渚沙は見た! ●●事件簿

@himekon

受付嬢渚沙・ホテルの気になる客

 渚沙は、ビジネスホテルの求人を駅に置かれていた無料雑誌で見つけた。二日続けて勤務して、二日続けて休日というシフトで正社員になれるという。なかなかお得だと思い面接に行ったら、すぐに採用された。羽田空港を利用するのに便利な駅前のビジネスホテルで、いつも満員でけっこう忙しい。

 オーナーは、年の差婚の素敵な夫婦。田中美佐子にそっくりな奥さんがマネージャーで、とても優しい人で仕事がしやすい。渚沙の憧れの君、聖シャンタムの話も一緒にできる親しみやすい人だ。オーナー夫婦は最上階に住んでいたので安心できたが、勤務は、たった一人でフロントに立たなければならない時間が多い。交代時間が来るまで待機している人もいないので、疲れがたまって身体がしんどくなる。二日続けて休めるメリットのためになんとか頑張れた。休みの日はボランティア活動に当てたり、何もない日は憧れの君と妄想デートをし、表参道でのんびりと時間を過ごした。


 ホテルのお客さんたちは出張で空港を利用するビジネスマンが多く、ありがたいことにみんな行儀が良かった。唯一の問題といえば部屋の二重予約をしてしまった時くらいだが、それもお客さんが協力的だったり、チェーンホテルだったのですぐ近所の支店に行ってもらったりして難なく解決した。

 

 海外に移住する前で、このホテルには半年しか勤められなかった。その間に目撃した、今でも忘れられない印象深い利用客がふた組いる。

 昼過ぎに、四十代後半から五十代とみられる美男美女が予約なしでやって来た。幸い部屋は空いており、ダブルの部屋をとった。実際には全ての客室がダブルであり、利用人数が一人か二人かでシングル料金、ダブル料金を決めているのである。たいていのホテルがこのような便宜を図っているようだ。

 それは秋で風が少し冷たくなり始めた頃で、二人共トレンチコートを羽織っていた。どう見ても通勤服だ。男性は通勤鞄を手にしているし、女性も書類の入ったバッグを持っている。女性はかなり美人で品があり、少し妖艶な感じがした。男性は俳優のような渋みのある二枚目で、竹脇無我に似ている。夫婦にはとても見えない。女は独身、男は既婚者と想像できた。こんな絵に描いたような熟年美男美女の一般人カップルは後にも先にも見たことがない。まさにテレビドラマに出て来るようなカップルである。

 二人はチェックインしてから二時間くらいで、フロント前のエレベーターを降りて来た。女性が「ありがとう」と少し湿った艶のある声を出しながら、渚沙に部屋の鍵を返した。社内不倫、または羽田を利用しての遠距離不倫か。これから食事ついでに外で打ち合わせをするといって出て来たのではないか、といろいろ想像する。

 ラブホテル代わりに使う人は時々いたようだが、夜泊まって行くのが普通である。渚沙の勤務中に、堂々昼間に利用したのはこのカップルだけだ。明らかに不倫に見えたのも彼らだけだった。

 心配なのは部屋の壁の薄さだ。けっこう古い建物なので、隣の部屋や廊下にも音が漏れる。幸い、時間的に近くに誰もいなかったかもしれないが、連泊している常連客もいるので気になるところだ。しかし、オーナーの奥さんはかなり経費を切り詰めていたので、防音工事や改築はとても望めなかった。


 もうひと組は、二十代後半くらいのカップルだ。夫婦だったのかもしれない。二人はチェックインした後、一時間くらいしてフロントにやって来くると、男性のほうが部屋に盗聴器らしきものがあると報告してきた。渚沙は驚いて、上階にいるオーナーの奥さんを呼んだ。こういうものはけっこう客も仕掛けるらしく、焦る渚沙やオーナーの奥さんを責める風でもく、男性は始終物腰が柔らかく、笑顔で盗聴器についてうん蓄を並べていた。

 実は、オーナー夫婦はつい最近ホテルを引き継いだばかりだったので部屋のことをすべて把握していなかったのだ。チェーン店にも問い合わせるなどして三十分くらいかけて調べた結果、盗聴器らしきものはただの虫除けだったことが判明した。それまで物知り顔で話をしていてた男性はばつの悪そうな顔をしていた。謝るかと思ったら最後まで謝らなかった。その代わり、オーナーの奥さんは自分たちに非があるかのようにひたすら謝罪しており、渚沙もそれに習った。お客さんに引け目を感じさせないように気遣い、配慮しなければならないサービス業は大変である。

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