ゴッドハンドの伯母とセレブたち

 渚沙なぎさの母方の伯母は多才で、若かりし頃はファッションデザイナーであるかたわら、アニメの声優や結婚式などの催事の司会をしていた。主役の声まで務めていたのに声優をやめたのは、セクハラを受けたからだ。プロデューサーから俺と寝たら仕事をもっとやるといわれたらしい。気持ちが悪いので芸能界を去ったという。

 アメリカ映画界の大物プロデューサーがセクハラで訴えられてから、遅まきながら日本も諸々の分野で働く女性たちが声を上げるようになった。声優の世界はセクハラがひどいという記事を読んだのはつい最近である。伯母が声優をやっていたのは二十代の時だ。かなり昔から枕営業が行われていたことは認識されていないかもれしない。


 伯母は後年に転職してエステティシャンとして成功し、有名な女優やモデル、アナウンサーがお忍びで通う、富裕層の奥様方御用達のエステサロンの経営者になった。たけしのテレビ番組に呼ばれて小顔作りのゴッドハンド、名美容師として紹介され、雑誌でも何度も取り上げられた。他にも雇っている施術者はいたが、伯母ばかりが指名され、体力も使う仕事なのでギリギリまで働いて時々体を壊していた。

 渚沙も伯母のゴッドハンドの施術を目の当たりにしたことがある。ファッション雑誌の編集者が取材に来ていた時にたまたま店に遊びに行った。編集者の女性が伯母の施術を一度受けた後、鼻が高くすっきりと変形してしまったのである。伯母の道具は自分の手だけだ。見ていた客たちが歓声を上げた。小顔も一時間足らずで目に見える結果が出せる。ただし、一時的なものなので、自分で手入れし続けたり、定期的にサロンに通わなくてはならない。

 

 渚沙が伯母の店に遊びに行って目撃した興味深い客たちの話をしたい。

 

 伯母の客に人気女優がいた。シリーズで国民的ドラマの主演を務めている。その彼女はモデル時代から伯母のサロンの常連だった。渚沙も偶然店で会ったことがある。伯母が紹介してくれた。性格が暗いと自分でいっているらしいが、話した限り人当たりが良く明るい人だった。海外の辺鄙へんぴなところに住んでいる渚沙のことに興味を持っていたようだ。

 ある日、伯母は、彼女にはもう店に来て欲しくないと渚沙にこぼした。一番安いスパのメニューである、若返りとデトックス効果があるベッド型サウナで長居するからだそうだ。

「誰かに携帯で電話している時、あの子『私の今付き合ってる彼氏、●●っていうんだけどお』なんて話してるの」と伯母が笑う。

 日本人で、お騒がせ芸能人の●●を知らない人はいないだろう。

「あの役柄は地でやってるってみんなもいってるよ」と言いたい放題だ。

 当時、彼女はテレビで悪役を好演していた。渚沙も帰国時にいくつかのエピソードを見ていた。見応えのある面白いドラマだった。

 伯母は理由をつけてこの女優の予約を断り出した。女優は伯母に嫌われたくないらしく「◯◯先生〜」と甘ったれたメールを送ってきたという。相手が著名人だろうが、ヤクザであろうが、物怖ものおじしない伯母である。女優はとうとう店に来るのを諦めてしまった。


 近年伯母の店の事務所で、モコモコとして毛が柔らかい小型犬を見かけるようになった。お客さんの犬を預かっているのだという。プーと呼ばれていた。見た目はぬいぐるみだ。おとなしくて行儀がいいので置物のように見える。雑種なのに四十万円もする犬だそうだ。純粋な血統の犬を掛け合わせると性格のいい犬が生まれるので高額になるという。初耳である。最近、そういう犬を飼うのが流行っているのだろうか。

 犬好きの伯母はだいぶ前に飼い犬を亡くしてしまい、寂しがっていたので喜んでプーを預かっていた。

 伯母のところに通う客は芸能人や裕福な婦人、高収入の女性ばかりだ。他の美容サロンに比べると施術料金は良心的だ。伯母はほとんど儲けることを考えておらずサービスもたっぷりするし、それほど高額ではないにしてもやはり渚沙のような貧乏人は来られない。

 プーの飼い主の女性は渚沙より二、三歳若いだけだが、株で成功していてほとんど働かずに贅沢に暮らしているという。残念なことに、顔を整形していて、あまり性格が良くないそうだ。伯母にプーを預ける時は彼氏とお泊りデートや旅行をする時で、そのうち彼女は自宅にいる時も面倒がって、伯母のところに犬を預けたままにするようになった。今では犬のプーは、一年の半分以上は伯母の店にいる。店の奥に寝室や台所がある店舗兼自宅なのだ。プーは伯母のベッドで一緒に寝ているというのでどちらが飼い主かわからなくなるかもしれない。幸い、伯母がまったく預かるのを嫌がらないのはプーが可愛い上、扱いやすいからだろう。

 伯母は、犬のことでお金はもらっていない。飼い主である彼女が餌を全部用意し、店なので預ける日はシャンプーを必ずしてから連れて来る約束をしている。犬が病気になるとか、何か事故があっても伯母は責任を取らないという契約書も交わしてあるそうだ。

 少しすると、彼女はサロンを利用せずに、犬だけ預けるようになった。伯母はしばらく我慢していたが、「私が犬を預かっているのはあなたがお客さんだからなのよ。たまには施術を受けと欲しい」と伝えた。それで一ヶ月に一度は予約を入れるようになったそうだ。

 若いのにお金を持っていて仕事らしい仕事をせずに贅沢に暮らし、顔を整形し、飼い犬を無責任に人に預けて彼氏と遊び呆ける女ってどうなのか。他にも、彼氏がIT産業の成功者で月に五十万円もらっている若い女性が、サロンのお客にいるという。渚沙はそんな話を聞いても羨ましいとは思えなかった。本当の意味で幸せな人たちではなさそうだ。人生の意義とか真実の愛とかを彼女たちからは感じられない。……まあ人の勝手だ。どんな生き方をしていても人に迷惑をかけなければいいと思う。

 

*このエピソードは本編の「渚沙の恋と捕まらない大量殺人犯ノート」第9話から一部抜粋し、編集したものです。

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