行くには、自分の許可が必要と自分の客たちをコントロールしていた。彼は吉澤フミを知っており、フミのことを侮蔑しているがなんとなくパラノイアのフミと似ているところもある。しかし、原島克昭は善人で、フミのように聖人を気取るところはなく、いつも神に感謝していたし非常に謙虚な人だ。自分では真面目に交信や霊視をしているつもりなので、始末に終えない。それでやはり彼も、精神的に重度の障がいを抱えている人だと見られていた。
決定的深刻な問題は、彼のカウンセリングに通った客が、チャネリング中に発狂したことである。何人かそういう客がいたという。その中の一人は、渚沙も一度だけ紹介されて成田空港でちらりと話したことのある主婦だ。何度も入退院を繰り返し、発狂してから十年経っても鬱状態で、以前の健康な精神状態には戻らないという。渚沙が会った時は明るく気さくな人だったので、現状をとても想像できない。
チャネリングでどうして人が発狂するのかは謎である。スピリチュアル系たちは、交信には動物や魔物に憑かれるブラック系と、本当の神や高次元の意識と繋がる本物の交信があると主張し、我こそは本物の霊能者であると競争心を露にするが、渚沙が長年見てきた限り、両者とも不必要で危険なことをしている狂人か愚者でしかない。
また、ヒーラーで自称聖人のフミも、ヒーラー原島克昭も、聖者側は人との交信はしないとはっきり公で否定しているのに、頑固に交信していると主張し続けてきた。彼らを信じる弟子やお客がけっこういるから理解不能である。原島克昭に関しては、彼はおかしいと早々に離れた賢明なお客が
一般的に、スピリチュアル系についているお客や、「自称なんとか」を崇めている人々も幾分狂っているのを渚沙は見てきた。原島克昭も彼のお客も、渚沙の発行していた機関誌やサイトを通してナータの言葉や警告をよく知っていた。
例の「日本にいる誰かの許可を得る必要はなく、誰でも聖者に会いに来てかまわない」という機関誌に毎号掲載されていたナータの言葉について、その後どうなったかというと――なんと、結局ほぼすべての購読者が無視し、彼らの言いなりになっていたのである!
トラタ共和国の聖者に何の関心もないという人なら別だ。だが、ナータを信じながらも、わざわざ高額な料金を払って狂者が主張する交信の言葉のみに従い、無料で貴重な、時には命や人生に関わる神と呼ばれる聖者の直接発したアドバイスを無視する人たち、日本人訪問者たちの頭の中はどうなっているのだろう? 渚沙は不思議でならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます